Chapter37 守り継がれてきた伝説
瑠璃は眩しい光を感じてゆっくりと目を開けた。目に飛び込んできたのは不思議な光景だった。いくつもの小さな大陸が雲の上に浮かんでいて、その間を岩でできた橋が複雑に繋いでいた。瑠璃の前には遠く瑠璃色の石と銀色の石でできた大きな天使像が見え、その像に挟まれるようにして大聖堂が建っていた。この距離から見てもその大きさが伝わってくるので、真下からあの大聖堂を見上げたら圧倒されるだろう。
「すごい……」
瑠璃は小さく呟いた。やわらかな風が頬を撫でると甘い花の匂いがした。鮮やかな緑色をした草に覆われた大地の上でたくさんの白い花が花弁を揺らしていた。
もしも天国というものが実在するなら、ここは限りなくそれに近い場所かもしれない、そう瑠璃は思った。
「瑠璃様、聖堂へご案内します。お連れ様は診療所に運ばせますので、後でお会いになるよいでしょう。」
トムラの言葉で我に返った瑠璃は、まだ呆然としたまま頷いた。
瑠璃はチェリアとバルツを抱えている男に、二人をよろしくお願いします、と言った後、トムラについて歩き始めた。
一つ橋を渡って、住宅街のような場所に差し掛かると、ドーム状の丸い屋根を持つ家の側にいくつもの畑が並んでいるのが見えた。ここの人達は畑を作って自給自足してるのかな、そんなことを考えながら瑠璃が畑の様子を伺っていると、そこで鍬を振っていた若者達が瑠璃の姿を見つめて深々と礼をした。
瑠璃は軽く頭を下げてそれに答えた。
「トムラさん、さっき私達を襲って来た黒い影って何だったんですか?」
畑の間を縫うようにして続く道を歩きながら、瑠璃はトムラに尋ねた。
「それはこの里を守るガーディアンです。天使や天使が認めた者以外の生き物がこの里に入ってくるのを防ぐため、神が創り出した者です。ガーディアンはその数に限りがありません。侵入者を駆逐するまでは何匹でも出てきます。ガーディアンを一掃できるのは、力に目覚めた天使だけなのです。」
瑠璃は頭だけになった骨が転がっていたのを思い出しながら頷いた。
「だから、私達以外のブラッシュフェーブルに入った人達は帰って来なかったんですね。」
トムラは天使の伝説に直接関わること以外のことは何でも話してくれた。瑠璃はアベル族の生活について具に尋ねた。
もう三つ目になる柵も手摺もない大陸と大陸を繋ぐ橋を渡り終えた時、瑠璃は橋の側に花束が飾られているのが見えた。最近置かれたのか、まだ新しいものだった。
「トムラさん、あの花は?」
瑠璃が尋ねるとトムラは顔を曇らせた。
「ああ、昔あそこから誤って下に落ちてしまった子供がおりまして、その子のためにああして花を供えているのです。可哀想ですが我々は今日のように天使をお迎えする時以外は下界に降りてはいけないのが掟。そのため、下界に降りて探すこともできずにいるのです。この高さですし、助かっていないとは思いますが。」
「そんなことがあったんですか。」
瑠璃は花の置いてある所に向かってそっと手を合わせた。
それからまたいくつかの大陸を渡って、瑠璃とトムラはようやく大聖堂のある大陸に辿り着いた。
羽を閉じて祈るように手を組んでいる蒼と銀の天使像が神々しい。大聖堂はこの里の他の家と同じドーム状の屋根を持っていたが、その大きさは桁違いだった。
大聖堂の入り口に立っていた門番は、瑠璃達の姿を認めるとすぐに扉を開けた。
大聖堂の中に足を踏み入れるとその壮麗さに瑠璃は驚いた。傾いた太陽の光を受けて、複雑な色に輝く銀色の床。一面の壁には瑠璃色を基調としたアラベスクの装飾が施され、高い天井には慈悲深い笑みを浮かべた二人の天使の絵が描かれていた。
足音を高く響かせながら長い廊下を抜けると、大きな広間に出た。家具一つ置かれていないその広間には一人の老爺が立っていた。
「ザルフェ様、お連れいたしました。瑠璃色の天使、瑠璃様にあられます。」
トムラはその老爺、ザルフェに瑠璃のことを紹介してから、さっと広間を出て行った。この人が長老……、瑠璃はそう思いながらアベル族の民が瑠璃にするのと同じように深く礼をした。
ザルフェは金色の瞳で瑠璃をまっすぐ見据えると、ただでさえ曲がった腰をさらに曲げてそれに答え、顔を上げて瑠璃に尋ねた。
「瑠璃様は天使のことを聞くためにここに来た、それでよろしいのですね。」
「はい。」
ザルフェはゆっくりと頷いた。
「天使の生い立ち、役目、全てお話いたします。心して聞いて下さい。」
***
天使の伝説
アルフィランドの神はアルフィランドを創り出した時、大地、空、海と共に多くの生き物を生み出した。生き物は自らの種が生き残るために他の生き物と争った。その争いは世界中に広がり、弱い種は絶滅し、強い種は数を増やしその生息地を広げていった。
その様子を見た神は思った。このままでは力の強い者、効率的に他の種を滅ぼす英知を持つ者ばかりが生き残り、それ以外の種は滅んでしまう。そうだ、何年かに一度、下界に使者を送ってどの種が生き残るべきか考えさせよう、と。そう考えた神は、二人の神の使い、天使を生み出した。一人の天使は銀色の瞳を、もう一人の天使は瑠璃色の瞳を持ち、他のどの生き物にも天使と同じ色の瞳を持つことは許さなかった。
神は銀色の天使に有の力を、瑠璃色の天使に無の力を与えた。
天使には使命があった。それは五百年に一度、この世に生を受け、この世界に審判を下すこと。天使は万物の声を聞き、世界のあるべき姿を考え、自らの力で持って世界に審判を下す。
その際、この世界とは別の世界に生まれる瑠璃色の天使はこちらの世界に渡り、銀色の天使と共に世界を裁く。
どうして瑠璃色の天使が別の世界に生まれるのかははっきりとは伝わっていないが、恐らく銀色の天使と結託して二人の天使が神同然の力を得るのを恐れたのではないかと考えられる。
天使の審判は世界の真ん中に浮かぶ島、アトランティスで行われる。アトランティスは他の生き物に利用されることのないよう神が守っているが、天使や天使が認めたものならば簡単に出入りすることができる。
アトランティスには神殿がある。その神殿に瑠璃色と銀色の二つの宝玉を捧げることで審判は開始する。天使は審判を行うことで、既存の生物を消し去ったり、新たな生き物を創り出したりすることができる……
***
ザルフェの話を聞く内に夜は更けて行った。