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「何、沢渡さんをじっと見つめてんだよ。もう浮気?」
座ったまま目の前に立つ沢渡を見上げていたら、剣呑な声音で黒田が刺々しい言葉を漏らした。
その言葉に、ドアをみていた沢渡の視線が翔太に向けられた。
黒田に答えようともしていなかった翔太は、真正面からその視線を受ける。
じっと自分を見下ろす、沢渡の視線。
そこに動揺も迷いもない。
あるとするならば、翔太への好意。
翔太はその感情を受けるでもなく、冷たい視線を笑みにのせる。
……もしこれで本当に沢渡が犯人だとしたら、こいつの被っている面の皮は、俺なんかとは比べ物にならないくらい相当厚いんだろーな
「目の前で見詰め合わないでもらえませんかねー。なんつーか、すげむかつくんですけどー」
半分本音の拗ねたような黒田の声に、くすりと沢渡が口元を緩めた。
「翔太くん、はねてる」
そう言って、黒田に何か言うわけでもなくまっすぐに翔太の髪にその指先を伸ばしてくる。
沢渡の表情は、口調は、翔太がその好意を受け入れる事を確信しているようで。
翔太の感情に、暗い影を落とす。
「ほら、ここ……」
翔太はその指先を一瞥すると、触れられる前に椅子から腰を浮かせた。
触れようとしていた沢渡の指先は、ほんの少し手前で翔太に避けられたような状態のまま止まっている。
「霧島さん、悪いんだけど受付代わってくれるかな?」
にこりと笑うと、少し焦ったような表情で後ろに立っていた霧島がこくこくと頷いた。
黒田も、呆気に取られたように翔太を見上げている。
翔太は立ち上がりながら沢渡の様子を横目で見ると、内心ニヤリと笑みながら歩き出した。
「ど、どこ行くんだよ」
やっと意識が切り替わったのか、焦った声を黒田が上げる。
それはそうだろう。
目の前で、沢渡が翔太に避けられるのを見てしまったのだから。
そして受付にいなければならないのに、それを人に頼んでその場から立ち去ろうとしているのだから。
どう考えても、沢渡から離れようとしているようにしか見えないだろう。
翔太は申し訳なさそうな……いや実際黒田と霧島に対してその気持ちは充分持っているのだけれど……表情で、黒田に片手を上げて謝罪を向ける。
「制服。探してみるよ。一応ベストは指定と違うものを渡しているから、すぐ分かると思うんだ。迷惑掛けて、ごめん」
黒田は翔太の言葉にほっとしたように、胸に手を当てて息を吐いた。
一応、今の翔太の行動に沢渡を避ける以外の意味があったことに、この素直で単純な愛すべき友人は安堵したのだろう。
一変して笑顔になると、頑張れよーと手を振りかえしてきた。
まぁ、その友人である霧島は翔太の内心に気付いているのだろう、少し引き攣ったような笑みを浮かべていて。
当の沢渡は、浮いたままの手をゆっくりと握り締めながら下ろし手いるのが目の端に映った。
その表情は、長めの髪に遮られてうかがい知る事はできないが。
翔太はひらひらと黒田に手を振りながら、クラスからでる。
後ろ手でドアを閉めると、ゆっくりと階段の方に歩いていった。
翔太に続いてクラスから出てくるだろう足音を、内心待ちながら。
「でも、ゆいと一緒にいる時の翔太って、人間って感じがしたな」
翔太が教室から出てすぐ、黒田がぽつりと零した。
それは霧島も感じていたようで、ホントだね、と黒田に同意する。
「いつも優しくて可愛くて穏やかで……、さすが遠野先生の弟さんだなーって思ってたけど。私達と同じ十七歳なんだよね。なんか、分かってるはずなのに、分かってなかったみたい」
あんなに穏やかな非の打ち所もない十七歳が、いる訳無いのに。
翔太だから、そうなのだろうとよく分からない納得をしていた。
「ゆいって、翔太にとって特別なんだろなー」
感慨深げに呟いた黒田の言葉に、沢渡がゆっくりと動き出す。
黒田は内心しまったと思いながら、その背中に声を掛けた。
「どこ行くの? 沢渡さん」
彼女は今、クラス委員として教室にいなければならない時間のはず。
現に、三十分前までは片割れである男子の委員長がここにいたのだから。
黒田がそう告げると、沢渡は足を止めてにっこりと美少女に相応しい笑顔を浮かべた。
「でも、制服が戻ってこなかったら、私がここにいないより大変なことになってしまうもの」
その言葉は、当然の事を言っていた。
言っていたのだが。
「そっか、いってらっしゃいー」
思わずぎこちない口調になってしまうほど、黒田には受け入れられない言葉だった。
沢渡は極上の笑みのまま口端を上げると、優しいね、と黒田に向けて呟いた。
それは、黒田と霧島にしか聞こえない位、小さな声で。
黒田単体にのみ、大きなダメージを与えた。
ガラガラとドアが閉まった途端、黒田が机に突っ伏す。
伏せた顔は分からないけれど、耳は真っ赤で。
「かわいいよー、沢渡さんっ! なんで翔太は靡かないんだ? あんなに翔太の事が好きなの、見てるだけでもわかるのに!」
俺が代わりてぇっ! と叫ぶ黒田を、霧島は足を踏み付けて止めた。
学外の人もいるっていうのに、ホントに恥ずかしい!
黒田の足を踏み付けながら、霧島は二人が出ていった教室のドアを見つめた。
−−何もなければいいけど……
そう思わざるを得ないほど、二人の間に流れる雰囲気が、何か異質なものに感じられた。