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きっと、それは  作者: 篠宮 楓
第2章 びっくりの法則
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桐原 悟 人事課主任 二十八歳。

がっしりした体躯に、直毛だよね? の真っ黒な髪。

若手の中で、有望株。


                        ――桜談



私にとっては、ただの怖い(ムカツク)トナリノ課の上司だ。


じっと見上げていた私に、怪訝そう→不機嫌そうに表情を変えたのが見て取れる。

この人は無表情なんじゃなくて、ただ面倒だから顔を動かさないだけだ。

入社前研修で私の入っていたチームのリーダーだった、桐原主任。

初めて見る会社の上司に、ものすごく緊張した覚えがある。

表情少ないし、皆結構恐れていたけど。


けれど、的確にチームに指示して課題をこなしていくその姿は、感嘆の一言だった。

いるんだなー、リーダーになるべくしてなる人って。

そんなことを思った。

だから、あの時点では凄く尊敬していたんだけど。



「あー、ねずみ……」



これ!

隣の課に配属になったから、人がわざわざ挨拶に行ったのに!

一緒に行った桜には普通に返事したのに!

人が“ねずみ”発言に呆気に取られているうちに、桜には“おう”とか言いやがって!


それ以来、この人に対する尊敬の念なんぞ消え去ってございます。


「上条。お前、上司に対していい態度だな、オイ」

ですので、睨まれようと凄まれようとひとっつも怖くないわけです。

こいつの方が、非常識だからね!

「キリハラシュニン、ナンゾゴヨウデスカ」

日本語って、こういう時素敵。

ちゃんと言いながら、口調で不機嫌さを表わせるなんて。


座って見上げたままカタコト口調で返したら、そのでかい手に頭を鷲摑みにされました!!

パワハラだ!

「痛い痛い!」

掴んでいる手を慌てて叩いても、その頑丈な拘束は一向に緩まず。

「噛み付くだけじゃ、能がないんだよ。もっと人間らしさを磨いてから反抗しろ」

「桐原主任、失礼です!」

私に!!

人間だもん!

人間じゃなかったら、なんだというんだ!

「男に浮かれてる暇があったら、さっさと仕事を覚えろ」

「はぁ?」

男に浮かれてる?

「誰が! いつ! どこで! 浮かれたっていうんですか!」

勢いよく頭を振って桐原主任の手を何とか外すと、威嚇するように睨み上げた。

桐原主任は私の威嚇なんてどこ吹く風、両腕を前で組む。

「お前が! いま! ここで! 浮かれきった話してただろうが!」

「盗み聞きですか! うわ、サイテー」

「お前の態度の方が最低だ! 社会人として! 女として!」


ぜーはーぜーはー


ぎりぎりと睨み合う私たちの間にあるのは、息切れの音。

ご飯食べた後の怒鳴り合いって、胃に悪いと思う。切実に。


「ていうかさー、よくこの衆人環視の中、二人の世界に入っていられるよね」


どちらが動くか、そんな捕食現場に割り込んできたのは、のほほんとした軽そうな声。

最近よく聞く声なので、私たちの態度はひとっつも変わりません。

すると大きな溜息を疲れました。

「あのさ、少しくらいこっち見てくれてもいいと思わない?」

「思わない」

「目を逸らしたら負けなので、今は無理です」

軽い声に応える言葉は、異口同音、否定。

「いつから勝負になったの」

途端、目の前にこれまたでかい手のひらが出てきました。

視線を遮られて、それまで固まっていた身体がふいに動く。

そこでやっと、軽い声の持ち主に顔を向けた。


「工藤主任、こんにちは」

「はい、こんにちは」

その明るい笑顔に、少し恥ずかしさが戻ってくる。

ちらりと辺りに視線を廻らすと、面白そうにこっちを見ている社員の姿。

いけないいけない、またやってしまった。



男の人、ちょっと苦手。

とか言ってる私ですが、この桐原主任だけは“ねずみ”発言以降、“男”のカテゴリーから外したわけです。

敵、もしくは抹殺目標!


