表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きっと、それは  作者: 篠宮 楓
第3章 とある攻防 とある策略
43/153

17



整理されているのは、ドアから見える範囲だけ。

足を踏み入れたラック裏は、先に進みたくても立ち止まらざるをえない状況だった。

腰を落としてしゃがみこむと、散らばっている紙を一枚取り上げる。

なんでもない、会社の古いパンフレットの原稿。

機密性の低いこの手の書類は、鍵の無いスチールラックにファイリングされてしまわれているはず。

顔を上げて立ち上がると一番奥、壁際にある棚の引き出しを開ける。

そこには、綺麗にファイルが収まっていた。

手に取ると、拍子抜けするほど軽くて。

それもそのはずだ。中身が、一枚も入っていなかった。


それを手に、もう一度書類が散乱している場所に戻る。

ざっと見ただけでも、何冊ものファイルの中身をぶちまけたんだろう事が見て取れた。


――なぜ?

ここの管理者は、気付いていないのか?


倉庫にはそれぞれメインで管理している社員が、必ず一人いる。

ここの管理者は……


桐原はファイルを手に持ったまま、ドアに向けて歩き出す。

その横に置いたトナーの傍にファイルを立ててドアを開けると、その横の壁に貼ってある管理担当者の名前を見て絶句した。



――備品倉庫 総務課担当

管理責任者 上条



「上条?」

一瞬目を逸らして、再び確認する。

見間違いではなく、それは上条の名前。

右手をゆるく握って、口元に当てる。

そのまま再び倉庫の中に戻った。



黙って考え込んでいた桐原は何かに気付いたように、口元に当てていた手のひらを見てから、綺麗に片付いている場所に視線を向けた。

備品倉庫。

管理者がいるとはいえ、毎日掃除をしているわけではない。

さっきトナーに触れた時、埃が少しも手についていない。

大股でトナーの詰まれている場所に向かう。

綺麗に整頓されているが、何か気になる。

眉を顰めて床に目を凝らすと、その違和感に気付いた。

「インクの……臭い?」

使用済みトナーは、ビニールに包まれてここに置かれている。

多少臭いはするが、ここまで強くないはずだ。

しゃがんで床に目を凝らすと、うっすらと残る黒い染み。

綺麗にしたばかりと主張されているような、インクを取り除いた跡。


顔を上げれば整理してつまれているダンボールには、全ての箱の側面に綺麗に在庫表が貼ってある。

それは全て同じもので、まだインクが黒々と綺麗に発色している。

色落ちの無い、まるで印刷したばかりのもの。


ぐるりと見渡した後、足はスチールラックの裏に向いていて。

その惨状を目にした時、皆川の言葉が頭に響いた。


――上条さんがどれだけ我慢しても、当の本人がこれじゃどうにもならないじゃない!


上条が、我慢、していた。

当の本人……俺が、原因で。


意味が分からず理解できていなかった皆川の言葉が、だんだん見えてくる。

なぜ、今日上条は昼を食いに屋上に来ていなかった?

なぜ、総務にいなかった?

何か知っているかと思って聞いた時の工藤の顔が、無表情だったのはなぜだ?

皆川が、あれほど敵意をむき出しにしていたのは、なぜ……



――同じ部署でもないあんたが、女性社員の事で他部署に聞きに行ったら、噂になるに決まってるでしょ? 


噂。


人気がある、そう皆川は言っていた。

そんなもの俺には関係ない、そう思う。

不特定多数に好かれたって、好きな奴に思いが通じなければ何の意味も無い。

けれどその不特定多数が、特定の人間に敵意を向けたら……?


俺が、そいつを、好きだ、それだけの理由で――





足元が、揺れる。

思わず壁に背をつけた。

冷たく硬い壁が、余計俺の体温を下げていく。

そのままずるずると床に座り込むと、片手で顔を覆った。



――あんたはずっと何も知らないまま、守られていればいいんだわ



まも……られて、いた。

守られて、いた?

