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鬼哭啾啾 零 ~男の子と女の子~  作者: 灰色日記帳
4/13

其ノ弐 ~琴音~

 

 一月の様子を気にも留めずに、『彼女』は額の汗を拭った。


「ふう……」


 そう、その子は――高い剣道の実力で自身よりも大柄な子を打ち負かし、一月を釘付けにさせるほどの強さを見せつけたその子は、女の子だったのだ。

 短い髪形をしていて、活発な雰囲気を持っているが、それでも間違いなく女の子である。

 澄んでいて、それでいてどこか儚げな瞳が、一月を見つめる。

 驚きに言葉を濁す一月、少女は先んじて発した。


「秋崎琴音だよ、よろしくね」


 屈託の無い笑みと共に、溌剌とした声。同時に彼女から、一月へ手が差し出される。

 

「あ……」


 一月は未だに驚愕の色を薄めていなかったが、一先ず彼女の手を取る。

 琴音の手はさらさらとしており、心地良い温かみを帯びていた。


「君は? 何て言う名前?」


 初対面にも関わらず、琴音はためらいも無く、気さくに話し掛けてくる。

 可愛らしい上に、明るい性格の持ち主――友達が多そうな子だな、と一月は思う。

 

「金雀枝一月、こっちこそよろしく」


「えにしだ君? 珍しい苗字だね」


「よく言われるよ」


 珍しい苗字の多い鵲村でも、『金雀枝』という苗字はさほど例を見ないらしく、一月にとっては自己紹介の度に『珍しい』と評されるのが通例のようになっていた。

 けれど、その苗字の事を切っ掛けとして話を弾ませ、相手と仲良くなることもまた通例のようになっており、そこら中にありふれた苗字ではない、という点に個性を持っている気もしていた。

