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第9章 レオーの憂鬱

 ズィゴスに強制連行され戻ってきた部屋。そこで、席を外していた分を取り返さんとばかりに、講師は常以上の熱を入れてレオーを指導した。

解放されたのは、すっかり日が暮れてから。いつもなら夕餉の前にある自由時間も、講義に消えてしまった。

 そして、いつもなら誰かが必ずいる夕餉の席に、レオーの兄たちの姿はなかった。楽しく会話をしながら取る食事も、今日は静かで、その上心配事で胸が苦しくて、どれだけ食事を口に運んでも味が分からなかった。いつも“元気・笑顔”を溢れんばかりに振り撒いているレオー。その珍しく意気消沈した姿に、使用人たちも互いの顔を見合わせる。

レオーが、もう何度目かも分からない溜息を吐いたとき、ズィゴスが現れた。そして、そんな弟の姿を見て、彼にしては珍しく驚きの感情をそのアメジストの瞳に映し出した。

「レオー、どうしたのですか?」

 声をかけられて、レオーはやっとズィゴスの存在に気が付いた。気分とともに自然と俯いていた顔をガバリと上げると「シズは?!」と大きな声を上げた。そのことに、ズィゴスが呆れたと言わんばかりに溜息を吐く。

 シズとレオーが分かれてから、もう半日近い時間が経っている。それでも尚、レオーの頭は彼女のことでいっぱいだったのかと。

「どこも異常はありませんでしたよ。今はぐっすりとよく眠られています」

「ほんとうに、寝てるだけ?」

 純真無垢を絵に描いたようなレオーは、人の言葉をほとんどそのまま受け止める。それは疑うことを知らないとも言えるし、疑わなくてはならない場面に出会ったことがないとも言える。そして、自分に近しいもの――特に兄、その中でも一番の有識人であるズィゴスの言葉は絶対に近い。

 けれど、レオーのエメラルドの瞳も、そのまだ幼くあどけない顔も、男として成長しきれていない高めの声も、すべてがズィゴスの言葉を疑っていた。否、信じきることができないと告げている。

 きっとレオー自身、自分がなぜそんな風になってしまっているのかは理解できていないだろう。けれどそれに気づいたズィゴスは、初めて見る弟の姿とその一途な気持ちに応えるため、しっかりと頷いた。

「ええ。侍医が正確なる診断を下しましたから。これで間違いがあれば、彼らは仕事をサボったことになりますね」

 ズィゴスのあっさりとした感情のない言葉は、この部屋にいた使用人たちの耳にも入った。そして、みなが顔を青ざめる。「もしそんなことがあったのならば、一体どんな恐ろしい目に遭うのだろうか」と。

「・・・そっか。なら、そうなんだね」

 そしてその言葉の本当の意味を、レオーはまだ理解できない。ただ、ズィゴスと侍医、信頼できる人たちがそう言うのであれば、きっとそうなのだろうと彼なりの考え方で納得した。

そうしてやっと、レオーは長い長い溜息を吐き出した。それはシズが倒れたその瞬間から、彼の体に溜められていた心配・不安・そして少しの恐怖がスルスルと体外に排出され、消えていく儀式のようでもあった。

「あ、じゃあ、シズに会ってもいいんだよね!」

 にこぱぁと、まるで雲間から太陽が顔を出したかのように眩しい笑顔を浮かべたレオーに、ズィゴスは首を振った。

「言ったでしょう、彼女は寝ていると。第一、女性の寝室に入るなど言語道断。許されざる行為です」

「え、でもソティスは“大切な人”ならいいって言ってたよ?」

 無邪気そのものの表情で、小首を傾げるレオー。きっとその言葉の本当の意味も、分かっていないに違いない。その証拠たる、顔に色のないインクで書かれた“純真”の言葉を目の当たりにして、ズィゴスは頭を抱えたくなった。

