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きっと、それは  作者: 篠宮 楓
第3章 とある攻防 とある策略
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19


直情型の人が好きな女性はやっぱり直情型なのか、その日以降、悪意ある悪戯は格段に減った。

なんだか、今までのことが嘘みたいにあっけなく。

まぁ、全部っていうわけじゃないんだけど。

そしてびっくりなことが一つ。

あの直情型桐原主任が、何も行動を起こさなかった事だ。

怒鳴り込みに行くかと思ったのに、それも無く。

そしてあれから一週間、桐原主任と話していない。

様子を見に来ていた残業の時でさえも、昼ご飯の時でさえも。

駅でも、待たなくなった。

めちゃくちゃあからさまなのに、なんでそれ皆信じるの? て思うくらい。



いやー、ここまで徹底されるとさすがに驚く。

なんだろう、今まで子供っぽい態度だったのがいきなり大人の対応になった感じ。

どうしちゃったんだろ、ね。


そんなことを考えていた金曜日、あっさりと定時はやってきた。

減った悪戯は仕事を早く終わらせてくれて、本当にありがたい。

頼むから、全て終わりにしてくれないかな。

倉庫を汚すのだけ、なかなか収まらないんだよね。

執念深いおねーさまがいたもんだ。

そんな人に思いを寄せられる桐原主任を少しだけ可哀想とか思いながら、当番で残る桜に手を振って総務課を出た。

一応、倉庫、見てから帰ろう。

その時、隣の人事課のドアが開いて、少しドクンと鼓動が高くなる。

しかしそこから顔を出したのは、皆川さんだった。

ほっと、息を吐く。

ドアを閉めようとした皆川さんが、立ち止まった私に気付いてにこりと笑った。


「帰り?」

その言葉に、強張った体の力が抜ける。

「はい。ちょっと下に行ってから、帰ろうと思いまして」

「下に? あぁ、そうなの。気をつけてね、お疲れ様」

もっと突っ込まれそうな感じがしたけれど、あっさりと話を終わらせてくれたので違和感を感じながらも頭を下げる。

その間にドアを閉めたらしい、そんな音が耳に届いた。

「はい、お疲れ様です」

そう言って、皆川さんの横を通り抜ける。

閉められたドアの向こうは、窺い知る事はできない。

ただ、根は優しい不器用な桐原主任が、あんまり悩んでなければいいなと、そう思った。




非常階段を降りて、備品倉庫に向かう。

ドアを開けてくるりと見渡しても、廊下から漏れる明かりに照らされるそこに特におかしな場所はない。

よかった。

もう、こっちを荒らす人いなくなったのかな。

そう思ってドアを閉めようとした時。

後ろから階段を降りてくる硬質な音が聞こえてきて、慌てて倉庫の中に入って静かにドアを閉めた。

わー、もしかしてこれから悪戯タイムだったー?

最悪な時に来ちゃったなぁ。

とりあえず電気もつけてないし、どうにか誤魔化せるかな。


スチールラックを通り過ぎて、奥の壁際。

そこには布の被せられたスチールデスク。

その埃よけの布を掴んで机の下に入ると、自分を隠すように布を元に戻した。

なんか、ちっちゃい頃遊んだかくれんぼのようだね。

落ち着いている自分がおかしいけど、あそこまでやられるとある意味馴れてしまうのか、あまり怖くない。

なんていうか、吹っ切れてしまう。


私が布を戻すと同時に、ドアが開いて電気がついた。

布越しに明るくなる部屋に、やっぱり誰か来たんだなーとぼんやりと考える。

息を殺していると、足音がゆっくりと倉庫内を歩き回っているのに気付く。

そして―


「……上条、いるのか」

その声に、がばっと布を捲って顔を上げた。

今の、声!