 他人のそれとは違う、という点にコンプレックスのような気持ちを抱く事もあるが、結論から言えば一月は自身の苗字に感謝しているし、嫌ってはいないのだ。


「良い名前だね、琴音って」


 取っていた琴音の手をゆっくりと離し、一月は言う。


「え……そんなこと初めて言われたよ」


 微笑みつつ、琴音は先程の一月の言葉とは真反対の返事をした。

 すると、横に居た蓮がやんちゃに口を挟む。


「おいおい一月。もしかしてお前、琴音を口説く気かよ?」


「な、違うよ」


 一月が慌てるように蓮へ応じると、琴音がむっとした表情で続けた。


「蓮、余計な事言わないの!」


 琴音の叱咤を受けた蓮は、「ひぐっ……」とカエルのような声を漏らし、花が萎れるように縮こまった。

 と、そこに拍手が鳴る。

 その方向を一月が追うと、黛が笑みつつ手を叩いていた。


「微笑ましい会話を遮って済まない。けど今は稽古の時間中だし、本題に入らせてもらってもいいかな?」


 蓮と琴音が頷いたのを見て、一月も同じように頷く。


「改めて紹介させてもらうと、彼女……琴音さんは一月君と同門で、剣道歴的には君の先輩にあたる子だね」


 一月は頷く、すると黛は紹介を続けた。


「君も見た通り、琴音さんはかなりの剣道の腕前なんだ。私の弟子の中で一番の強さ、そう言っても恐らく過言では無いよ」


 何の証拠も無ければ、一月には受け入れがたい事だっただろう。

 少女である琴音が、あれ程強い蓮を退ける程の剣道の腕を持つ子である、などとは。

 しかし、一月は何の疑いも抱く事無く、黛の言葉を信じる事が出来た。ほんの数分前に、彼自身の目で琴音の強さを目の当たりにしたからだ。

 洗練された竹刀の振りや足さばきに加えて、彼女よりも体が大きく、よほど力もある筈の男の子に勝利してしまう琴音は、間違いなく『強い』だろう。


「いやそんな……黛先生、ちょっと言い過ぎですよ」


 困ったように笑み、謙遜する琴音。

 しかし一月の経験上、自分を『弱い』と言う者程強かったし、何よりも彼女の戦う姿を見ている以上、琴音の強さに疑いの余地は無かった。

 自分の腕前を鼻に掛けようとしない琴音に、一月は好印象を抱く。


「言い過ぎなんかじゃないよ、さっき打ち合ってるの見たんだけど……本当に凄かったよ」


「ん、金雀枝君さっきの見てたの? 恥ずかしい所見せちゃったな……」


 ふにゃりとした笑顔を浮かべ、琴音は人差し指でぽりぽりと頬を掻く。

 一月はお世辞を言っているつもりではなく、感じた事をそのまま言っているつもりだった。


「褒めてくれてんだし喜べよ、女のクセに男倒すなんて怪物だろ……」


 蓮は小さな声で言ったつもりだったのだろうが、一月の耳にはしっかりと届いていた。そして恐らく、琴音にも。

 再び、琴音がむっとした表情を浮かべる、彼女の視線が蓮へと移動する。


「蓮、聞こえてるよ!」


「ひっ!?」


 だじろぐ蓮。


「前々から言っている事だけど、蓮君はいつも声が大き過ぎるね」


「あ、それ言えてますね」


 黛の言葉に、一月は笑みを浮かべつつ同意する。

 蓮の大きな声は、彼の特徴と言っても間違いではなかった。

 元気が良くて覇気が感じられる――と、そこまでは良いのだが、今回のような陰口も大きな声で言ってしまう為、相手が近くに居れば殆ど筒抜けだ。


「さあ君達、紹介も済んだ事だし稽古に戻ろう。蓮君と琴音さんは先輩として、一月君に色々と教えてあげるように」


「はい」


「了解っす。……俺はすでに色々教えてやってるけどね」


 横目で一月を見やりつつ、蓮が言う。一月はうんうんと頷く。

 そして、同門の三人は今日も一生懸命、剣道の稽古に励むのだった。



  ◎  ◎  ◎



 稽古が終了した頃、剣道場の外は夕日に照らされていた。

 竹刀袋を背負った一月は、顔を伝う汗を袖で拭いつつ、仄かな木々の香りを纏う風に身を預ける。

 練習を終えた他の子供達と共に、蓮と琴音も剣道場から出て来た。


「今日もお疲れ様。それじゃあ君達、気を付けて帰るように」


 黛に見送られ、一月は小さく頷く。


「さてと、じゃあ俺はこっちだから」


 蓮が手を振りつつ、片方の道へと歩み行く。

 一月が彼に手を振ると、琴音も同じようにした。


「じゃあね蓮」


「ばいばい」


 自身と琴音に手を振り返しつつ走り去っていく蓮、その姿を見送った後。一月は琴音に、


「じゃあ僕もそろそろ、今日はありがとうね」


 そう言って歩み始めようとした時、一月は後ろから呼び止められた。


「一緒に帰ろうよ。私も家、こっちだし」


「え……」


 琴音からの思いがけない申し出に、一月は振り返る。

 すると、一月と同じように竹刀袋を背負った琴音が、可愛らしい笑みを浮かべつつ走り寄って来る。彼女の短く切られた黒髪が、快活に揺れていた。

 走り寄るや否や、琴音は有無を言う余裕も与えずに、先んじて歩き始める。


「ほら金雀枝君、早く早く」


 まるでスキップをするかのような足取りと共に、無邪気な言葉を発せられる。一月は頷いて、琴音の後に続いた。

 それから彼は、剣道場に通う際にいつも通る、鵲村の道を歩く。豊かに植えられた木々や、耳触りのよいせせらぎを奏でる川。見慣れているが、飽きを感じた覚えはない鵲村の風景を見つめながら。

 しかし、今日はいつもとは少し違った。

 そう。一月の隣を、琴音が歩いている事である。


「へえ……じゃあ金雀枝君、蓮に勝ったの?」


「引き分けただけ、別に勝った訳じゃないよ」


 感心するように言う琴音に、一月は首を横に振って応じた。


「でも、剣道始めたばっかりなのに蓮と何分も打ち合えるなんてすごい。金雀枝君、絶対才能あるよ」


「そうかな? 僕なんてまだ全然初心者だし、そんな才能なんて……」


 一月は自身なさげに呟いた。すると琴音は突然、一月の一歩前に出る。

 歩を進めていた足を強引に止められ、一月は驚く。

 言葉を発する間も与えず、彼女は言った。


「そんな弱気でいると上手くなれないよ? 自分を信じないと」


 オレンジ色の夕日が、彼女の後ろで誇らしげに輝いていた。

 眉の両端を少し吊り上げ、琴音は真剣な眼差しでじっと見つめてくる。


「強くなりたいんでしょ?」


 琴音と視線を合わせつつ、一月は頷く。

 すると琴音は、にっこりと笑顔を浮かべる。穢れなく無垢で、可愛らしい笑顔を。


「大丈夫だよ。黛先生に教えてもらっていれば、絶対今よりも上手くなれる。私だって黛先生に教えてもらって、男の子とも試合が出来るくらいになったんだもの」


 弾むような声色で言われ、一月は自信が湧いてくるのを感じる。

 琴音という少女が、不思議に感じた。彼女に励まされると、どうしてか思う事が出来るのだ。自分は、自分が思っている以上の実力を秘めているのだと。

 頷きつつ、一月は応じる。


「ありがとう秋崎さん。もっと頑張るよ」


「琴音」


 琴音から即座に返される。


「え?」


「琴音って呼んで、その方が仲良い感じするでしょ?」


 一月は戸惑う。今日知り合ったばかりの女の子を名前で呼ぶ事に、どこか遠慮するような気持ちがあったからだ。

 しかし、彼女がそう言っているのなら、断る理由は無いだろう。


「分かったよ、琴音」


「ありがとう。それじゃあ……」


 琴音は視線を外して、考え込むような面持ちを浮かべる。口元から小さく、「一月、一月……」と声が漏れていた。

 数秒後、何か思い付いたような面持ちと共に、彼女は一月に向き直る。


「『いっちぃ』!」


「……へ?」


 彼女の言った意味が分からず、意味も無く返す。


「ニックネーム。一月だからいっちぃ、どうかな?」


 一月は思わず、言葉を詰まらせる。

 琴音がニックネームとして提示したそれは、ただ単に名前の一文字目を取って、その後に全く関係のない言葉を繋げただけの物だった。

 簡単すぎる、というより単純な感じが拭えないニックネームである。


「ダメかな?」


 言葉を発せずに居ると、琴音がまるで子犬のような目で見つめてくる。

 自身が考案したニックネームに、気に入ってもらえる自信があったのだろうか。


「……いや、気に入ったよ。そう呼んでいいよ」


 本音では微妙だったものの、一月はそう答えるしかなかった。

 

「わあ、やった!」


 まるで花が咲き開いたような笑顔と共に、琴音はスキップでもしそうな足取りで、脇の道へと向かう。

 一月を振り返って、大きく手を振りつつ、


「じゃあ私こっちだから。ばいばい、いっちぃ」


 早速、命名されたニックネームで呼ばれる。


「うん、またね」


 一月が応じると、彼女は一月に背を向けて走っていく。

 気が付けば一月は、夕日に消え入るように見えなくなっていく琴音の後姿を、その場に立ちつくして見つめていた。






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