でも、基本的男の人は若干苦手なので、工藤主任には恥ずかしさが前面に出ます。


「器用な脳みそだな」


なんで人の心の声を読むんだ、桐原主任め。

人事課だから? ←そんなわけない


「工藤主任は、これからお昼ですか?」

五感から桐原主任を消去して、工藤主任に話しかける。

上着は置いてきたのだろう、Yシャツ姿が目に沁みる。

いや、物理的に。

真っ白に反射する、日の光の所為で。

「そう、今帰ってきたんだよ」

軽く持ち上げる右手には、コンビニのビニール袋。


工藤主任は桐原主任の同期。

営業二課所属。

桐原主任と同じ様に、入社前研修で他のチームのリーダーをしていた。

それでも話す機会があったから、一応見知り合いくらいだったんだけど。


“ねずみ”発言で桐原主任と対立し始めてから、よく話してくれるようになった。

でも、まだ馴れるまではいかないんだよね。


「じゃあ、私総務に戻ります。失礼します」

工藤主任にだけ頭を下げて、ランチバッグを掴むと屋上からビル内に入る。


「――」


後ろからついてくる不機嫌オーラにエレベーターで追いつかれて、ぎりっと睨みあげる。

「桐原主任、わざわざついてこないでください」

「お前が俺の前を歩いていただけだ」

「工藤主任と話しでもして来ればいいのに」

「別に、用はない」

お互い顔を見合わせないまま言い合っていれば、やっと上がってきたエレベーターのドアが開いた。

無言で勢いよく、乗り込む。

一階までのこの無言空間、ハッキリ言って居心地は最悪。

「……入社前は殊勝な態度だったのに、よくまぁ百八十度変われるな。ある意味、尊敬」

人が文句を言いたいのを頑張って黙っていたのに、腕を前で組みながら溜息混じりに言われればやっぱりむかつくわけで。


「あのですね……」

落ち着け……、落ち着け私……

呪文のように心の中で繰り返しながら、口を開く。

「尊敬できる方には、ちゃんと接します。そーでもない桐原主任だけは、それなりの対応をします」

「俺、限定かよ」

「ですね」

軽い電子音がして、エレベーターの動きが止まる。

開くドアを待っていたら、ぼそりと爆弾を投下しやがった!

「ねずみのくせに」

かーっと頭に血が上って、繰り返していた呪文は頭の隅に飛んでいく。

「ねずみねずみ、うるさいわ! 主任は猫ですか!! お腹すいてんですか! 私はご飯じゃない!」


「……そうねぇ、とりあえずは人間ね」

叫び倒した私に、笑いを堪えるような声が掛かった。

その声に、自分の置かれた状況にはたと動きが止まる。


ここは、エレベーター。

開いたドア。

その前に、人事の女性社員-皆川さん―がファイルを手に、笑いながらこっちを見ていた。


「……う、うるさくしてすみません……」


我に返った私は、慌てて皆川さんに頭を下げる。

隣で“そっちかよ”と呟く声が聞こえるけれど、はなから無視。

皆川さんはくすくすと笑いながら、私が出られるようにその身体を斜めに下げた。


「どうせうちの桐原が絡んでるんでしょ? 本当にごめんなさいね」

「皆川さん、大好きー!」

「あら、うれし」

艶のある唇を弧に描いて笑う皆川さんは、大人の女性。

桐原主任が同期とは思えない!


エレベーターから降りて振り返ると、ドアが閉まる所だった。

その向こうには、にやりと笑う皆川さんと呆気に取られた桐原主任の姿。

降ろしてもらえなかったらしい。

「ざまーみろ」

もやもやした気持ちが少し晴れて、私は総務へと戻った。




「……なんだよ」

ドアの閉まったエレベーターの中。

不機嫌さを増した桐原の目が、隣に立つ皆川を睨む。

皆川はそんなものはどこ吹く風、ファイルを持ち直すと溜息をついた。

「子供じゃないんだから。ばかじゃないの?」

桐原は視線を逸らして、口を噤む。

「あのねぇ、あぁいう子にあんな態度とったって、あんたの望むような結果にはならないわよ」

「別に、俺は……」

「バレバレ。隠さなくてもいいわよー」

桐原の言葉を遮って、少し軽めに言う事で呆れている今の心情を突きつけた。


どう考えたって、好きな子苛めてる中学生。

二十八歳の大人がやることじゃない。

仕事は出来てもこういうことに不器用な桐原を、皆川は苦笑気味に横目で見上げた。


桐原は一瞬反論しようとしたのか口を開いたけれど、すぐにそれを閉じると口端だけ軽く上げた。

「……?」

三階のランプが点滅し、ゆっくりとエレベーターの速度が落とされた。

怪訝そうに首をかしげると、皆川は開いたドアから外に出る。

桐原は元々一階に戻るつもりだったから、降りずにそのまま。


「捕食、するか」


閉まる寸前、エレベーターから聞こえてきたその言葉に、皆川は動きを止めた。

エレベーターは、再び一階に向かって動き出す。

それを音で感じながら、内心由比へと謝罪の言葉を思い浮かべた。




――上条さん、ごめんなさい


私、焚き付けちゃったみたい~



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