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鬼哭啾啾 零 ~男の子と女の子~  作者: 灰色日記帳
9/13

其ノ七 ~卒業~

 

 小学校最後の日。

 卒業式を終えた一月は、夕日でオレンジ色に照らされた鵲村の道を歩いていた。彼はその身を中学校の制服に包み、片手には賞状筒が提げられている。

 

(小学校も、今日で終わりか……)


 六年間通った小学校に別れを告げる寂しさ、しかしそれ以上に一月の心には、新しく始まる中学校生活への期待が大きく膨らんでいた。

 中学校でまた、新しい剣道仲間と出会えるかもしれないという事。けれどそれ以上に、琴音と同じ中学校に進めて、彼女と共に剣道を続けられる――それが、一月はとても嬉しかったのだ。

 ――嬉しい? そこで、一月は引っ掛かる事を感じる。何故、自分は嬉しいという気持ちを抱いているのだろうか、琴音と同じ中学校へ進学出来る、ただそれだけの事で。


「いっちぃ!」


 後方から一月を呼ぶ、澄んだ少女の声。振り向かなくとも、一月には声の主が分かった。


「琴音……?」


 彼女も一月と同じく中学校の制服に身を包み、片手に賞状筒を持っていた。

 数年前の出会った頃と比べると、彼女は本当に女の子らしい外見になったな、と一月は思う。

 一月の記憶では、小学校卒業が近付きつつあった頃からだった。琴音はそれまで短めに切っていた黒髪を伸ばし初め、胸も膨らみ始めていて――そして外見だけでなく、内面も。当初からの優しさは変わらず、自分をからかう男子(主に蓮)に仕返しを行うといった事はしなくなり、おしとやかな雰囲気が増していた。


「ね、ちょっと行こうよ」


 走り寄るや否や、琴音は不意に一月の腕を取り、駆け出し始める。


「わっ!? ちょ、琴音?」


 馬の尾のように靡く琴音の後ろ髪を見つめつつ、思わず一月も駆け出していた。


「来て欲しい所があるの」


 彼女はそう一言だけ返し、一月の腕を引き続ける。

 まるで、雪の上で走り回る子供に引き摺られるソリになった気分だった。

 そして、一体どれくらい走ったのだろうか。ようやく琴音が足を止めてくれた時、これまで親しみ続け、これからも通い続けるであろうその場所の前に、一月は居た。


(ふー……剣道場?)


 鵲村修剣道場の前に、一月と琴音は立っていた。

 一月は地面に手を付いていたが、琴音は疲れている様子も無かった。


「……けど琴音、蓮と会う時間はまだ先だよ?」


 小学校の卒業の日に、一月と琴音は蓮と最後の別れをする約束を交わしていた。そして、その待ち合わせ場所が修剣道場だったのだ。

 しかし、待ち合わせの時間にはまだ、三十分程の猶予がある。


「うん。蓮と会う前に、ちょっとね」


 修剣道場へ入っていく琴音、一月は頬を伝う汗を手の甲で拭った。

 

「さ、ほら早く」


 促されるまま、一月は琴音に続いて道場へと入る。

 窓からは夕日の光が差し、部屋をオレンジ色に照らしていた。嗅ぎなれた独特の畳のにおいに、壁にかかった掛け軸。一月が通い始めた頃と、何一つ変わっていない。

 剣道場には誰も居なかった。しかし鍵が開いていたという事は、教員は一時的に何処かへ行っているのだろう。

 玄関は開いていたが、教員室の扉にはしっかりと鍵が掛かっていた。


「琴音、何でこんな早く……?」


 彼女から返事は無く、代わりに面と竹刀が投げ渡された。

 戸惑いつつも、一月は受け取る。


「いっちぃ、私と勝負して」


 突然の、勝負の申し入れだった。


「勝負? どうして急に……」


 彼女は、


「私、いっちぃがこの三年間でどれだけ強くなったか確かめてみたいの。同門として、それに友達としてね」


「……!」


 彼女の言葉に、一月は思った。

 剣道を始めてからの三年間で、自分はどれ程成長出来たのだろうか。琴音と共に居ても恥ずかしくない程の強さを、得られたのだろうか?


