27
「おはよ、由比。何してるの?」
翌日、プラスチック容器を持って階段を上がろうとしていたら、二階から声を掛けられて顔を上げた。
「あぁ、翔太。おはよー」
上から降りてくる翔太と目が合って挨拶を返しながら、少し首を傾げる。
「翔太、どうしたの?」
目の前まで降りてきた翔太は、私の言葉に不思議そうな表情を浮かべて、何が? と問い返してきた。
私は持っていた容器を階段に置くと、翔太の顔を覗きこむ。
「なんだか、凄く疲れた顔。何、そんなに学祭の準備って大変なの?」
疲れたというか、表情が暗いというか。
翔太は私の言葉に少し驚いたように目を見開いて、すぐさまその表情を笑顔へと戻した。
「別に、疲れてないよ? それよりこれ運ぶの?」
……誤魔化した?
すぐに目を逸らした翔太の態度に不自然さを感じながらも、突っ込まずに頷く。
「うん、物置にしまっておいたんだけど……」
「運ぶから、ドア開けて」
そう言って横から持ち上げようとするのを、慌てて制した。
「いいよ、重いから。自分で運ぶよ」
腰痛めちゃうからと容器を持ち上げようとすると、さっさと取り上げられた。
「うわ、ホント重い。なにこれ」
「翔太、いいってば」
手を伸ばすと、ひょいっとかわして階段を上がり始める。
「いいから。で、何するの、これ」
翔太の背中を見上げながら諦めると、ふぅっと息を吐いて後ろからついていく。
「昨日買ってきた大根、なんちゃって千枚漬けにしようかと思って。しまっておいた漬物容器と重しを出してきたの」
翔太は階段を上りきって廊下を歩き出すと、なるほどと頷いた。
「それで重いんだ。ほら、由比。ドア開けて」
そう言いながら少し身体を斜めにして、私がすり抜ける隙間を作る。
それに従うように翔太の横を通り抜けると、部屋のドアを開けた。
翔太は玄関に容器を下ろすと、ドアを押さえていた私を振り返った。
そのまま出て行くでもなく、立ち止まったままの翔太と目が合う。
なんだろうと不思議そうな目で見返すと、翔太が口を開いた。
「……由比」
名前を呼ぶ少し暗い声に、さっき見た表情が重なる。
「……どしたの?」
問いかけた私に、翔太が口を開く……けれどすぐに閉じた。
いつもの翔太らしくない雰囲気に、内心首を傾げる。
なんなんだろう。
さっきの暗い表情といい、今目の前にいる無表情の翔太といい。
いつもの、こっちを振り回している翔太じゃない。
何か、様子がおかしい……。
昨日はおかしくなかったよね?
もっていったおかず、嬉しそうに受け取ってくれたし。
「翔太?」
名前を呼ぶと、幾度か瞬きをしてからさっきまでと同じ様に笑いながら顔を部屋の中へと向けた。
「すげぇいい匂い! これから朝飯?」
「……」
不自然な話し方に、思わず翔太のTシャツの裾を握る。
それに驚いたように翔太が私を見た。
「由比?」
問いかけてくるが、反対にこっちが聞きたいんだけど?
どう言葉にしていいか迷っていたら、翔太は首を少し傾げて私の手を取った。
なぜか動いたというのに、冷たいその手のひらに目を見開く。
「翔太、手、冷たい」
驚いて両手で翔太の手を包む。
「なんでこんなに冷たいの? 何、どうしたの?」
そういいながら顔を上げると、にっこりと笑う翔太と目が合った。
「腹減ったから」
「……」
話の流れ的に、流石の私でも言葉を額面どおりには受け取れませんが。
疑わしそうな視線を向けても、翔太の笑みは崩れない。
まぁ、さっきの無表情が気になるって言うのもあるけど……
聞き出すのを諦めて、小さく息を吐き出す。
「圭介さんは? 寝てるの?」
「さっき起きたばっかり」
昨日、結構動いたもんなぁ。
翔太の手を離して、靴を脱いで上がる。
そして容器を持ち上げると、翔太を振り返った。
「ほら、ご飯食べるんでしょ? 圭介さんも呼んできて?」
「え、上がっていいの?」
台所へと歩き出しながら、いいよと答えた。
「人んちの台所使うより、自分ちの方が早いもん」
「やりぃ」
翔太はドアを閉めると、そのまま後ろをついてくる。
そのまま台所の端に容器を置くと、物珍しそうにきょろきょろと部屋を見渡している翔太の背中を叩いて椅子に促した。
「圭介さんは?」
翔太は椅子に座りながらジーンズのポケットから携帯を出して、それを開ける。
「呼びに行ったら、絶対止められる。そして、由比は怒られる」
「えー、怒られないよ。初対面じゃないし、昨日も妹って言ってくれたしね」
翔太は一瞬目を上げて私を見たけれど、すぐに携帯に目を落とす。
「俺は? 俺、由比の事、ねーちゃんとか思ってないんだけど」
「え、おかーさん?」
餌付けしてるから。
「こんなちっちゃいかーさん、ありえない」
「なんですって?」
翔太はメールで圭介を呼び出したのか、操作し終わった携帯をポケットに突っ込んだ。
「俺、出汁巻き食べたい」
丁度冷蔵庫から卵を取り出していた私に、テーブルに頬杖をついた翔太がリクエストをしてくる。
そういえば、甘くない卵焼きが好きなんだっけ。
「はいはい」
冷蔵庫にストックしてあるだし汁を取り出して、たまごを割りいれたボウルに入れる。
薄口しょうゆとみりんで味をつけて、準備完了。
シンク下から卵焼き用のフライパンを出してざっと水で洗うと、それをコンロの上に置く。
「今日、和食な気分だから、卵焼きとたらこと海苔とー、お味噌汁だけど。若者よ、それでいい?」
パンとかの方がいいんじゃないかなぁ。
卵液の入ったボウルを手に翔太を見ると、頬杖をついたままの彼と目が合った。
その顔は、なぜかとても幸せそうで。
「どうしたの、翔太」
さっきの無表情とのギャップが……。
翔太は体勢はそのままで、目を細める。
「由比が母親ってのは却下だけど、こーいうの、いいな」
「? こういうの?」
温まったフライパンに向き直って、油をひく。
だから、翔太がどんな表情をしていたのか、その後は分からなかったけど。
「うん、こういうの」
ただ、その声はとても穏やかで。
様子がおかしかったから、その変化にほっとする。
背を向けている翔太を気にしながら、たらこをアルミホイルにのせてオーブントースターに入れる。
その時、隣の部屋のドアが勢いよく閉まる音が振動と共に響いた。
思わず肩を竦めて、玄関に顔を向ける。
台所のドアの向こうだから、開いたとしても直接玄関を見ることは出来ないけれど。
「ほ~ら、怒られるよ。あの勢いじゃ」
楽しそうにくすくす笑う翔太につられるように、私まで笑いが漏れる。
「過保護だよねぇ、圭介さん」
「だな」
そのあとすぐにうちの玄関のドアが開いて台所に駆け込んできた圭介さんの必死なその顔に、私と翔太は思わず大声を上げて笑ってしまった。
……その後、ものすっごく怒られたのは言うまでもない。
……ていうか、なんで。