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「午前中、遠野弟に会いましたよ。なんだか図書委員に使われてるみたいでしたが、ホント人がいいですねぇ。あぁ、もう一人使われてる女の子がいたなぁ」
あの子がきっとその子だったんですねぇと、呪文のような言葉を溝口が呟く。
あの後なぜか動きの早くなった溝口と共に見回りをしていた圭介は、見回るべき場所の最後の階に来ていた。
ここは下の階に通常のクラスが入っている為、部外者が比較的もぐりこみ易い。
鍵を手に入れるとは思えないが壊して入る事も考えられるため、午後の見回りの際は面倒だけれど必ず各部屋を鍵を開けて見回ることになっていた。
「そういえば、溝口先生はなぜ職員室にいたんです?」
通常見回りや当番でなければ、担当準備室にいるか校内を見て回っているかどちらかだろうに。
溝口は手前から鍵を開けて中を覗き込みながら、あぁ、とぼやく。
「鍵を返しに。図書室と図書準備室のスペアキーを、朝、図書委員会に持っていかれましてねぇ。マスターキーがあるから見回りには問題なかったんですが。それをさっき返してもらったから職員室のキーケースに入れようとして、こんな事になったわけですよ」
まだ文句をいうのか、と半ば呆れながら圭介はそうですかと答える。
「その鍵が遠野に渡って、図書委員にこき使われたんでしょうねぇ。悪いことしたなぁ」
溝口が会った時に翔太は由比さんを着替えさせてたのかなと、溝口の言葉を聞き流しながら圭介は知らず口元を押さえた。
思い出すと、どうしても口元が綻んでしまう。
しかし、やられたなあれは。
翔太にしてやられた。
自分じゃ考え付かなかった、由比さんを守る行動。
かなり自分の願望も取り入れていたみたいだったが。
あれなら、外で会っても由比さんに気がつく生徒はいないだろう。
女子高生姿の由比さんは、似合いすぎるほどはまってた。
それを見て、驚いて固まった自分。
そしてそれを見て、得意そうにニヤニヤしていた翔太。
内心喜んでしまった自分が、なんとも気恥ずかしい。
「何、顔だけでのろけてるんですか。遠野先生」
溝口がドアの鍵を開けながら、圭介を振り向く。
「……いえ、そんなことは?」
顔が緩んでいた事を自覚していた圭介は咳払いで意識を切り替えながら、顔を上げて……固まった。
目の前には溝口。
その向こうに、開いたドア。
そしてその向こうに……
「溝口先生」
考えるより先に、体が動いた。
溝口の肩を持って、横に退かす。
「え?」
圭介のいきなりの行動に、なんの抵抗もなく溝口の体がドアの横に動いた。
圭介は開いていたドアを閉めると、鍵を掛ける。
そして呆気に取られている溝口を見上げた。
「まずい事になりました」
「は?」
意味が分らないと眉を顰める溝口に、圭介は真剣な表情を浮かべる。
「体育館を見るのを忘れてしまいました」
「あ」
圭介の言葉に溝口は思い出したように口を開いた。
「そーいえばそうでしたねぇ。特別教室棟の向こうだから、ここに来る前に行ってしまえばよかった」
面倒くさそうにがりがりと頭をかく。
鍵を返すべき職員室は今いるこの棟にあり、もし体育館を見回りに行くのならばもう一度ここに戻ってこなければならない。
「ていうか、俺の場合教官室への帰り道ですよ。うっわ、面倒」
圭介は、その言葉に眉を微かに上げた。
なぜなら……、溝口がそう言い出すのを待っていたから。
「ならば鍵は私が戻しましょうか? ですので……」
面倒くさそうに顔を顰めていた溝口が、嬉しそうに目を見開いた。
「あぁ、俺が体育館を見に行くと! それいいですね! 俺、もう早く解放されたいですし!」
持っていた鍵の束を圭介に手渡すと、いっそ清々しいほどの爽やかな笑みを浮かべた。
「教官室に一人くらい残ってる先生もいますから、体育館はちゃんと見回りますよ。じゃ、鍵をお願いしますね」
軽く片手を上げるとさっさと廊下を駆けていき、視界から消えた。
よっぽど見回り当番がいやだったらしい。
その素早い行動に思わず苦笑がもれる。
実際、圭介は体育館の見回りを忘れていたわけではなかった。
ここの見回りが終わった後、先に鍵を返してから行こうと思っていたのだ。
とくに鍵を使う場所はないわけだし。
そのまま由比さんや翔太を探してみようと思っていたんだけれど。
溝口が、単純明快な性格でよかった。
井田先生なら、こうは上手く騙されてはもらえなかっただろう。
「さて、と」
圭介は視界に誰もいない事を確認すると、準備室の鍵を開けた。
極力音をたてない様に、そっとドアを開ける。
そこには、先ほど溝口の向こう側に見えていた光景が変わらず佇んでいて。
圭介は一つ息を吐き出すと、準備室に身体を滑り込ませた。
ゆっくりとドアを閉めて、鍵を掛ける。
カチリと響いた硬質な音に、この光景が動いてしまうのを恐れながら。
じっと様子を伺うと、何も変わらず規則正しい呼吸音が微かに聞こえて安堵の溜息を零した。
さっきは、心臓が止まるかと思った。
いや、一・二拍は絶対飛んだ。
もう一度ゆるゆると息を吐き出すと、サンダルの音を極力抑えながら窓際に近づく。
そこには規則正しく上下する背中と、腕に乗せられた横顔がこちらに向いていて。
ゆっくりと近づいて、覗き込む。
窓に向けておいてある小さな机に両腕を置き、その上に頭を乗せて幸せそうに目を瞑る人は。
目のやり場に困る服を着て眠る、由比さんだった。