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「それにしても、溝口先生。よく、由比だと気付きましたね」
目に見えて落ち込んでいる溝口先生に、翔太が話しかける。
その手は私の肩に置かれていて。
外してくれないかなとおもいつつ、さっき準備室の中にいた時に漏れ聞こえてきた会話に躊躇する自分もいて。
諦めて、そのままにする。
そして翔太が言った事を反芻して、その疑問に納得した。
確かに。もう制服着てないのに。
眼鏡も外してるし、髪も一括りにしてある。
ていうか、これでばれるなら外でここの生徒に会った時に、ばれるかもしれないってこと?
溝口先生はがしがしと頭をかいていた手をとめて、あぁ、と呟いた。
「前に、正門まで連れてきた事あるだろ? 夜」
「え? 夜?」
聞き返しながら、思い当たる記憶にぽんっと右手を拳にして左の掌に打ち付ける。
「夕飯食べに行くのに、翔太を迎えに来た日の事かも」
私の言葉に合点がいったのか、頷きながら翔太は溝口に視線を戻した。
「それが、何か?」
「あぁ、その時見回り当番でさ。正門前でいちゃいちゃしてるの見たもんだから……」
――い、いちゃいちゃ?!
自分には絶対に当てはまらないと思うその単語に、ぶわぁぁっと顔に血が集まっていく。
あっ、あれはっ。
桐原主任のことで、悩んでた時でっ。
てことは、泣いてたの見られた?!
両手を振って否定する私の葛藤に気付いたのか、Yシャツを着終えた圭介さんの手が宥めるように再び私の頭を撫でた。
「見回りついでに覗きですか」
「ていうか、遠野先生さっきから容赦ないんだけど!」
いつもの圭介さんらしからぬ会話に、思わず私も苦笑する。
溝口先生は溜息をつきながら、両腕を組んだ。
「今だって大切そうに守っちゃって。で、どっちの彼女?」
「はぁ?」
彼女?
思っても見ない言葉に、つい呆気に取られたような声を上げてしまった。
不思議そうな顔をする溝口先生に、誤解を解こうと口を開く。
「いえ、あのっ。それはちが……っ」
「関係ないですよ、溝口先生には」
冷たく言い放つ圭介さんの言葉に、苦虫を噛み潰したような表情になって溝口先生は溜息をついた。
「なんかもう、触らぬ神にたたりなし状態ですねぇ。もう、聞きませんよ。でも二人とも高校生に弁当作ってもらってるんですか? この子も大変だろうに」
……こっ、高校生っ?
「ちょっ、あのっ!」
今度こそ間違いを訂正しようとしたら、肩においてある翔太の手になぜか力が入ってとめられた。
怪訝そうな視線を向けても、翔太はこっちを向かなくて。
腑に落ちないまま顔を前に向けたら、興味津々に私を見る溝口先生と目が合う。
「ていうか、高校生って聞いてたけど……。成人してるんじゃないの? ゆいさんとやら」
「えっ?」
分かってくれますか!
そうですよ、制服着せられたけど私社会人だから!
するとなぜか冷静な声が、頭の上から響いた。
「なぜ、そう思われるんです」
なんか圭介さん、優しいのか怖いのかよくわかんなくなってきたんだけど。
あくまで冷たい声音の圭介さんの言葉に、溝口先生が顎に手を当てて私を上から下まで視線を走らせた。
「だって……体つきがおんな……っ、うがぁっっ!」
圭介さんと翔太の行動は、早かった。
溝口先生の言葉に唖然としている私を置いて、圭介さんが首を翔太が腕を掴んで言葉を遮った。
「セクハラは重罪ですよ」
「そうだよ、先生。間違えて俺等が罰当てちゃうよ?」
「すみませんすみませんっ、もーいいませんっ!」
慌てて首に当てられた腕を掴んで剥がした溝口先生は、懸命に謝ってました。
なんか、がたいの割には気の小さい……
「由比、こう言ってるけど許す?」
腕を掴んだままの翔太が、笑っていない笑顔でこっちを見た。
「うん、許す。ていうか、私の方が迷惑掛けてごめんなさい、溝口先生」
「由比さんが、謝ることないよ。由比さんに謝る必要はありますけどね」
溝口先生の首もとから腕を外して笑う圭介さんも、全く笑ってない笑顔。
「ごめんなさい」
そして素直に謝る溝口先生。
……かわいい(笑
思わず笑いそうになって、何とか押さえる。
ここで笑ったら、今度は私の方が怒られそうだ。
すると翔太が溝口先生を掴んでいた手を離して、背中を押して階段へと促した。
「そろそろクラスに戻らなきゃいけないから、俺、行くね。由比、ちゃんと帰れる?」
いきなりの行動にうんうんと反射で返事すると、意地悪そうに肩を竦められた。
「帰りまでバス使うなよ、大人なんだから」
「バス?」
ぷっと吹き出しそうになった溝口先生は、翔太に見上げられて口を押さえた。
翔太にまでびびってどうするんだ、この先生。
「駅まで送るよ、由比さん。駐車場で待っててもらっていい? 先に車に乗ってていいから」
圭介さんがスラックスのポケットから見慣れたキーケースを出して、私に差し出した。
「え、いいよ圭介さん。ちゃんと帰れるし! 大人だし!」
最後の言葉は要らなかった気がするけれど、翔太につられてつい口に出してしまった。
圭介さんはキーケースを持った手をそのままに、もう一度私の名前を呼ぶ。
――受け取らなきゃ、どうなるかわかるかな?
なんて言葉が聞こえてきた気がして、素直に受け取りました。
はい。
命は惜しいです(笑
「でも、お仕事中なんじゃ……」
鍵を受け取ってしまったけれど、学校抜けてもいいの?
すると圭介さんは大丈夫と頷いて、溝口先生を見た。
「大丈夫ですよね?」
疑問系なのに強制に聞こえるのは、私の耳がおかしくなったからなのかしらね。
溝口先生はもう怖がったりもせず、苦笑して肩を竦めた。
「えぇ、大丈夫ですよ。打ち上げの準備をお任せしますよ」
ちなみに打ち上げとは、学祭終了後、教職員のみで一時間ほど行うアルコール抜きのお疲れさん会のようなもの。
「分かりました。適当に飲み物と食べ物を。じゃあ私は職員室に鍵を返してから行くから、先に行ってて」
まだ見回りで確認していなかった図書室の鍵を開けながら、圭介は私を促した。
「ここから分かれていった方が、いいだろうしな。んじゃな、由比。来てくれてありがと」
「あ、こっちこそ。呼んでくれてありがとね」
そう答えると翔太はぴらぴらと手を振って、溝口と階段を降りていった。
それを見送って、図書室にいる圭介に声を掛けてそこを後にした。
階段を降りてさっき制服姿で歩いた廊下を歩くけれど、私を見る人はいない。
さっきまでは、翔太がいた事もあって視線がきつかったのに。
「よかったぁ」
思わず呟いた声をすれ違う人が聞いて怪訝そうに振り向いたけど、あっさり無視!
さーて、翔太と取ったお菓子で、今日は何のおかずを作ろうかな~。
私の頭の中は、既に夕飯一色に染まっていた。