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きっと、それは  作者: 篠宮 楓
第5章 手を伸ばして、君が求めたものは。
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「暑いわね」

一言、桜が呟いた。




既に学祭から数日が経ち、翔太の学校は先週期末考査を終えた。

いやぁ、どんどん顔色が怪しくなっていく翔太と、試験問題を作り終えて後は採点を残すのみとなった少し浮かれている圭介さんとの対比がとても面白かった。

しかし翔太が家にいるのにどこで試験問題を作っているのかと思ったら、学校で作っているらしい。

圭介さんの授業を翔太が受けていなければ問題はないけれど、担当クラスに入っていて。

周りから何か言われる前に、という事で、毎回試験問題は職員室で作るようにお達しを受けているのだそうだ。

ちなみに、保管管理は教頭先生。

そこまで面倒なことをしても、雇用してくれる学校に感謝ですよ、と圭介さんは笑っていた。

そうだよねー、PTAとかに叩かれたら面倒だもんなー。

私立だから、許されるところがあるんだろうけれど。


そんな日々も終わり、成績はある程度まぁまぁだったという翔太は今日から夏休みに入っている。

圭介さんは、お仕事に行かれましたけどね。





で、冒頭に戻るわけですよ。

いつもの如くお昼を会社の屋上で食べようとしていた私に、隣に座ろうとしていた桜がうんざりした様に呟いたのだ。

ランチバッグを膝に乗せてまさに開けようとしていた私は、座ろうともせず忌々しげに空を仰いだ桜を見上げた。

「そしたら、食堂にでも行く?」

「二人ともお昼持ってきてるのに、席数に限りがある食堂に行ったら迷惑でしょ」

正論を返しながら、それでも桜は座らない。

「じゃぁ、総務に戻る? 席でご飯食べたっていいんだし」

「嫌、休めない」

……ちょっと小突いてみてもイイデスカ?

後が怖いけど、おねーさん、イラッときてるわよ? ねぇ、桜さん。


思わず口元が引き攣った私に、絶対に罪はないと思う。

いや、無い。


「あ、ここにいたわ!」


空を見上げる桜、それを見上げる私という変な構図の私達に、お気楽な声が掛かった。

その声がよもやこの後、大変楽しくそして困った状況を作り出してくれるとは思わずに。






「ホント、ごめんね。迷惑掛けて」

三階にある小会議室で、屋上より涼しい昼食を桜と取っている。

それは、さっきより一人増えた状態で。


涼しげないつもより胸元の開いたブラウスを、なんでこんなにキャリアな女っぽく着こなせるのか是非ご教授頂きたいですよ、な、人事課の皆川さんが向かいの椅子に座ってにこにこと珈琲を啜る。

