8
「なんだよ、圭介」
由比が出て行った後。
じっと自分を見る圭介に、翔太は背もたれから背中を離して頬杖をついた。
圭介は立ったまま、口を開く。
「どうした?」
何が、を、言葉にしないけれど翔太には伝わったらしく、にやりと笑った。
「別に、学校では今までどおりで行くよ? でも、由比がいる時はTPO考えない事にした」
「TPO?」
「そ。圭介は置いといて、周りには今までどおりにする。でも由比に対してはそこに誰がいようと、そこがどこであろうといつもの“自分”で傍にいたい」
珍しく素直に答える翔太に、圭介は少し戸惑ったように瞳を揺らす。
「そんなに大切に思う由比さんを、どうしてここに連れてきたんだ?」
私も好きだといっただろう?、と言外に含めると、翔太は細めていた目元を緩めて首元を手で押さえた。
「……前に、由比のことで馬鹿なことしたから」
馬鹿なこと?
首を傾げる圭介に、翔太はポケットに入れておいた携帯を取り出して机に置いた。
それで伝わったのだろう。
翔太が言っている、馬鹿なこと。
一緒にご飯を食べる事になったのを、些か婉曲して圭介に伝えたのだ。メールで。
それにのせられて行動した圭介は、由比に対しての感情を自覚するに至ったのだが。
「それと何の関係が……」
そんな事、とうに忘れていたけれど。
翔太は一度口を開いてすぐに閉じると、視線を彷徨わせながら幾度目かにぼそりと呟いた。
「悪い事したと、思ったから」
「悪い事?」
すぐさま聞き返すと、翔太はあーとかうーとか唸りながら諦めたように溜息をついた。
「圭介が由比の事どう思ってるか知りたくて、試すようなことしたから。まぁ、それで自覚されて、しかも宣戦布告を受けて散々な結果になったけど。それに……」
自嘲気味に肩を竦めた翔太の言葉尻を、繰り返す。
「それに?」
「それに……、その……」
言いにくそうにぶつぶつと呟いていた翔太が、がばっと顔を上げた。
「なんつーか、その、俺は……だからっ!」
「うん?」
見る間に赤くなっていく翔太の顔を、不思議そうな顔で圭介が見下ろしている。
懸命に何かを言葉にしようとしていた翔太だったが、何かプチンと切れてしまったらしい。
「うるさいな! じゃあ、見なくてもよかったんだな!? 連れて来なけりゃよかったんだろ!?」
「……」
あまりの恥ずかしさに逆切れした翔太は、パイプ椅子をけり倒す勢いで立ち上がった。
圭介が呆気に取られたように、瞬きをしている。
「どうした、翔太……」
呆気に取られたようなその声に、翔太の羞恥心は一気にマックスまで駆け上った。
「もういい! 俺、由比とクラス回ってくるから! じゃあなっ」
そう叫ぶと、逃げるように準備室を飛び出した。
後ろから自分の名前を呼ぶ圭介の声が聞こえたけれど、翔太の足は止まらなかった。
くそっ、改めて言えるか!
弟だから、遠慮する間柄じゃないって言われて嬉しかったとか!
自分は探る事しかできなかったのに、堂々と宣戦布告してきた圭介の態度に……
由比に対して、対等な関係だと暗に言われたみたいで嬉しかったとか!
考えるだけでも頭に血が上って、顔が真っ赤に変わっていく。
その時、丁度廊下をこっちに向かって歩いてくる由比が視界に映った。
その姿は、どう見ても高校生で。
童顔の由比を、社会人だと思う人はきっといないだろう。
その時、顔を俯けていた由比が、何か気付いたように顔を上げた。
何してるの? とでも言うような、怪訝そうな表情。
その姿を認識した途端、翔太は一気に駆け寄ってその細い手首を掴んだ。
「行くよ、由比」
「は? 何真っ赤な顔してるの、翔太ってば」
翔太に引っ張られるように階段を降り始めた由比の声に、何も答えず足を進める。
――由比に対してはそこに誰がいようと、そこがどこであろうといつもの自分で傍にいたい
さっき、圭介に言った言葉。
素直で、裏表のない、屈託無く笑う由比。
彼女の前だけは、誰にどう思われようとも、“自分”でいたい。
作り上げた遠野翔太ではなく、本当の“自分”で。
「ていうか、ちょっと翔太! とりあえず、着替えさせてぇぇぇっ!」
まだ諦めていなかったらしい由比の言葉に、翔太は満面の笑みを向けて頭を振った。
「嫌」
その言葉に、きょとん、と由比が瞬きをする。
けれどすぐに……
「可愛く言ってもダメだからぁっっ!」
そう叫ぶ由比が可愛くて抱きしめたくなったのは、とりあえず自分だけの秘密。