Chapter32 旅支度
「あれがブラッシュフェーブル……」
瑠璃は遥か遠くに見えるそれを見つめた。その山は雲なのか霧なのか分からないほどの白い靄に覆われ、その隙間から深い緑の山肌を覗かせていた。白く立ち込める人を寄せつけぬ魔性の気配と聖なる気配。瑠璃には山というよりあの世とこの世を分つ大きな壁のように感じられた。
「あれに私たちは登ろうとしてるんだよね。」
瑠璃は溜息混じりに呟いた。返事など決まっているのになぜかそう言わずにはいれなかった。
「うん……。」
チェリアが微かに頷く。バルツは黙ってブラッシュフェーブルを見つめたまま佇んでいる。暫し三人は黙ってブラッシュフェーブルを見つめていたがバルツが沈黙を破った。
「瑠璃は怖いか?あの山に行くの。」
バルツが瑠璃を見つめて不安そうに尋ねた。瑠璃は首を振る。
「怖くはないよ、決めたことだから。ただ、とても綺麗な山だからなんだか感動しちゃって。」
そう言って瑠璃が笑うとバルツは噴き出した。
「なんだ。全然大丈夫そうじゃん。心配して損した。まぁ、その辺は流石の瑠璃だよな。お前、本当に度胸あるぜ。」
曖昧に笑って誤魔化しながら瑠璃は心の中で思った。
ーーそれに、あの山を見た瞬間、私はどうしても彼処に行かなければならない気がしたから。
自分でも何故そう思ったのかはわからなかったが、瑠璃は不思議とそんな気持ちになった。こちらの世界に来てから、こういうことは多い気がする。瑠璃は俯いて唇を噛み締めた。自分のものではないこの感情に触れる度、瑠璃の心にはある一つの思いつきが浮かんでそれが瑠璃を不安にさせた。自分はひょっとすると、とてつもなく大きな役割を背負っているのではないか、そういう恐ろしい思いつきだった。
それから5日後。瑠璃達はブラッシュフェーブルの麓近くにある町、エテスで登山の準備をしていた。遠く見えていたブラッシュフェーブルももう目前。エテスを出て半日もしないうちにブラッシュフェーブルの麓に辿り着くことができる。
保存の効く食料や防寒用の外套など、明らかに登山のための物品を買い求めている瑠璃達を見て、町の者は口を揃えて、ブラッシュフェーブルに行くのか、と尋ねた。そしてその質問に瑠璃達が頷くと、誰もがそれを止めようとした。あの山へ行った者は誰も帰っては来なかったから行かない方がいい、と。
「まったく嫌になるよな。あんなにどいつもこいつも行くな行くなって。」
バルツが鞄の中に乱暴に食料を詰めながら不服そうに言った。買い物を終えた瑠璃達はオムの中に帰って来ていた。
「バルツ、町の人達は親切心で言ってくれてるんだから、そんな言い方しないの。」
そんなバルツにチェリアが呆れ顔で釘を刺す。
はいはい、とバルツは生返事をしたが少しも納得はしていなさそうだ。
ーー明日か。瑠璃はそんな二人を見ながらぼんやりと考えた。
思い返せば今までだって犯罪組織と戦ったり、魔物が蔓延る塔を探索したり、それなりに危険なことはしてきたが、今回はやはり特別に危険な旅だと瑠璃は考えていた。
それでも、行かなきゃ、瑠璃は拳をぎゅっと握り締めた。シルフや天使の伝説のことを教えてもらうため。そしてもう一つ、この予感の正体を突き止めるために。
二週間も更新できず本当に申し訳ありません。私生活が忙しく、殆ど小説を書く時間が取れない状態です。最低一週間に一回は更新できたらとは思いますが、次の更新も遅くなるかもしれません。