「・・・痴れ者どもめ、ここまで来れば罪人同然だ」

 ズィゴスの呟きは小さく、レオーにしか聞き取れなかった。けれど意味はまったく分からなかったので、しんどそうに目を伏せるズィゴスを見ることしかできない。

「とにかく、すべては彼女が目覚めてから。そのときは、例え講義中でもレオーを呼びに行きますから」

 その言葉に、きょとんとレオーが目を丸くする。ただでさえ大きな瞳が、顔からこぼれ落ちるのではと心配になるほどに。

「あれ、講義を抜けてもいいの?」

「ええ。今日は随分とがんばったと聞きましたから。今回だけは許可しましょう」

 ズィゴスのお許しに、レオーはまた太陽のような笑顔を浮かべる。そして「ありがとう、ズィゴス兄!」とお礼を述べた。


 そう、ズィゴスから確約を頂戴したにも関わらず、レオーの姿はとある部屋の前にあった。その扉の隣りには、兵士の姿がある。ダークブラウンの短い髪を持つ男は、隆々とした筋肉を銀の甲冑で隠し、手には鈍く光る槍を持っている。そして、眼つきはその槍の先以上に鋭い。どう見ても堅気には見えない厳つい男へ、てこてことレオーは近づいていく。

「フィロー、ご苦労さま!」

 レオーの労いの言葉に、男は槍を持たぬ方の手で敬礼をした。それをまねて、レオーも敬礼をする。

「・・・レオー様、就寝時間はとっくに過ぎておられますが?」

 顔同様、響いた声も重低音で、さらに近寄りがたさが増す。けれどレオーは彼に笑顔を向けた。それはそれは、無邪気な笑顔を。

「ね、フィロはルピオスにお願いされてこの部屋の前にいるんだよね?」

 男の名前をフィロと言い、ヴァスィリオ国の中でも屈指の兵士であり、数々の功績を残してきた(つわもの)だ。階級は中尉。まだ20代後半という若さでこの位は、この国ではまずありえない。その彼とレオーは知り合いであり、顔なじみである。だからこそ、レオーは臆せずフィロに声をかけた。

「はい。スコルピオス様の命にございます」

 そして、フィロもレオーのことはよくよく理解していた。それだけの付き合いが、彼らにはあった。

「ね、お願い。僕、シズのことが気になって気になって仕方ないの」

「妙齢の女性の寝室に入ろうとは、レオー様らしからない所業!」

 思わずフィロの声が強くなる。レオーはしーっ!と人差し指を口元に立てた。

「違うよ、寝室には入らない。ただ、シズが目覚めたときに一番に会いたいだけ。もちろん、朝餉には部屋に戻るよ。だから、ね?」

 女に生まれれば、さぞや美しい華として咲き誇っただろうレオーの容姿。その素晴らしさは、フィロも存じている。それに加え、そのエメラルドの瞳で見上げられると、ノーの言葉もイエスに変わるという魔性さも。

だが、歴戦の兵の精神はこの程度では折れない。しかし彼は、部屋番を任せられたと同時にスコルピオスから少しだけ事情を聞いていた。

 ――この部屋で眠る女性のことを、レオーが誰よりも気にかけていた、と。

 だからこれは、決してレオーの美貌に惑わされたわけではない。強いて言うなら情に絆されたとでも言うべきか。付き合いの分、フィロにもレオーは職務を超えた特別な存在であるというなによりの証だろう。

「分かりました。しかしレオー様、約束は約束ですからね」

 きっちりと釘を指すのも、長い付き合いだからこそ。フィロの言葉に、レオーも「うん、ちゃんと守るよ!」と答えた。

「でないと、フィロと僕がルピオスに怒られるもんね」

(怒られるですめば、自分は全くもって構いなどしませんよ・・・)

 フィロの心の声は、レオーには届かない。その脇にある扉を開け「じゃあ、朝にね」と太陽のように輝く笑顔を浮かべて消えて行った。

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