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「そういえば、高校の先生をされているんですね」
シチューを口に運んでいた圭介さんは、えぇ、と頷いた。
「日本史を担当してます。今は興味を持ってくれる学生が多いので、助かってますよ」
「圭介自身が人気あんじゃん。俺も同じ高校通ってるんだ」
空いている手を軽く振りながら突っ込む翔太に、思わずうんうん頷く。
「確かに圭介さん、人気ありそう。バレンタインデーとか、結構貰っちゃうんじゃないですか?」
私も女子高時代、先生にあげたなぁ。
義理だけど。
でも、圭介さんは本命で貰えそう。
「そうですねぇ、今の子達は義理堅いみたいで」
「いや、義理じゃねぇし」
去年どれだけ凄かったかを楽しそうに話す翔太に、君もでしょ、と笑う。
「たくさん貰いそう」
そう言うと、翔太は少し遠い目をして自嘲気味に笑った。
「俺こそ義理。あと、“遠野先生に渡してください”とか言うのも多い」
「そう? もてそうなのに」
「どうせ女への冒涜ですからね」
あー、根にもたれた。
ふて腐れたように口を突き出すその顔は、どう見ても子供。
背もそこそこ高いのに顔が可愛いから、どうしても友達になっちゃうのかしら。
私は翔太の頭を軽く叩くと、ごめんと謝った。
「謝ってるように見えないけど?」
……顔が笑ってるのは許せ。
「どちらにしても、バレンタインデーは大漁なわけですね。おすそ分け、楽しみにしてます」
にこにこ頭を下げると、由比こそ寄越せ、と突っ込まれました。
いいじゃない、そんだけ貰えるなら。
圭介さんはのほほんと笑いながら、
「来年の事を言うと、鬼が笑いますよ」
「「……」」
と、きっと今の若い子には通じないような言葉をおっしゃってました。
「あら、由比ちゃん。お昼食べてるの?」
圭介さんを生暖かく二人で見ていたら、後ろから声をかけられて振り向く。
そこには、大家さんの奥さんの姿。
五十代の奥さんは、明るくておおらかで肝っ玉母さんみたいな人。
丁度、外から帰ってきたのだろう母屋に行く途中らしかった。
ちなみに母屋は庭を突っ切って、防風林の向こう側にある。
「こんにちは。孝美さん」
ベンチから立ち上がろうとすると、それを制するように孝美さんが片手を振った。
座っててという言葉に、そのままの体勢で顔だけ向ける。
「あら、新しい住人さんね。遠野さんだったかしら?」
孝美さんは私の後ろに立つと、目の前の二人に笑いかける。
圭介さんと翔太はベンチから立ち上がって、頭を下げた。
「今日から、どうぞよろしくお願いします」
「お願いします」
圭介さんに続いてぺこりと頭を下げる翔太に、一瞬呆気に取られる。
何、この殊勝な態度は!
思わず見つめた私に、少し目を細めて見返す翔太。
それに気付かない孝美さんは、二人に座るよう促すと私の肩に手を置いた。
「もう仲良くなったの? お隣さん同士、いいことねー」
「あはは」
さっき、圭介さんには心配されちゃいましたけど。
「じゃあね」
孝美さんは楽しそうに笑うと、帰っていった。
それを見送って視線を戻すと、翔太をじと見。
「何、今の態度。凄い大人しくなっちゃって」
「由比にも同じ態度、とって欲しい?」
私の言葉ににやりと笑うその顔に、何か薄ら寒い感じがするのは気のせい?
翔太は持っていたスプーンを皿におくと、その可愛らしい顔を最上級に駆使したキラッキラの笑顔を私に向けた。
「由比さん、本当にお昼ご飯ありがとうございます。とてもおいしくて、僕、凄く嬉しい」
「……っっ」
うっ、うわぁぁぁぁっ
真っ赤……になるはずがない!
キラキラ笑顔が、可愛らしい顔に似合う言葉遣いが、こんなにも恐ろしく感じるとは!!
「嘘くさい、無理っ」
鳥肌が全身に広がりそうで、両手で自分の腕を抱きしめた。
翔太は聞こえない振りをしたままにっこり笑うと、小さく首を傾げた。
「また、作ってくれる?」
ぶぁぁぁぁぁっ←鳥肌が全身に広がるの音(笑
「無理ーっ! 絶対裏がある、その笑顔には裏しかないっ!」
鳥肌を鎮めようと高速スピードで腕をさする私を、いつもの調子に戻った翔太がケタケタ笑っていて。
その態度にカチンと来て、じろりと翔太を睨む。
「大体、私の方が年上なのに、何で呼び捨て? しかも、ため口っ」
かといって、今更敬語で話されても怖いけど。
裏がありそうで←こことにかく大事
「いい名前じゃん、由比って。由比も俺のこと呼び捨てでいいよ? それに初対面から抱きつかれて、敬語も何もないよねぇ。」
翔太の言葉に、顔に血が上る。
「だっ、あっ、あれは! ベランダから落ちるかと思ってっ」
「離してっていったのに、離してくれなかったじゃん」
翔太、絶対しつこい!
「翔太、いい加減にしなさい」
それまで静かだった圭介さんが、食べ終わったのか口を開いた。
「少し馴れ馴れしすぎる」
「つーかさ」
翔太は圭介さんの言葉を遮ると、背中を伸ばすように少し反らした。
「圭介は年上なのに、堅苦しすぎ。由比は圭介の事名前で呼ぶんだし、由比の事だって名前呼びすれば?」
「ちょっと、翔太くん」
何でそこに飛び火するんだと慌てて名前を呼ぶと、翔太は首を横に振った。
「翔太」
呼び捨てって?
既に頭の中で呼び捨てにしていたんだけど。
「んじゃ、翔太。別に、私は……」
「上条さん」
今度は圭介さんが私の言葉を遮る。
「はい?」
視線を向けると、少し真面目な顔をした圭介さんが私を見ていた。
「私が敬語だと、やはり気になりますか?」
「え……と?」
う~ん……
圭介さんに聞かれて、思わず苦笑してしまった。
翔太に言われるのもあれだけど、確かにずっと気になっていた。
私が圭介さんと呼んで、向こうは上条さんと呼ぶ。
なんか、私が馴れなれしすぎる気がする。
敬語に関しては、会った初日で敬語じゃない方が珍しいと思うけど。
圭介さんは苦笑いの私を見て、ゆっくりと頷いた。
「そうですね。年下の方に、気を使わせてしまうのも申し訳ないですし。では敬語もやめ。貴女も止めてくださいね? そして……」
そして?
「由比さんと、呼びます。いい?」
ぶわっ、と自分でも顔が真っ赤になるのが分かった。
鼓動まで、跳ね上がる。
敬語じゃないしっ! 由比さんだって!
「はい、いっいいです……」
なんか、すっごく恥ずかしいんですけど。
圭介さんはふわりと笑うと、右手を私の前に出した。
「?」
頬を押さえながらそれを見ると、右手を取られて強制的に握手。
「改めて、よろしくね。由比さん」
「――は、い」
ニヤニヤと笑う翔太の視線を感じながらも、真っ赤になる顔を止められない。
――これが、お隣さんと会った、初めての日でした。
私の平穏な日の最後だったと言っても、過言ではない(涙