衣擦れの音に気がついたのだろう、声の主がスチールラックの向こうから顔を出す。

「……いた」

そうやって微かに笑むと、傍に来ようとする足がふと止まった。

そして顔がドアの方に向く。

つられるようにラックが邪魔で見えないドアをの方に目を向けた私の耳に、不穏な音が聞こえてきた。


カツカツと響く硬質な細い音……それは、女性もののパンプス。

うぎゃ、ホントにおねーさま来たんじゃないの?

ちょっとまて、倉庫に二人きりって絶対まずい、これホンキでまずい。

驚きで固まっている私に一瞬視線を向けると、足音を立てずにドアに向かう。

小さな音がして、電気が消えた。

「……?」

いきなり暗くなった私の目は順応せず、何も見えない。

慌てて瞬きを繰り返していたら、隣に何かが滑り込んできて被っていた布を引き上げられる。

「え」

声を出した途端、倉庫のドアが開く音が響いた。

続いて付けられた明かりに、自分の今の状況を知った。

ぎゅっと押さえられた、私の口元には大きな手。

目だけを動かすと、隣に座るスーツ姿の人。


丁度私を見たその目と、私の目が合う。

――桐原主任。

久しぶりに、顔を見た。

少し驚いたような顔をした桐原主任は、音がしないように私から手を外す。

そのままそっぽを向いてしまった。

う~ん、この状況はどうかと思うけど、まぁ仕方ない。


息を殺して、様子を伺う。


倉庫に入ってきたのは、二人以上の女の人らしかった。

「あれだけ汚くしたのに短期間にここまでって、けっこう根性あるよね。あの子」

感心したように呟く声。

おっ、私褒められた!

「そうだねー、なんか桐原主任と最近ほとんど話してないらしいし。噂は噂だったって事?」

「でも、あれだけいちゃつきオーラ出してて、噂ってことないんじゃないの?」

いちゃつきオーラ!!

なんじゃそのオーラは!

その名称に愕然としていたら、桐原主任もぽかんと口を開けていた。

おぉ、ある意味レア顔!

おねーさん達に気付かれたくないけど、見せてあげたいかもっ。

「もう面倒だし、やめようよ」

お、いい感じに話が流れていますね?

「でも、なんか悔しい」

あれ、一瞬で希望は潰えるわけですか?