そうだ、そうだ……上条……。

最近、残業が多かった。

疲れたような顔で、もくもくと仕事をしていた。


罵倒されても、いい存在なのに。

その権利は、上条にあるのに。

それでも笑みを含んだ表情で、俺と話していた。



何も知らされず、守られていたってわけか。

いや、違うな。

何も知ろうとしていなかっただけ、か。

言われなくても気付かなければならなかったこと、か。

周りなんてどうでもいい、心底、今でもそう思う。

けれど、その周りを含めた場所で仕事をしているのだから……、周りを無視するなんてのは出来ることじゃなかった……。


言いようの無い罪悪感を、拳を振り上げて壁にぶち当てる。

骨に伝わる衝撃が痺れに変わって、肩まで上がってきた。

痛み? そんなもの、何も感じない。

上条が、感じていたものに比べれば……


込み上げてくる感情を、再び壁にぶつけたときだった。

ガツッという拳の音と同時に、ドアの開く音。

桐原は俯けていた顔を、勢いよく上げた。


もしかして、上条――


「びっくりした。上条さんが残ってるのかと思っちゃったよ、俺」

そう言って顔を出したのは、営業からの帰りなのかスーツの上着を肩に掛けた工藤だった。

目を見開く俺を見て、ぷっ、と噴出す。

「なんて顔してんだよ、桐原。この世の終わりじゃないぞー、明日もちゃんと日常は続いていくぞー」

上着をさっき俺が置いたトナーの横に掛けると、そこにおきっぱなしにしてあったファイルを手に俺の傍に来た。

「ちゃんと、理解、出来たか?」

「工藤、お前……」

この倉庫のこと、知ってた……?


上条の現状を知っていたとしても、倉庫のことは知らないと思っていた。

工藤は俺の横にしゃがみこむと、手に持ったファイルを横に置いた。


「知ってたよ。つっか、今朝、ここで上条さんに会ったから」

「なっ、それならなんで……っ」

立ち上がりかけた俺の身体を、肩を掴んで止める。

「理解、したんだろ? なら分かるな? 営業部の廊下でお前が上条さんの名前を口にしたことで、どれだけ彼女に迷惑をかけたか」

「……、後で言う事もしてはもらえないのか」

例えばメールでも、人のいない場所を選んででも。

でも桐原は、浮かした腰を降ろして頭を振った。

「いや、違う。言われないでも、気付かなければならなかったことだ。お前にこういうことを言うこと自体、間違ってる」

悪い、そう言って顔を俯ける。

工藤はそんな桐原を見ながら、足元に広がる書類を一枚ずつ手に取っていく。


「ま、例え周りに人がいなくても、俺は言わなかったけどな。上条さんに、口止めされたし。でもまぁ、一日でよくここまで綺麗にしたもんだ」

そう淡々と話す工藤に、桐原はちらりと視線を向ける。

「そんなに酷かったのか」

「あぁ、酷いなんてもんじゃなかったねぇ。俺、一瞬眩暈起こしそうになったもの。桐原って、もてるねーって」

「……茶化すな」

足回りの書類を拾い終えた工藤が、顔を上げて桐原を見た。

「茶化してないよ。それだけ、自分の言動と行動に責任を持てって事さ」

「……皆川にも、同じ様なこと言われた」

周りを見ろ、と。

「そうした方がいいと、俺も思う。ま、そんな顔してるお前に、言う言葉はないさ。自分で分かるだろ? どうするべきか」

その言葉に桐原はあげていた顔を、まだ書類の散らばっている床に向けた。

「そうだ、な。分かってる。とりあえず、人事の部屋戸締りしてくるわ」

「はいよ、俺は書類拾ってます。二人でやりゃぁ、今日中には帰れるだろ」

顔色の悪いまま立ち上がる桐原を、工藤はしゃがんだまま見上げる。


「ま、殴りこみに行くのだけはよしてくれよ?」

そう笑う工藤に、桐原は口端だけ上げて笑みを作った。

「今の俺なら、やんねぇよ」


前のお前ならやるんかい、倉庫から出て行く桐原の後姿を見ながら工藤は心の中で呟いた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