16
「……一体、どういうことだ?」
翔太との携帯を切った圭介は、それをズボンのポケットにしまうと首を傾げた。
なんで一緒にいたはずの翔太が、由比さんを探してる?
ドアに近いところで携帯を使っていた圭介は、考えながらもゆっくりと由比の傍に戻る。
相変わらず規則正しく寝息を立てる由比に、起きる気配はない。
翔太は、ここに由比さんがいる事を知らなかった。
それどころか、探しているようだった。
……由比さんに、何かあったということか?
翔太の知らないところで、ここにつれてこられたということ……?
でも、それにしては……
机に広がる髪を指先で弄ぶ。
サラサラとしたその手触りに目を細めながら、由比の様子を伺う。
特に怪我をしているわけでもなく、反対に幸せそうに熟睡している。
「よくわからないけど……」
とにかく、由比さんがここにいて、自分が見つけることのできた幸運にある意味感謝。
これが他の先生だったら事情を聞くにしても、その間にこの格好を見られることになる。
それは、全力で阻止したい。
「……ん」
つい無意識のまま髪を弄っていた圭介は、由比が小さく声を上げて身じろいだことに動きを止めた。
起きるのかと思った由比の目は、相変わらず閉じられていて。
ただ何かが違うといえば、その表情。
さっきまでの幸せそうなものとは違う、深々と眉間に刻まれた皺。
苦しそうに歯を食いしばっている。
「……由比、さん?」
起こすのもためらわれたけれど、あまりにも辛そうなその表情にどうしたものかと思わず声を掛けた。
それに反応を示したのは、由比の声。
「……おと……さん?」
……おと……うさん?
かろうじて聞こえた単語を繋いで、脳裏に浮かべる。
由比の口から初めて聞く、家族の名称。
圭介は上体を屈めて、由比の口元に近づいて声を拾う。
「おとう、さん……おかあさん……」
呟くように発せられるその言葉は、震えるように紡がれる。
辛そうに苦しそうに、うわごとのように繰り返される言葉。
求める、声。
求めるように、彷徨う指先。
思わず、その指を自分のそれで絡め取る。
ほんの少しだけ、眉間の皺が緩んだように見えた。
そのまま、空いている方の手でゆっくりと頭を撫でる。
何も、知らない。
由比さんの、家族の事は何も。
けれど……、父親ならそう呼ぶであろう、名前を呟く。
低く、抑えた声音で。
「……由比」
ぴくり、と由比の指先が震えた。
きゅっと、圭介の指を掴む。
「お……とう……さ……」
求めたものを、離すまいとするその力は強く。
本来ならばそうするべきではないと、分っている。
自分じゃない人を求めている由比に、本来するべきことではないのは分っている。
けれど、その声があまりにも切なくて。
圭介はためらいながらも、再び口を開いた。
いつもよりも、深く低く。
夢の中の声とでも、言うように。
「由比」
強く握られる、指先。
「……置いてか、な……」
指先が手のひらが、圭介の腕に伝う。
ぎゅっと閉じた瞼から、涙が零れた。
置いて……?
圭介は自分の方に重心の傾いてきた由比の身体を支えながら、その身体を机の方に持たせかけようと支える腕に力を込めた。
その、途端。
「……!」
声にならない声を上げて、由比が圭介の身体に縋りついた。
「わ、ゆ……っ」
いきなりのその行動に、圭介は支えきれずに押されるように後ろに身体が傾ぐ。
壁に手をつこうとしたけれど、由比に掴まれていて叶わない。
「ちょっと、まっ……」
ずるりと由比の身体も、圭介に凭れるように椅子から滑り落ちた。
圭介は由比を包み込むように、意識的に自分の背中を床に打ち付ける。
「痛っ……」
ドンッという衝撃に、一瞬息が止まる。
そして――
自分の腕の中……というか、身体の上にある柔らかい重みにどくりと鼓動がはねた。
今日は、心臓フル稼働だな。ホントに。
思わず苦笑しつつ倒れた拍子に外れた手を床に置いて、上体を起き上がらせる。
「ん……、う?」
流石の由比も椅子から落ちた衝撃で目が覚めたらしく、目を擦りながら顔を上げた。
「……」
「……」
目が、合う。
まんまるく目を見開いた、由比。
どう説明するべきだろうと、由比の様子を窺う圭介。
口を開いたのは、由比が先だった。
「……これは、どういう?」
圭介は口を開こうとして、額に手を当てた。
そして片手を伸ばすと、横に落ちていたYシャツを掴みあげる。
「その前に……、これ、着てもらえる?」
ふわりと肩に掛けると、意味が分らず首を傾げる由比に圭介は溜息をついて視線を反らした。
「いろいろと、落ち着かない状況だから、立ってもらって、いいかな?」
「? 落ち着かない?」
そこまで言って、由比はやっと自分の状況を確認するように視線をずらした。
「……」
圭介の片足を跨ぐように、座り込んでいる自分の姿。
しかも、穿いているのが、マイクロミニ……
「……!」
慌ててその上から飛びのくように立ち上がる。
「なっ、なっ……!?」
かけて貰ったシャツの前を両手で掴みながら、まだ床に座ったままの圭介を見下ろした。
「みっ、見た!?」
「見たって……」
顔ごと視線を反らしながら、圭介が立ち上がる。
「見ないように、努力はした。とりあえず、前、留めて貰っていい?」
「努力……」
呟きながら、由比はボタンを留めていく。
上まで留め終えてから、はたと気付いた。
「このシャツって」
指先で摘んで確認しながら、圭介に視線を移す。
なぜか、タンクトップ姿の圭介。
自分が着ているのは、Yシャツ。
「これ圭介さんの!? わっ、ごっ、ごめ……」
慌ててボタンを外そうとしたその手を、圭介が止めた。
「いいから、着てて。俺の精神衛生上、着てて貰った方がいい」
……精神衛生上って……俺って……
由比はボタン外そうとしていた手を止めて、ぽりぽりと頭をかいた。
焦っていた気持ちが、少し落ち着く。
「お粗末なものをお見せいたしまして」
もっと可愛い子のならねぇ。
あはは、と笑うと、圭介はやっと由比と視線を合わせた。
その口端は、少し上がっていて。
「……結構なものを、ご馳走様でした」
「……」
圭介さんが、狂った。
由比、心の言葉。