35
「由比」
下げたままの視界に、翔太の足が……身体が……そして。
私を覗き込む、翔太と目が合う。
「俺を守る為の嘘なんて、つかないで」
その声は落ち着いていてとても優しく、その表情は見たこともないくらい寂しそうだった。
「翔太……」
跳ね上がった鼓動が、どくどくと脳内に響く。
「由比が俺をどう思っててもいい。でも、お願い」
ゆっくりと腰に回される両腕に、身体を絡め取られる。
お腹の辺りに横顔を押し付けた翔太は、私の身体に回した腕に力をこめる。
腰に縋りつかれたような状態に、両手を宙に浮かせたまま翔太を見下ろした。
しがみついていながら、触れられることを怖がりそうだったから。
「俺を、子供の一括りに入れないで。俺は、由比と、対等でありたい」
「……翔太?」
なんか、様子が……?
「たったの四歳じゃないか。俺が学生だからって……、俺を守る側にならないでくれよ」
ぎゅっとしがみつく翔太は、言葉とは違って小さな子供みたいだった。
表情は全く見えないけど、微かに肩が震えてる……
「どうしたの? 翔太……?」
さっき、図書準備室で会った時は、こんなに弱々しい雰囲気じゃなかった。
確かに辛そうだったし焦っていたけれど、こんな状態じゃなかった。
「由比」
「何?」
くぐもった声で呼びかけられて、応える。
すると翔太は頬を私のお腹につけたまま、身体に回した両腕に力をこめた。
「由比。俺こそ、ごめん。謝るの、俺の方だよな……」
苦しそうに言葉を吐く翔太に、先ほどまでと違って触れた方がいいと気づく。
ゆっくりと宙に浮かせていた手で翔太の頭に触れると、震える事もなく驚くこともなくそれを受け入れてくれた。
すこしほっとして、ゆっくりと頭を撫でる。
「ね、翔太。本当に、ごめん。守る為の嘘と言うよりは、私が後味悪そうだからついた嘘なの。だから、私が悪いんだよ」
「違う。勝手に振り回して、一人にした俺が悪い。大丈夫って言ってたけど、本当は呆然としたろ? どうすればいいか、悩んだろ?」
何がどうしたんだろう。
さっきまでの私を責めるような言葉も雰囲気もなく、自分が悪いと謝罪の言葉を繰り返す。
私は何度かその言葉を交わした後、じゃあ、と呟いた。
「お互い様、にしようか。そうしたら」
どっちが悪いを繰り返していても、仕方ない。
私が言うべき方じゃないと思うけど、今の翔太は、頑なだ。
私が言うしかない。
翔太は口を噤んだ後、小さく頷いた。
「由比がそれでよければ」
「うん、いい。じゃ、これでこの話はお終い」
ぽんぽんと軽く頭の上で手を動かせば、なぜか翔太は少し緩んでいた両腕に再び力をこめた。
それは少し痛みを感じるくらいで。
お互いに後ろめたい話は終わったはずなのに、と思わず翔太に触れていた手をまた宙に浮かせた。
すると何を思ったのか、翔太は片腕だけ解いて離れた私の手をぎゅっと掴む。
腰に回された手と同じように強い力で握られて、方眉を顰めた。
しかし顔を上げた翔太を見て、何も言えなかった。
「由比」
再び呼ばれた名に、瞬きで応える。
あまりにも必死な翔太の表情に、やはり言葉が出なかった。
じっと見下ろしている私に対して、行動だけではなく翔太はその目まで縋りつくような色をのせた。
「いなく、ならないで」
……?
いなくならないで?
思ってもみなかった言葉に、思わず目を見張る。
けれど翔太はそんな私に構わず、もう一度繰り返した。
「……頼むから、勝手にいなくならないで」
そう言って、私の手を掴んだまま再びぎゅっと両腕に力を込めるとまた顔を伏せた。
その表情が見えなくなる。
私は意味が分からないまま、翔太をじっと見つめた。
心なし、肩が震えているように見える……。
そこでふと、準備室で着替えていた時、廊下にいた圭介さんと翔太の会話を思い出した。
――いたはずの場所に、いなくて。探しても見つからなくて。――また、いなくなるのかと……
――由比さんは、ここにいる。由比さん、だ。“咲子さん”じゃない
咲子さん、という人が誰だか知らないけれど……
いつもの明るく腹黒翔太が、こんなにも弱るなんて。
一体、その人と何があったんだろう……。
「翔太、大丈夫だよ」
ぴくり、と翔太の肩が震えた。
よく分からないけど。
私はただ、頭を撫でていた。
その背中を、ただ抱きしめていた。
「私は、いなくならないよ」
翔太が、いつもの翔太に戻りますように、と願いを込めて。
これで4章終了です。
翔太の理由までいけなかったと、反省中m--m