第5章 感情のない喧嘩とじゃれる犬
美少年を犬同然に掬い上げて歩く美形。その後をついて歩くこと数分。私は、自分の置かれている状況を理解し始めていた。
今、二人と一人(前者が頭に“美”のつくコンビ、そして後者が私だ)が歩いているのは、ダンプカーやショベルカーもなんなく通れてしまう広さ・高さを持った廊下だ。
いや、廊下なんて陳腐な言い方は似合わない。それだけの安定感と厳かさを兼ね備えている長い長い道を、ただ黙々と歩いている。
いや、前方の美コンビ(面倒なのでそう呼ぶことにする)は、相変わらず「離してー」だの「暴れてはいけませんっ」だの言い合っているが。
そして、時折すれ違う人の格好があのアザミ色の美形さんに近いものであること。そして美コンビを見るなりその場で頭を垂れ、その後ろにいる私を見ては不思議そうに眉を寄せる。その姿に、昔よく見ていた時代劇を思い出した。
時代劇の中では、殿様や武士など、ある一定の位を持つ人間が通るたび、それが室内であろうが室外であろうと関係なくみなが道を開け、道の端で小さくうずくまるようにして頭を下げていた。まさにその光景が、この数分間で繰り広げられているのだから。
――この美コンビ、間違いなくお偉い身分の人間に違いない。
「シズー、シズー!」
「えっ」
そんなことを考えていると、前方から美少年が私の名を呼んだので、慌てて前を向いた。
「シズ、助けて! ズィゴス兄が離してくんない!」
またもや聞き取れずに終わる、美形さんの名前だろうソレ。しかし、何故こんなことになっているのか分からない私としては、美少年はもちろん、美形さんの側に付くわけにもいかず。目の下を引きつらせながら美コンビの背中を見るしかなかった。
そんな私を、美形さんが軽く首を回し、流し目で見るかのようにして一瞥した。
・・・その姿すらサマになっているのだから、顔形が整っているってすごいな。
ぼんやりと、この現実味もなにもない場所で、私は自分でもよく分からないことを考えていた。
美形さんが止まったのは、あれからさらに廊下を数分歩いた先にあった扉の前だった。
よく磨かれた木製のそれは、縁を金属で覆われていて、見るからに頑丈そうだ。ちょっと体当たりしたくらいじゃビクともしなさそう。
そこで美少年を降ろした美形さんは、逃げようとする美少年の腕を掴み、もう片手で扉をコンコンと叩いた。乾いた、けれど重たい音が辺りにこだまする。
『誰だ?』
「ズィゴスです」
中から聞こえたのは、腰に響くような低い声。もちろん、男性のものだった。
扉を開けて中へと踏み出す美形さんと、それに引っ張られていく美少年。だが、その姿が完全に中に消える前に「シズも早くー」と美少年が私を呼んだ。またも慌ててその背中を追いかけた。
「スコルピオス、レオーに嘘を教えるのはやめてくださいとアレほど進言したはずです」
部屋へ一歩足を踏み入れた瞬間、美形さんの強いけれど感情のない声が聞こえてきた。
その美形さんの前にはこれまた木製の、けれど重厚な風格と威厳を持つ大きなデスクと、そこに積み上げられたたくさんの紙の山。そして、その先に鋭く光るキャッツアイがあった。とはいえ、それが先ほどの低い声の持ち主で、ス・・・なんたらさんなのだろう。名前はもちろん、覚えられなかった。
暗褐色の髪はザンバラで、あちらこちらに飛び跳ねている。いや、あえてそういうヘアースタイルなのかもしれない。ワックスでツンツンに固めたような、一見すると固く、触ると痛そうな髪型をした人だ。
だが、その下の顔はこれまた極上で、二枚目という言葉がピッタリくるような顔をしていた。そして、大人の男性としての色気が溢れ出していて、正直言って見ているだけで顔が赤くなってくる。思わず頬に手を当てると「シズ、どうしたの?」と美少年が顔を覗き込んできた。どうやらこの部屋に入ると同時に腕の拘束は解かれ、自由の身となっていたようだ。
「う、ううん、なんでもない」
なぜだかこのときの私は、二枚目さんの顔を見るよりも、美少年に不思議そうに自分を見られることの方が恥ずかしく感じた。
「いいじゃねーか、別に。俺だってあの部屋にはよく入ったぜ?」
「冗談はよしてください。邪しか持たないあなたが、あの部屋に入れるわけがないでしょう」
美形さんの言葉に、二枚目さんが肩をすくめる。けれど、その顔はニヤニヤと悪い笑顔を浮かべていた。
「その“邪”があるからこそ、だ。あの部屋には無数の戦術書があるからな。だーれのおかげでこの国があると思ってんだ?」
「それを言うなら、国のためにもレオーに嘘やあなたの勝手な自論を教えないでください。なんのためにもならないどころか、破滅しか呼びません」
話の内容や意味はサッパリだが、状況から察するに、美形さんは二枚目さんにひどく腹を立てているようだ。けれど、二枚目さんは「そんな些細なこと」とでも言いたげに取り合わない。だからこそさらに美形さんは言葉を強くするのだが、そこに感情らしい感情はなくて、私は不思議に思った。
怒っている、でも怒っていない。そういえば笑いながら怒るという芸をする人が昔いたなぁなんて場違いなことを考えていた私の腕は、横からぐいっと引っ張られた。
「シズ、どうしたの?」
見れば、そこにはハニーブロンドをキラキラと光らせる美少年がいた。考えてみれば、私はまだこの子の名前を知らない。背格好といい、服装が見慣れた白いシャツと黒い細見のパンツという組み合わせなのといい、中学生かそこらに見えて仕方がないのだが。
「キミ、名前は?」
「僕? 僕はレオー・テタルトス・ヴァスィリオ!」
・・・ごめん、聞いただけじゃ覚えられそうにないわ。
唯一の救いは、ファースト・ネームだろうものが短く且つ覚えやすかったことだろう。
「レオーくんっていうの?」と言えば「うん、そうだよ」と無邪気全開の笑顔が返ってきた。
・・・いや、この場合は「レオー様」なのか。
なにやら犬の如く「わー! すごい、シズって手も長いんだね!」と私の腕でじゃれるように遊んでいる美少年を見ながら、自分自身に訂正を入れた。