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養護教諭は用事があるらしく、表のドアに“職員室にいます”という大きな文字の書かれた紙が貼ってあった。
圭介は首を少し傾げながら厚生室に入ると翔太をベッドに促し、自分は氷嚢を作るべく冷凍庫から氷を出す。
翔太は大人しくベッドに入りながら、上体だけ起こして溜息をついた。
これで、次の時間休み決定だな。
「痛むのか?」
氷嚢に氷を入れながら、圭介が話しかける。
翔太は曖昧に返事をしながら、手を伸ばした。
「自分でやるから、圭介は授業に行ってよ」
「はいはい」
氷嚢の口を閉じた圭介は、それを持ってベッドの傍まで歩いてくる。
そのまま氷嚢を翔太に手渡す。
翔太はそれを受け取って打ち付けたところに寄せると、圭介から視線を外した。
情けない。
大人になりたいと、由比や圭介と同じ場所に上がりたいと思っていながら、感情に左右されすぎる。
その状態を見られてしまったのが、情けなさすぎる。
「翔太」
動く気配の無い圭介はベッドの横に立ったまま、翔太を見下ろしていて。
少し逡巡した後、傍にあった椅子に腰を降ろした。
見えなかった圭介の顔が視界に入って、翔太は視線だけそっちに向ける。
「何?」
小さく答えると、圭介は目を細めて微かに笑った。
「私も、由比さんの事、好きだよ」
「え……」
なんのタイミングでもなくいきなり言われた言葉に、翔太は口を開けたまま圭介を見返した。
圭介は、相変わらず笑んだままじっとこっちを見ていて。
「なんで、いきなり」
翔太はいささか混乱したまま、呆けたように圭介を見つめる。
「昨日、気がついたばかりだから」
「は?」
昨日? あれだけ由比のことを過保護にしながら、気がついたのが昨日?
圭介は翔太の言いたいことに気がついたのか、自嘲気味に溜息をつく。
「こんなに自分が鈍いとは、思わなかったよ」
頭の痛みより圭介の言葉に頭が真っ白状態の翔太は、戻ってきた意識下で“鈍いだろ、いつも”と思いながら見開いていた目を少し伏せた。
「だからって、俺に、言わなくても、いい……だろ」
切れ切れになっている自分の言葉に内心舌打ちしながら、じっと手元を見つめる。
圭介は少し照れたように笑いながら、翔太の頭に視線を移した。
「土日、私に対して挑発まがいなことを言ったり行動をしたりする割には、罪悪感を感じてるみたいだから。可愛いなぁと思って」
「……うるさいな。可愛いって何だよ!」
自分の心情を見通されていたことに、翔太の顔は余計下を向いていく。
恥ずかしさに顔が熱くなりそうで、持っていた氷嚢を頬にずらして圭介の視界から頬を隠した。
「ていうか、わざわざ言わなくても」
それだけ、自分に自信があるってことか?
捻くれそうな心情で思わず言い捨てるように呟いた言葉に、圭介は笑った。
「お前が先に宣言したんだろう?」
「……そりゃそうだけど」
普通、先に好きだって言ってる奴相手に、俺も好きになったとか言うかよ。
「大体、弟相手になんで遠慮しなきゃいけない?」
その言葉に、翔太の中で感情が昂ぶって……急速に冷えた。
“弟”
圭介が簡単に発するその言葉は、翔太には少し重い。
なぜなら……
「例え半分しか血が繋がっていなくても、お前は私の弟だろう? なら、遠慮はしないよ。翔太もすることない。我慢する間柄でもないだろ」
冷えた感情に、圭介の言葉が広がる。
“弟”
思い出したくない、過去。
忘れたい、過去。
半分しか血の繋がらない、圭介と俺。
圭介にとって、疎まれてもおかしくないのに。
笑って、俺を“弟”と言ってくれる。
我慢する間柄ではないと、言ってくれる。
翔太は目を瞑って、感情を押さえ込む。
圭介には、勝てない。
――でも。
「……由比は、どっちを選ぶかな」
「さぁ、どっちも選ばないという選択肢もあるしね」
圭介は笑いながら、椅子から立ち上がる。
「このまま休んで、三時間目から戻るんだよ。いいね?」
「……はいはい、過保護遠野せんせー」
それにうるさいよと言葉を返して、圭介は出入り口のドアに手をかけた。
翔太はその背中に、声を掛ける。
目一杯、意地悪そうな声で。
「圭介は、確実に鈍いよ」
振り向いた圭介は、そうかなぁと首を傾げながらドアの向こうに消えた。
廊下を歩いていくサンダルの音が、遠くへと消えていく。
「まったく、嫌になるほど“いいおにーちゃん”で」
翔太は窓に視線を向けて、溜息をついた。