「でもさー、よく考えたら主任の方があの子を気にしてた感じじゃない」

「そんな事無いっ!」

いや、そんな事あります。

もう一度桐原主任を盗み見たら、真っ赤な顔で口をまっすぐ噤んでいました。

恥ずかしいんですね、そうなんですね。

ホント、分かってしまえば簡単単純な性格だわ。

あぁ、もしかしてだから無表情を基本にしてるのかな。


しかし、ここまで桐原主任に聞かれてしまうと、なんだか複雑な心境だなぁ。

ずっと隠してきたのに。

倉庫を片付けてくれた時点で知ってるとは思うけど、自分の目の前で聞かれるのはなんだか複雑。


ふぅ、と息を吐いてから意識をおねーさん達の会話に向ける。


ちょっと面倒だなー

一人だけ納得していないおねーさんがいるみたいですな。

「じゃぁ、あんただけやれば? 正直、本当に面倒。それに上にばれたら元も子もないし」

「ちょっ、何よ……っ」

それだけ言うとヒールの音を響かせて、二人とも倉庫から出て行った。



再び薄暗くなる、倉庫内。

耳を澄まして廊下に音がなくなったことを確認してから、隣に座っていた桐原主任がドア横にある電気をつけに立ち上がった。

つられるように机の下から出て、伸びをする。

スチールラックの後ろから出ると、丁度電気がついて眩しさに一瞬目を瞑った。

「眩しいっ」

手の甲で光を遮ると、慣れてきた視界に桐原主任の姿が映った。

もう一度瞬きをしてから、その手を下ろす。


「こんな所に、どうかしましたか? 桐原主任」

わざわざ倉庫なんかに。

「トナーとか? あ、でも使用済みのもの持ってないですね」

手元にも、ドア横のスチールデスクにも何ものっていない。

しかも役付きだし、そんなことは後輩君がやるよね。

桐原主任は少し視線をさ迷わせてから、一・二歩私の方に近づくとがばっと頭を下げた。

「俺の所為で、嫌な思いをさせた。悪かった」

「へ?」

思わず、首を傾げる。

「なんですか、いきなり」

もう、そのお話は終わった事ですよ。

桐原主任は頭を上げると、眉を顰めて私を見下ろす。

「さっきの社員達みたいな奴に、嫌がらせされていたんだろう? 気付かなくてすまなかった、本当に悪かった。それに……」

また頭を下げそうな勢いの桐原主任の頭を、思わず受け止めて持ち上げる。

私の行動に驚いたのか、目を丸くしたその顔が……なんだか笑いを誘う。


「いいですよ、分かってますから」

それに、の後に続く言葉はもう分かってる。

あんな風に、私に言った事。

でもそれが噂となって社内に広がったおかげで、嫌がらせが減ったんだから。

噂で嫌がらせされたなら……と、それを逆手に取ったある意味作戦だったんだろう。

まぁ、いきなりやられたこっちは驚いたけどね。

しかもそれで本当に嫌がらせが減ったから、凄いびっくりだけどね。


私の言葉に困ったようなほっとしたような複雑な表情をしたまま、桐原主任はこちらを見ていて。

抑えていた笑いが、止まらずに口から漏れた。

「ホント……、不器用ですねぇ」

もっと上手く立ち回れないものなのかと、六つも年上の上司に思ってしまう。


桐原主任は私の言葉に目を見開いてそのまま近寄ると、両手で私の頭を抱きしめた。

「ちょっ、桐原主任?」

いきなりのその行動に離れようと身じろぐと、頭の上からくぐもった声が聞こえてきた。

「俺、お前の事、本当に好きだ」

一語一語をゆっくりと呟くその声は、……今まで聞いた事がないほど優しくて。

今までみたいに押し付けるような、威圧を感じるようなものじゃなかった。

だからかもしれないけど、離れようとしていた気持ちが和らぐ。

私は俯いたまま、くすりと笑った。


「ありがとうございます。でも、ごめんなさい」

明るめの声で伝えると、頭の上で笑った感じがして頭のそばにある肩が小刻みに揺れた。

「あっさりだな、随分と」

「いや、前にも言いましたし」

聞いちゃくれませんでしたけどね。

そう続けると、まぁな、と笑う。

「本当に、悪かった」

「もういいですよ、桐原主任は五十パーセントくらいしか悪くないから」

「半分か」

「これでも軽くしてあげているんです。だから……もう、大丈夫ですよ」

私の言葉に溜息をつく音と、離れていく腕。


少し離れた……でもまだ手の届く範囲にいる桐原主任を見上げる。

そこには、最近ずっと見ていた不機嫌そうな表情ではなくて、吹っ切れたような気まずそうなもの。

「また、何かあったら……その時は言ってくれるとありがたい。気をつけるけれど、俺はそういうことに鈍いから」

「自分で言わないでくださいよ」

「最近のことを考えたら、大見得切れないだろう。なら、情けなくても伝えておいた方がいい」

後頭部手をまわして、がしがしと頭をかく。

それから息を吐くと、私を見た。

「それじゃ、気をつけて帰れよ」

くるりと身体を反転させて、ドアに向かう。


その背中を見ながら、私は口を開いた。


「ほとぼり冷めたら、奢ってください。高いもの。それでチャラってことで」

ドアノブに手を置いた桐原主任が、弾かれたように顔をこちらに向ける。

「桜と皆川さんと工藤主任、全員で桐原主任にたかりますから」

桐原主任は、その言葉に瞬きを幾度かして口端を上げる。

「今から節約して、資金貯めておくか」

「それが無難かと」

にこりと笑うと、主任も微かに目元を緩めた。

「あぁ、じゃあな。お疲れ」

そのまま片手を上げて、ドアの向こうに消えた。





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