其ノ参 ~昼下がりに~
昼休みに入り、給食を終えた子供達は皆、思うままに時を過ごす。
教室で自由帳に絵を描く子、友人とトランプで遊ぶ子――そして一月は数人の友人と共に、校庭へ出ていた。
その片腕には、サッカーボールが抱えられている。
「一月、早く来いよ。サッカーやろうぜ」
友人の少年に促され、一月は走る速度を上げる。
「……!」
と、その時だった、遠目に覚えるのある顔が映り、一月は思わず足を止める。
(あの子……!?)
一月が知っている彼女とは、様子が違った。
剣道場で会った時は剣道着に身を包んでいたが、今の彼女は新雪のように白いワンピースを着ている。
しかし、その短めに切られた黒髪に、どこか儚げながらも澄んだ瞳。
「一月、早く来いよ」
「ごめん、先行ってて」
一月は友人にボールを投げ渡し、彼女の元へ走り寄る。
「琴音!」
鮮やかな緑色に茂った草の上で、その黒髪やワンピースを風に泳がせていた彼女が、振り返る。
そして、驚くような面持ちを浮かべた。
「いっちぃ……?」
◎ ◎ ◎
校庭で、一月は校舎の壁に背中を預けて立っていた。隣では、琴音も同じようにしている。
「びっくりしたよ、いっちぃが私と同じ小学校だったなんて」
一月は頷く。内心では、一月も同様だった。遠目で見てまさかと思ったが、本当に琴音だとは思っていなかったのだ。
剣道場で知り合うまで、これまでの小学校で一月は琴音の姿を見た記憶が無かった。
「何組なの?」
一月が問う、すると琴音はにっこりと笑みを浮かべ、応じる。
「三年二組だよ、いっちぃは?」
「え、三年三組……」
何と、同じ学年で――しかも隣同士のクラスだったようだ。
驚き呆けるような表情を浮かべる琴音、しかし、一月も恐らく同じような面持ちだっただろう。
「隣のクラス……だったんだ?」
一月が発すると、琴音は小さく頷く。
その次に一月が発した言葉が、彼女と重なった。
『知らなかった……』
一月が何気なく発したのと全く同じ言葉を、琴音も同時に発したのだ。
「あ……」
一月は思わず、言葉を詰める。琴音もその瞳をぱちくりさせている。
「……ぷっ」
僅かな沈黙を、琴音の僅かな笑みが破る。
それを皮切りに――彼女は無垢で無邪気で、優しげで、暖かみを内包する笑い声を発した。
「ははっ、あはははは……!」
それが、一月が初めて見た琴音の笑顔だった。まるで飛び火するように、一月も笑った。
共に笑いを止めたのは、数分後の事だった。
「ふふっ、久しぶりだなあ。こんなに笑ったのって」
笑いの余韻から冷めない様子の琴音に、一月は言う。
「そういえば、すごく似合ってるね。その白いワンピース」
「え……?」
琴音は、着ているワンピースに指先で触れつつ、
「ありがとう、そう言ってもらえると……嬉しいな」
琴音は、一月ではなく自身のワンピースを見つめている。
その口元には笑みが浮かんでいるが、先程の屈託の無い笑顔とは違い、どこか物憂い雰囲気を持つ笑みだ。
「どうしたの?」
そう一月が尋ねた頃には、琴音の顔に笑みは浮かんでいない。代わりに、微かではあるものの――悲しげな面持ちを浮かべているように思えた。
「……これね、私のお父さんとお母さんが選んでくれたものなの」
「ご両親が?」
琴音は頷く。そして、一月の予想しえない答えが帰ってくる。
「私のお父さんとお母さんね……死んじゃったんだ。私がとても小さかった頃に」
「え……」
物憂げな眼差しを足元に向ける琴音、一月は申し訳ない気持ちを抱く。
自分の発言の所為で、琴音に辛い事を思い出させてしまったのではないか、と。
「だから今ね、私おばあちゃんと一緒に暮らしてるの」
両親を失った彼女の気持ちなど分からないが、想像しようのない悲しみを抱いていることは、琴音の表情を見れば分かる気がした。
「ごめん琴音……! 嫌な事を思い出させて……」
「ううん、いっちぃは何も悪くないよ。服の事褒めてくれただけだもの」
琴音が再び、一月と視線を合わせてくる。
「あれ、でも私……今まで他の友達にこの話したこと無かったんだけどな」
何かを考えるように、琴音は人差し指に手を当てる。
誰にしたことも無いような話を、何故一月にはしてくれたのだろうか。
「どうして、僕にはその話を?」
琴音は、「うーん」という声を漏らした後、
「いっちぃになら、してもいいかなって思ったの。……ふふ、どうしてかな?」
再び、琴音は可愛らしく笑みを浮かべる。
腰の後ろで組んでいた両手を離し、黒髪や白いワンピースを靡かせつつ、草を踏み締めながら駆け出す。
振り返ると、満面の笑顔と共に、
「喋ってるだけじゃつまらないじゃん。遊ぼうよいっちぃ、私と一緒に」
これまで、遊びに誘われることは何度もあった。
けれど、琴音にそう言われるのは何故か、比べようも無く嬉しかったのだ。
「うん」
一月は琴音に頷く。気が付くと、琴音と同じように笑っていた。