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鬼哭啾啾 零 ~男の子と女の子~  作者: 灰色日記帳
8/13

其ノ六 ~蓮~

 笑顔を浮かべた琴音が、うんうんと頷く。

 ほんの少しだけ、一月と琴音、そして蓮――同じ師の下で剣道を学ぶ少年少女達は、自身を除く二人を視界に入れ、向き合っていた。

 穏やかな風が木々をざわめかせ、彼らを覆い包む。


「そろそろ帰ろっか、遅くなるとおばあちゃん心配するだろうし……」


「そうだね。ん、そういえば……!」


 一月はふと、気付いた。

 琴音の叔母の話は聞いたことがあるし、自らも琴音に両親の話をしたことがある。

 しかし、蓮に関しては違った。彼からは、両親の話を聞いた記憶が全く無かったのだ。


「そういえば蓮、蓮のご両親ってさ、どんな事をやっているの?」


「あ……そういえば私も、蓮から両親の話、聞いたこと無かったかも」


 蓮の口から親の話を聞いた記憶が無いのは、琴音も同様だったようだった。

 一月はただ、何気なく蓮に尋ねてみたに過ぎなかった。恐らくは琴音も同様だったのだろう。


「っ! ……」


 しかし、一月と琴音の質問を受けた途端、明らかに蓮の様子が変わる。

 彼は視線を逸らし、片手を側頭部に当てる。その体が微かに、震えているように見えた。


「ま、まあ色々やってんよ。俺の親父さ、すげーんだぜ! でっかくて力強くて、めっちゃデカい声出せて……お袋もさ! すんげー美人で友達多くて、さ、酒にも煙草にも強くて……!」


 蓮は早口で、自身の両親に関する事を羅列していく。

 しかし彼はそこまで言った後、蓮は「う、うっ……!」と発したまま、ガチガチと歯を鳴らす。寒がっているのかと思ったが、もう夏が近付いている時期だ。

 ならば一体、どうしたと言うのだろうか。


「……蓮?」


 呼び掛けると、蓮は我に返るように一月と視線を合わせた。


「ちょっと蓮、どうしたの?」


 続いて琴音が問う、すると蓮は頭を振るわせた後で、囁くように言った。


「別に……何でもねえよ」


 いつもの彼に見合わず、消え入ってしないそうな小さな声だった。

 蓮は駆け出し、一月と琴音に背を見せる。


「俺、先に帰るよ。暗くなってくるしさ」


 そう言い、返事を返す間もなく――蓮は歩き去って行ってしまう。

 小さくなっていく同門の後姿を、一月はただ見つめている事しか出来なかった。 


「いっちぃ、蓮……どうしたんだろう」


「分からない。でも、ご両親と何か……?」 


 琴音に応じる。


「とりあえず、僕達も帰ろう」


 琴音が頷き、一月の隣まで走り寄ってくる。

 同門の少年を案じながら、一月と琴音は共に、公園を後にした。



  ◎  ◎  ◎



 出間蓮は、年季の入ったアパートを見上げていた。

 白い外壁は至る所が破れ、茶色い面が剥き出しになっており、誰も住んでいない一室の窓ガラスは無残にも割れている。

 地震でも起きれば恐らく、ひとたまりも無い――ボロアパートと言っても、間違いは無いだろう。


「っ……」


 蓮は唇を噛み締め、衣服を捲り上げる。幼い少年の背中には火傷の痕跡――煙草を押し付けられた跡が、痛々しげに残されていた。

 触れると、ズキリとした痛みと共に、これが自身の体に刻み付けられた時の記憶が脳裏を過る。皮膚が焼かれる感触、気が狂いそうになる程の痛み、そして、自分にこのような卑劣な仕打ちをする者への、凄まじい怒りと憎しみ。

 それら全てが、まるでビデオを巻き戻して初めから再生し直すように、蓮の頭を駆け巡るのだ。


「まだ駄目だ、もっと……」


 まるで自分自身へ言い聞かせるかのように、蓮は発する。

 そして彼は覚悟を決めて、ボロアパートの錆び付いた鉄階段を上っていく。



  ◎  ◎  ◎



 光陰矢の如しとは正しくこの事だと、一月は神社の石段に腰を降ろしつつ思っていた。

 剣道を始めてから三年。六年生になった一月は、小学校最後の夏休みのある日に神社の祭りに出向いていた。

 琴音を含む同じ小学校の友人数人と、唯一違う小学校の生徒ながら、蓮も共に来ている。三年の月日が経っても変わらず、一月にとって蓮は共に稽古に励み、喜びを分かち合える無二の友――親友と呼べる存在だった。恐らく、琴音にも同じだろう。


