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「……」
なんていうんだっけ。
この状態。
三人だったら、三竦みとかになるのかな。
……ちょっと、現実逃避、してみました。上条 由比、二十二歳、OL、独身……
いつか脳内で呟いた覚えのある単語を、くるくると思い出す。
そして一度目を瞑って、意を決してからもう一度開けた。
……うん、三人だね。
圭介さんと翔太しかいないはずなのに、なんか、もう一人、いるね。
「……ゆい、だっけ」
呆然と廊下に立っていた見知らぬ男の人が、私を指差してぽつりと呟いた。
すると固まっていた圭介さんが、いきなり回復してその男の人を見る。
「……溝口先生」
「あっあぁっ、あの、その。……ゆい、さん」
……威嚇して、さん付け強要って。
突っ込みどころはそこじゃないよね、圭介さん。
私は実際にはそうでもないけど、内心だらだらと汗を流しながら引き攣った笑いを浮かべた。
「あ、はい。ゆい、ですが。あの、これは、その」
途切れ途切れになる声に、翔太が口を押さえて顔を反らした。
……肩が震えていると言うことは、笑ってるな! この薄情者め!
私の頭の中は、引き立てられる宇宙人状態の自分の姿しか流していない。
圭介さんに溝口と呼ばれた先生は、瞬きを繰り返しながら私と圭介さんと翔太を各々見ていたけれど、
何か納得したのかにやりと笑って両腕を組んだ。
「そーいうことですか。なんかさっきの態度おかしかったなーとか思ったら。へぇ、ふぅん」
にやにやと笑って態度を大きくしているという事は、これをネタに圭介さんをゆするとかそんな感じですか!!?
しかし、圭介さんは動じない。
「気になって戻られたんですか? わざわざ、こんなところに、たったそれだけの為に」
……、なんか言葉が冷たいですよ、圭介さん。
一瞬口を噤んだ溝口先生は、気を取り直したように引き攣ったような笑みを浮かべる。
「いいんですか? そんな事言って。この状況下、誰が一番上ですかね」
「私です」
圭介さん、即答!
あの、どー考えても溝口先生だと思いますよ。その、圭介さん?
私の必死な視線に気がついたのか、圭介さんは笑みを浮かべると私の頭をゆっくりと撫でた。
そのままの動作で、口を開く。
「溝口先生は、なぜここに戻ってらしたんですか?」
……それは、今、聞く事なのかな? 圭介さん?
全く圭介さんの真意は読めず、ただ頭の上にある温度が私の焦りを静めていく。
溝口先生は少し視線を彷徨わせてから、口を開いた。
「さっき学年主任と会って。鍵がまだ戻っていないって聞いて」
「で、なんて答えられたんです?」
「なんてって……。所用で離れたけれど、すぐに遠野先生と合流するところですと」
あぁ、圭介さんのことを考えてくれたんだ、この先生。
圭介さんはにっこりと笑うと、顔を溝口先生に向けた。
「そうですよね。見回りは二人一組。何があっても、一人で見回りは禁じられていますからね」
ふふふ、と何か確信めいたような笑いに、私は首を傾げた。
「え。なら私、さっきもう見られてたってこと?」
二人一緒に見回りに来たのなら、圭介さんに見つかったときに見られてるって事、だよね?
圭介さんは溝口先生を見たまま、いいえ、と頭を振った。
「準備室に入った時には、すでに溝口先生はこの場におられませんでしたから」
「それは、遠野先生がっ」
慌てて声を上げた溝口先生が、圭介さんの視線で固まる。
「……私が、何か?」
勢いを削がれた様だったけれど、それでも何とか口を開いた。
「その、遠野先生が体育館を見忘れたって言うから……」
「えぇ、そうですね。私がそう言ったら、溝口先生、なんておっしゃりましたっけ」
溝口先生は視線をさ迷わせたまま何か唸っていたけれど、がっくりと肩を落とした。
「俺が、体育館を、見に行く……と、言った、かな?」
途切れ途切れの言葉に、なんだかさっきの自分が重なる。
きっと、内心汗がだらだらと流れてるに違いない。
「私から、そう提案したわけではないですよね? もし今の状態を誰かに言うとしたら、そのことについてはどのように説明を?」
落ち着いた声音で会話を締めくくった圭介さんの後ろに、後光じゃない、腹黒オーラを感じたのは私だけじゃないと思います!
うっわぁ、さすが翔太の兄!
翔太より黒いかも!
少ししか意味が分からなかったけど、確実にやり込めただろうことは察せられます!
しかもそれが、私所為だったと言う事も。
迷惑、掛けたなぁ……。いろんな人に。
今更ながら、彼女の後ろをついて行った自分を、止めに返りたい。
溝口先生は、はぁぁぁっと大きく溜息をつくと肩を竦めて笑った。
もちろん、苦笑。
「わかりましたよ、別に何かあったわけじゃないようなので、俺は見てみぬ振りします。ていうか、遠野先生の本性、黒い」
「そんなそんな、黒くなんてないですよ」
ふふふ、と笑うその顔は確実に真っ黒だと思います。
味方であるはずの圭介さんの真っ黒さ加減に引き攣った笑いを浮かべていたら、翔太が私の横に立った。
「とりあえず、圭介、Yシャツ着たら? 溝口先生を騙せても、この状況を他に見られたら面倒だろ」
「あ、そうだね。ごめん、圭介さん。ありがとう」
私は畳んで持っていたYシャツを、圭介さんに差し出す。
圭介さんはそれを羽織ると、いつもの先生スタイルに戻った。