20
「で?」
準備室から廊下に出た圭介は、先に出た翔太にドアを閉めた途端声を掛けられた。
それは、とても不穏な声音で。
圭介はもう一度きっちりドアが閉まっていることを確認すると、廊下の反対側、窓際に立つ翔太の傍に足を進める。
翔太はそんな圭介の動きを睨みつけるようにじっと見ていて、両腕を前で組んでいる動作といい、言葉にしなくても怒りとも苦しみとも取れるような感情が体中から発せられていた。
「で、って?」
落ち着いた声で聞き返しながら翔太の横に立つと、眇められた視線が圭介を捕らえる。
「本当は、何?」
「本当は?」
単語しか口にできないのは、翔太の感情が昂ぶっているから。
今までに、幾度か見たことのある……けれど最近は見ることのなかった状態に、さてどうしたもんかと内心一人ごちる。
翔太は聞き返されることにイラついたのか、それとも何かを抑えているからなのか組んだ手で自分の各々の腕をぎゅっと掴む。
「由比。本当は、どうしたんだ?」
聞かれている事は察していたとはいえ、自分には答えるべきものがない。
由比が翔太のことを考えてした行動を、否定したくはない。
「……」
だが……
翔太の気持ちも、分かる。
分かるけれど……
翔太の表情を伺いつつ、ふぅと聞こえないように息を吐き出す。
「私も、同じことしか聞いていないから」
「……本当に?」
平均より少し高いだろう身長の翔太を、平均より高い圭介は頷きながら見下ろした。
「本当に。見回りでここに来たら、ミニスカートにタンクトップの由比さんが、気持ちよさそうに熟睡してたんだよ。凄く驚いた。ここ数年で、一番の驚きだったなあれは」
少しおちゃらけるように言うと、翔太はふぃっと視線を動かして床に向けた。
「そんな都合よく、いくのか?」
「都合よく?」
「由比の話。都合よく、由比が一人で。都合よく、制服を着たい他校生がいて。都合よく、うちのクラスの人間が通りかかる」
翔太の声は、冷たく。
赤く変わっていた顔色は、既に白い。
圭介の脳裏に、微かに警鐘が響きだす。
「都合よく、人のあまり来ない図書準備室に連れてきてもらえて。都合よく、一人になって。都合よく、俺と離された」
自分の腕を掴む翔太の指先は、白く変わっている。
「おかしいだろ? なんで、圭介、問い詰めない。あれだけ過保護なくせに、何で今回ばかり、問い詰めない?」
おかしい。
この括りに由比さんだけではなく自分まで入っている事に、圭介は表情を変えず口を開いた。
「問い詰めたけれど、あれ以上に返答がなかった。とにかく今は、由比さんを着替えさせて変装を解く方が先だと思ったから、かな」
いつまでもここにいられるわけじゃないしね、と圭介はスラックスのポケットから鍵束を取り出して小さく振った。
しゃらしゃらと綺麗な、聞きようによっては甲高くうるさい音が廊下に響く。
見回りの報告が遅れれば、おかしく思う教師もいるだろう。
もしこの状況を誰かに見られてしまえば、誤解するのは火を見るより明らかだ。
大事になって嫌な思いをするのは由比であり、翔太や圭介ではない。
翔太はふぅんと小さく呟くと、白くなった指先に力をこめた。
「誰だかしらねぇけど、許さない」
そう言う翔太の顔は、ひどく真っ青で。
圭介は思わず顔を顰めた。
確かに、由比の言う通りにしてよかったかもしれない。
ありのままを話してしまったら、由比を騙した“誰か”に何をするか分からない。
「翔太……」
その肩に手を置こうとした圭介は、覗き込んだ翔太の表情が過去に見た“あの時”のものとだぶって慌ててその両腕を掴んだ。
「いたはずの場所に、いなくて。探しても見つからなくて。――また、いなくなるのかと……」
「翔太、落ち着け。由比さんは、ここにいる。いなくなったわけじゃない」
「あのときも、そうおもってた。けど……」
「由比さんは、ここにいる。由比さん、だ。“咲子さん”じゃない」
「……あぁ、わかってる。わかってる、よ」
「翔太!」
思わず荒げた声に、俯いていた翔太の視線が圭介を捕らえる。
霞んだようなその視線が、圭介を睨み付けた。
「俺は、信じないから」
酷く冷たい雰囲気だが、過去とは違うその表情に内心溜息をつく。
「翔太、頼むから落ち着け。由比さんは無事だった。熟睡できるほど、全く追い詰められた状況じゃなかった。だから、大丈夫。大丈夫だから」
「何もなければ、それでいいって? 随分と甘いんだな。どうせ、由比も同じ様なこといいそうだし。いいよ、別に」
ふぃっと、そらされる視線。
両腕を掴んでいた翔太の手が、下りる。
「……翔太」
翔太は顔を俯けて大きく息を吐き出すと、いつもの笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ、圭介。さすがに俺も焦ってさ。うん、ちょっと落ち着いた。悪い悪い、心配かけて」
いきなり戻ったその態度に戸惑いを隠せず眉を顰めた圭介に、翔太は笑いかける。
「だーいじょーぶ。それより、由比のあの格好、やばいよな。よく圭介我慢できたなぁ。俺なら無理」
にやりと笑って、両腕を組む。
さっきと同じ格好だけれど、その指先には力は入っていない。
本当に落ち着いたという事なんだろうか。
翔太は隠すのが得意だ。
けれど話を終えようとしているのに、蒸し返してもいいものか。
どうするべき、か――
圭介は翔太に聞こえないように小さく息を吐き出すと、向かい合っていた身体を戻して壁に背をつけた。
「私だって、かなりの我慢を強いられたけどね。Yシャツを着せた方がよかったのか、悪かったのか本気で悩んだよ」
「だよなー。全体的に目のやり場に困る状況。まーでも、なんちゅーか眼福眼福?」
いつも由比が、翔太や圭介に対して使う呪文のような賛辞の言葉を、翔太が拝むマネをしながら繰り返す。
「俺らのこと眼福っていうけどさー、俺達からしてみりゃ由比こそ、そーなんだけどな。ホント、自分のこと、分かってらっしゃらない」
「まぁ、そこがいいところといえばそうなんだけどね」
くすくすと笑いながら準備室に目を向けたその時、廊下の向こう、階段を駆け上ってくる足音が響いて二人は弾かれるようにそっちに顔を向けた。
「やべ、誰か来た」
小声で呟く翔太と、思わず準備室に目を向けた圭介。
そこに。
「待たせてごめんね」
がらり、とそのドアがあいて。
由比が顔を出し。
「遠野先生っ?!」
階段から駆け上ってきた男性教師……溝口が顔を出し。
「え?」
「あ」
「やば」
「……遠野、先生?」
四人四様。
その場で固まりました。