桜はさっきの不穏な空気は何処へやら、柔らかい笑みを浮かべながらいえいえと頭を振った。

「とんでもないです。会議室はブラインドがあるから、食堂より涼しいですし。ね、由比」

「だね。ありがとうございます、皆川さん」

ハートマークをつけたような声で伝えると、よかった、と皆川さんが笑う。




さっき屋上に現れた皆川さんは、涼しい食事の場を提供する代わりにお仕事手伝って? はぁと☆ て言う感じで、ある意味強制的お願いをお達ししに来たのだ。

まぁ、内容的には事務処理だし、話を聞いてみれば課内の社員が暑気あたりでダウンしたのが原因らしいし、二つ返事でOKしたわけなんだけど。

仕事内容が時間の掛かるものだったから総務に連絡しますと言ったら、許可済み☆と言われて内心、唯の強制じゃん!と突っ込んだ私はきっと普通の反応だ。





とりあえず昼ご飯を食べてから、作業に取り掛かる。

作業内容はいたって単純。

来年度入社予定の学生に送る案内状の作成・準備、後期インターンの受け入れ部署の予定表や研修内容の資料作り。

ま、単純作業は、時間と手間が掛かるものなのですよ。


とりあえず雛形の出来ている書類(桐原主任作)を人事課に連絡してプリントアウトしてもらい、その間に封筒に宛名を書き込んでいく。

宛名も印刷してしまえば楽なんだけど、そこは昔から手書きというのが決まりらしい。

皆川さん曰く、「昔の入社人数を基準に決めんなっての!」である。

十数人の入社人数は今は昔。

現在は百名近い人数が、新入社員として入社してくる。

まぁ、大体数年後には半分くらいに減るらしいけれど。

うちの代も、その位いるもんなぁ。

ひたすらサインペンで宛名を書きながら、自分の入社式に思いを馳せる。

まだ三ヶ月くらいだけど、実はもう辞めた人もいたりして。

それを聞いた時、まぁ考え方だけど、せめて半年くらいは働いてからの方が……と思ってしまった。



「……、なんか無言になるわね」

しばらく黙って宛名を書いていたら、ぽつりと皆川さんが溜息を零した。

「まぁ、何かしゃべると間違えそうですし」

桜が封筒から顔を上げずに応える。

その会話を聞きながら、ていうかこの状況って、と呟く。

「カニ食べてる時みたい」

自分の言葉にカニの足にむしゃぶりつく想像をしてしまって、思わず手が止まった。

「……」

「……」

今まで規則的に響いていたサインペンを走らせる音が、一瞬にして止んだ。


顔を上げると、桜も皆川さんもサインペンを持ったまま固まっている珍しい光景が目に入る。

「かに……」

「かに……」

まずい、二人して同じ言葉を呟いている。

「……あの、皆川さん? 桜?」

動き出そうとしない二人におずおずと声を掛けたら、がばっと顔を上げて非難の目で見られてしまった。


「止めてよ、由比のお馬鹿っ。口の中、カニ風味になっちゃったじゃない!」

桜がそう叫べば。

「うわ、食べたい。もう、山と詰まれたカニを片っ端から……」

皆川さんが、ぶつぶつ呟く。

あれ、これって……なんかやばいスイッチ押しちゃった感じ?

「えっ、えっ」

どうすればいいのか分からず、瞬きを繰り返しながら両手を上げて降参の形をしていたら。

「カニ、今の時期カニが食べられるところ……」

皆川さんが携帯を取り出して、いきなり検索を始めた。

「ちょっ、皆川さん! 目がマジです!」

「マジに決まってるでしょ!? 責任とってよねー、上条さん」

「えぇっ!?」

そんな! 責任て? 責任って、もしかして……


嫌な予感に思わず椅子から腰を上げたら。


「給料日までは、我慢してあげるから」




桜の満面の、そしておっそろしい笑顔に思いっきり立ち上がる。

「え、ちょっ、それは勘弁して! ムリだからっ! 新人に三人分の食事代とかムリだから!」

「……じゃぁ、このカニ地獄をどうしろと?」

あり地獄みたいに言うなぁっ!

「あぁ、カニカニ」

皆川さんの目が据わってるし!


追い詰められた感、満載。

いや、でも!

給料はっ、給料だけはぁぁぁっ!




その時、救いの神が舞い降りた。




立ち上がった私の後方、がちゃりとドアが開く。

そこには、紙の束を片手に持った桐原主任の姿。

もう一方の手には、ペットボトルの紅茶が三本。


「印刷終わったから。悪いな、お前たち手伝ってもらって……え?」

思わず、キラキラとした目で見上げてしまった。

きっとこんな表情を向けるのは、初めてじゃないだろうか!

だって、桐原主任が目見開いて固まってるもの!


が、しかし。桐原主任は会議室の異様な雰囲気にすぐ危険を察知したのか、傍の机に手に持っていたものを置くと脱兎の如く出て行こうと踵を返……


「……させるわけ、無いだろぉぉっ!」

「はぁ?!」


がっしりと桐原主任の腕を掴んで、後ろの二人に顔を向ける。

「財布確保! 財布確保!」

いきなりの行動と叫びに、桐原主任が固まっているのがなんとなく雰囲気で伝わってくる。

「やったわ! 気兼ねなく食べれるわ!」

「そうですね! 奢ってくれるはずでしたもんね!」

皆川さんと桜が、手を取り合って喜んでいる。

うん、物珍しい光景だ。

桜が素で喜んでいる。



「いや、おい。ちょっと、なんだこれ」

後ろで桐原主任のうろたえたような声が聞こえるが、説明は皆川さんにお願いしましょう!

私が言っても、冗談にされちゃういそうですからね!

ここは一つ大人の魅力(威圧)で、押し切って頂きましょう!



皆川さんは私の視線に気付いたのか、にっこりと目を細めると桐原主任に視線を移した。



「上条さん、並びに私達に掛けた迷惑料。カニ込み食べ放題で許すわよ!」


「はぁっ!?」




……いつの間に、食べ放題へと話が発展したんでしたっけね?




後ろで桐原主任の叫び声を聞きながら、私は首を傾げて苦笑した。


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