「今思えば、違う小学校だってのに、一緒に祭りに来るような仲になるなんてな」


 隣に座っている蓮が、イカ焼きをかじりながら言う。


「本当。初めて会った頃が懐かしい」


 三百円で購入した焼きそばを、一月は口に運ぶ。

 と、そこへ琴音を含む数人の子供達が綿アメやたこ焼きを手に、歩み寄って来た。


「お待たせいっちぃ、蓮」


 数年が経っても、一月には琴音が変わらなく思えた。

 出会った頃と同様、彼女は真面目でひた向きで、優しくて――何事にも一生懸命な女の子だった。変わった所と言えば、ショートヘアにしていた髪を少し、伸ばし始めた事。

 そして、いつも着ている白いワンピースの代わりに、今は白い浴衣に身を包んでいる事だろう。


「綿飴なんか食ったら太るぞ? こんな風にぶくーってな」


 蓮が自身の両頬を引っ張り、琴音に向かって変な顔をしてみせる。恐らく、というか確実に悪意を込めて。


「……」


 琴音は無言だった。彼女の小さな手が、ランニングからはみ出た蓮の腕をつねる。


「い、いだだだだだ! 冗談、冗談だって!」


 少女と言えども、竹刀を握り続けて鍛えられた握力の前では、蓮を痛がらせる事など造作も無い。


「蓮、いい加減琴音にそういう事するの止めたら?」


 蓮に忠告する一月の口元には、笑みが浮かんでいる。

 琴音は怒る……というよりは呆れた表情と共に、言った。


「もう……蓮ってさ、私にお仕置きされたくてそういうことするんでしょ?」


「わ、蓮君てもしかして、変態さんなの?」


 友人の一人の少女が明るげに言うと、もう一人の友人の男の子が「へーんたい、へーんたい!」と無邪気に発しながら、手を叩き始めた。

 蓮は慌てて、否定する。


「ち、ちげえよ!」


「ふーんだ。いじわる蓮の事なんて知ーらないっ」


 琴音は、ぷいっと蓮から視線を外した。けれど、一月には彼女が笑んでいるのが確かに見えた。

 


  ◎  ◎  ◎



 神社の祭りを存分に楽しんだ後、一月は蓮と琴音と共に、帰路に着いていた。

 

「今日はすっげー楽しかった。誘ってくれてありがとな、二人とも」


 剣道場で誘った時、正直一月も琴音も、蓮が来る可能性は低いと思っていた。というのも、彼一人だけが違う小学校の者であり、さらに蓮が知らない友人が二人も一緒に来るのだから。

 けれど、蓮は嬉しげに目を輝かせ、「行く!」と即答したのだ。

 彼は一月と琴音の友人達ともすぐに打ち解け、まるでずっと前から友達だったかのように仲良くなり、共に祭りを楽しんだ。


「こっちこそありがとう、来てくれて嬉しかったよ。蓮」


「私も」


 蓮は照れるように視線を外すと、うんうんと頷いた。

 すると彼は、夜空に浮かぶ満月を見上げて、どこか寂しげに言う。


「小学校最後の夏休みの、いい思い出になった」


「あ……」


 一月も琴音も、知っていた。

 小学校を卒業した後、蓮は村外の中学校へと進学する。そして彼は、剣道も引退する気なのだと。

 一月と琴音が、蓮と共に剣道の稽古に励む時は――あと数か月で終わりを迎える。彼と違って村内の中学校へ進学する一月と琴音は、蓮と会う事も恐らく無くなるだろう。


「蓮……」


 琴音が、呟くように呼ぶ。

 すると蓮は一月と琴音を見る。その顔には、いつもの陽気な笑顔が浮かんでいた。


「へっ、何しょぼくれてんだよお前ら……俺一人居なくなったって、別にどうって事ねえだろ?」


「蓮、そんなこと!」


 ある筈が無かった。蓮は同門であり、親友だと一月は思っていたから。彼との別れが、『どうって事ない』という言葉で片付けられる筈など……。


「バカかよ一月、別に今すぐグッバイって訳じゃねえ。あと何か月かあるじゃねえか」


 いつも通り、蓮は快活とした様子を崩さなかった。

 そんな彼を見て、一月は思う。きっと蓮は誰よりも辛い筈だ、自分や琴音よりも遥かに。

 なのに彼は――そんな辛さを表に出そうとせず、笑顔と憎まれ口で真意を覆い隠し、気丈に振る舞っているのだ。


「だから一月も琴音も、それまでは宜しくな」


「蓮、これ」


 琴音が差し出した手の上に、クマのマスコットが乗っていた。

 受け取ると蓮はまじまじとそれを見つめる。


「いっちぃにも」


 蓮に渡したのと同じ物を、一月も渡された。

 茶色くて、目は黒いビーズで作られていて、口の部分はギリシャ文字の『ω』のような形をしている。鞄や携帯電話に下げるくらいの大きさの、ミニサイズのマスコットだ。


「はっ、何だよこりゃ。タヌキか?」


「やっぱり返して」


「や、冗談だっての」


 蓮の軽口に反撃した後、琴音は言う。


「このクマさんね、私が作ったの。いっちぃと蓮にあげようと思って」


 夏のにおいを纏った風に白い浴衣を揺らしつつ、琴音は笑顔を浮かべた。

 彼女の視線が蓮に向き、


「蓮、もう何か月かでお別れなんだろうけど……中学に行ってからも忘れないでね。いっちぃの事、それから私の事も」


「……」


 蓮は何も言わず、琴音から贈られたマスコットを見つめていた。


「もう何か月か宜しく。でも、離れてからもずっと友達さ、僕達は」


 一月が告げると、蓮は踵を返して背を向ける。マスコットをそっとポケットに入れたと思うと、


「わ……忘れちまうと思うぜ、俺そんな賢くねえし」


 微かだが、その言葉には笑みの色が含まれていた。蓮は嬉しがっているのだ。


「またな、二人とも」 


 一月と琴音に背を向けたまま、蓮は歩き去って行った。

 ランニングを着た後ろ姿が遠くなり、次第に見えなくなっていく。


「くすっ、本当……素直じゃないよね。蓮って」


 一月は琴音に頷く。






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