「分かった」


 自分の強さを試したい、それに、小学校卒業の思い出作りにもなるかも知れない。もう、答えはもう決まっていた。面を被り、一月は竹刀を握る。


「面を一度叩かれたら終わり、それでいい?」


 一月は頷いて、


「宜しくお願いします」


 面以外、籠手も胴も身に着けていなかったので、『面を打たれたら負け。それ以外の部位は狙わない』というルールを設けて試合を行った。

 試合の結果的には、一月の負けだった。初めての打ち合いから三年、琴音はさらに強くなっていたのだ。足さばきはより俊敏になり、動きには無駄が無くなり、打ちはより素早く、かつ針穴を通すように正確に、一月の面を狙って来た。

 琴音の攻撃を必死に防ぐ、そして時に一月は反撃を返す。互角と呼べるかは微妙だった、だが少なくとも『試合』として成り立ってはいただろう。

 開始から十分程、琴音の竹刀が一月の面を打った。長時間の打ち合いでスタミナが切れ、集中力が途切れた瞬間を突かれたのだ。

 一瞬の隙を突くセンスといい、途切れることのないスタミナといい、一月は琴音の凄さを改めて実感した。


「ふーっ……やっぱりすごいよ、琴音」


 壁に背中を預けていた一月の頬に、ペットボトル飲料が押し付けられた。

 受け取ると同時に、琴音が隣に腰を降ろす。

 

「いっちぃはもう少し、足さばきを練習して……それから体力も付けた方が良いと思う」


 琴音の手には、一月に渡された物と同じペットボトル――五百ミリリットルのお茶があった。よく冷えており、恐らく剣道場の側に設置された自販機で買ってきたのだろう。

 そのキャップを外そうとはせずに、琴音は一月へ幾つか助言をした。否、助言というよりは『指導』に近かっただろうか。

 しかし、一月には彼女の話をまともに聞けるだけの体力は残っていなかったので、要点だけを記憶していた。そして、彼女は最後に言う。


「それじゃあ……中学校に進学してからも、一緒に剣道やろうね」


 琴音はペットボトルのキャップを開けて、それを一月の方へと差し出す。

 彼女が何をしたいのかを察した一月は、同じようにキャップを開け、自身が持つペットボトルを琴音のそれと打ち付けた。


「小学校卒業、お互いにおめでとう」


 彼女と共に飲み交わしたお茶が、一月の渇いた喉を優しく潤す。

 と、その時。剣道場に続く扉が開き、蓮が入って来た。その両手には自在箒と、雑巾が掛けられたバケツが抱えられている。

 また、彼も同じく中学校の制服を着ていた。一月の物とは、違う学校の。


「! 一月、琴音……」


 驚いた様子を浮かべる蓮、しかしそれは、一月と琴音も一緒だった。

 会う約束の時間までは、まだ数十分もあるのだから。


「蓮、どうしたのそれ?」


 一月が問うと、


「あ、ああ。俺もう、ここに来るのは最後になるだろうからさ、お前らと会う前に道場磨きしようと思ってたんだ」


 蓮は一月と琴音に歩み寄り、掃除用具を床に置いた。そして、道場内を見渡しながら、


「……世話になったな、この道場には」


 ぽつりと呟く蓮。

 彼は、中学校卒業を期に剣道を辞めるつもりなのだ。彼はもう一月や琴音と共に剣道の稽古に励む事も、この剣道場に足を運ぶ事すらも無くなるだろう。


「蓮……」


「お、琴音お前、中々中学の制服似合ってんじゃん。可愛いよ」


 悲しげに自身の名を呼ぶ琴音を他所に、蓮は笑顔で返す。そして、彼は剣道場に自在箒を走らせ始める。


「よっこらせ……! ん、埃溜まってんな。ったく、掃除当番何やってんだよ」


 蓮は、いつもと何も変わらない。

 一月と琴音と会うのが、今日で最後になるかも知れないというのに、何事も無いように振る舞っている。


「蓮」


 一月は蓮を呼ぶ。けれど彼は、


「一月、ちょっとバケツに水汲んで来てもらっていいか? はは、やっぱ拭き掃除もしなきゃ駄目だなこれ」


 ただ、何もないように振る舞う。

 いつものように明るくて、やんちゃで、それでいて優しい蓮が、そこに居た。


「ねえ、蓮!」


 琴音が声を張る。ようやく彼は、自在箒を動かす手を止めた。


「蓮は……蓮は、平気なの? 私ともいっちぃとも、もうすぐ会えなくなっちゃうのに……!」


 彼女の瞳に、涙が溜まっている。琴音が――泣いていた。

 蓮は琴音を一瞥すると、それまで明るげだった表情を物憂げに染める。自在箒が彼の手を離れ、その柄が床に打ち付けられた。

 彼の溜息が、道場内に発せられる。


「……平気な訳、ねえだろ」






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