25
「ごめんなさい……」
あれから泣きたいだけ泣きつくした私は、涙が引っ込むと同時に今度は羞恥心にさいなまれることとなった。
あんなふうに言ってくれる人なんて、いなかったから。
優しい言葉に、甘えてしまった。
擦りすぎてひりひりする目を手のひらで押さえながら圭介さんに言うと、謝ることじゃないよ、と優しい声が返ってくる。
うぅ、なんなんだ。圭介さんってば、なんなんだよぅ……。
一人で頑張れなくなるじゃないか。
どうしてくれるんだ。
大きく息を吐き出して、顔を上げる。
「あー、もう大丈夫。圭介さん、ありがとう。もう、ホントいろいろと」
「いや? 少しでもすっきりしたなら、それでいいよ」
「はは、そりゃもうすっきりというかさっぱりというか。大変楽になりました」
ありがとうと笑うと、圭介さんは目を細めて立ち上がった。
「うん、いいことだね。さて、そろそろ帰ろうかな」
翔太も帰ってくる頃だし、と玄関のドアを開ける。
ドアの向こうには、真っ暗な空が広がっていて。
そこでいつの間にか玄関の電気がつけられていたことに気がついた。
圭介さんって、よく気がつくというかなんと言うか。
「やっぱり、いいなぁ」
歩き出そうとした足を、私の言葉で止めて振り返る。
「……いいなぁって、何が?」
不思議そうな顔で見下ろされる。
いいってそりゃ、もう。
「圭介さんって、凄く優しくて、話もちゃんと聞いてくれて、先生だからかすこーし過保護すぎるけど頼りがいがあって」
「……由比さん?」
見る間に赤くなっていく圭介さんが、ちょっと可愛いかもしれない。
珍しい表情を見れたことに笑いながら、圭介さんを見上げる。
「やっぱりおにーちゃんていいなぁって。隣に越してきてくれて、私的すっごいラッキー」
「……おにい……ちゃん?」
鸚鵡返しのように繰り返す圭介さんに、うんうんとおもいっきり頷く。
「翔太が羨ましいな、ホント」
こんなに優しいおにーちゃんがいて。
「私、兄弟いないから凄くいいなぁって思う。圭介さんと翔太って。本当に仲いいもの」
全面的に圭介さんを信頼している翔太と、それを見守る圭介さん。
なんだろう、絶対的な安心感と言うか。
必ず一緒にいるっていう、信頼感と言うか。
つらつらと話す私に、圭介さんはくすりと笑って頭を撫でた。
「由比さんも、私の妹、だよ」
「はは、うん、ありがとう」
気を遣ってもらっちゃってるのが、よく分かるから。
首の後ろを押さえながら笑うと、圭介さんはもう一度撫でてぽんぽんと軽くバウンドさせた。
そのまま手を下ろす。
「だから、嫌なことや悲しいことがあったら絶対に我慢しない事。おにーちゃんに、頼りなさい。ね?」
「うん」
優しい言葉と、優しい表情と。
やっと引っ込んだ涙がまた滲み出しそうで、誤魔化すようにことさら明るい声で話を変えてみる。
「でも、圭介さんって、たまに一人称変わるんだね」
「え?」
「“俺”って、さっき言ってた。“私”としか聞いたことなかったから、ちょっとびっくりしちゃった。既にもう戻ってるし」
圭介さんは苦笑しながら、頬を指先でかく。
「あまり意識してないんだけど。まぁ、忘れて」
「えー、なんかいつもとのギャップでいいと思うけどなぁ。たまには」
「……そう?」
「うん。女子高生メロメロ」
圭介さんが、固まりました。
そして息を吐き出すと、ぽんっと私の額を押した。
「まったく、何を言いだすか分からない子だよ」
そう笑うと、開けたままだったドアを大きく開いた。
「それじゃ。少し休んでから動くんだよ?」
「はいはい、過保護圭介さん。後で夕飯のおかず持っていくからね」
「あれ? さっきは明日って言ってなかったっけ?」
意地悪そうに口端をあげた圭介さんを、軽く睨む。
「そーいう事言うと、翔太の分だけしかもっていきません」
「ごめんごめん、楽しみにして……っと」
表に出た圭介さんが、横を見て一瞬、目を見開いた。
「?」
けれどすぐにその目を細めて、穏やかな笑みを浮かべる。
「翔太、お帰り」
「え?」
翔太?
スニーカーを履いて、圭介さんが支えたままのドアから顔を出す。
そこには、丁度部屋のドアを開けようとしている翔太の姿。
「お帰りー、翔太」
「ただいま。どーかしたの?」
鍵だけ開けて、翔太がこっちに歩いてくる。
「あはは、なんもないよ。翔太、今日の夕飯期待しててね」
大泣きしてましたなんて、圭介さんに見られたのでさえ恥ずかしいのに翔太にまで知られたくないし。
恥ずかしい限りだ。
翔太は圭介さんが押さえていたドアを自分で押さえると、キラキラしい笑顔を浮かべる。
「マジで? んじゃ、すげぇ期待しとく」
「任せろ! 沢山食材買ってきたし。ね、圭介さん」
「そうだね」
ふふふ、と笑いあう。
「じゃ、また後で」
そう私が言うと、二人は自分たちの部屋に帰っていった。
私はその場でぱちりと、両頬を叩いて拳に力を込める。
「うん、大丈夫!」
なんだか思い出すと恥ずかしいけれど、本当に本当に心が軽くなったから。
「これからもよろしくお願いします、おにーちゃん」
そう呟いて、夕飯の支度に取り掛かった。