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きっと、それは  作者: 篠宮 楓
第3章 とある攻防 とある策略
41/153

15


「私、あんたの事、本気で嫌いになったかも」



少し時は遡って。

由比が桜と会社を出た頃――



人事課では、ものすっごい不穏な空気が流れていた。

それはもう、課長でさえ何も理由を聞かずにさっさと帰ってしまうほど。


六月。

既に来年度の採用試験は終わり、月末には採否を通知しなければならない。

その上、今年度入社の新人に向けての中期研修も人事課が請け負っているため、主任である桐原はもちろん役付きではない皆川でさえも、仕事に追われていた。

いつもなら定時で帰宅する事の多い人事課ではあるが(役付き以外)、六月末まではそうはいかないようだ。

今日もここ最近の終業と同じ様に、定時を過ぎても全員が残っていた。


――しかし。


皆川の雰囲気が、おかしい。

顔は笑っているのに、後ろに悪魔でも従えているんじゃないかと探したくなるほど、怖い。

そして、黒い。

室内灯は煌々と照っているのに、なんだか空気がどんより黒い。

暗いじゃなくて。

朝は普通だったのに、昼休憩から戻ってきた時には既に今の状態だった。

言葉遣いが多少厳しくてもにこやかにてきぱきと仕事をこなす皆川だけを見ていた新入社員は、定時をしばらくすぎると耐え切れなくなったのか頭を下げて帰っていった。

課長はしばらく頑張っていたけれど、七時を過ぎた辺りにそそくさと出て行ってしまった。

実働部隊は課長ではなく桐原であるので、最終判断を受け持つ課長が帰ってもそこまでの影響はないけれど。


仕事量的にどうしても帰ることが出来ない桐原は、内心イライラとしながらPCと向き合っていた。




――そして、冒頭に戻る。


皆川の言葉に、ずっとキーボードを叩いていた桐原が顔を上げた。


「……何か言ったか?」


視線の先には、皆川。

向かいの席に座っているため、正面から見ることになる。

その顔は綺麗な笑みを浮かべていて、入社して五年、ずっと顔を付き合わせてきた桐原でさえも威圧を感じる雰囲気をまとっていた。


桐原と目が合った皆川は、椅子の背もたれに体重をかけて深く座ると、キーボードに置いていた手を外して前で組む。



「あぁ、ごめんなさい。いい間違えたわ」

「は?」


いい間違えた? ていうか、何を言ったのか聞いていなかったんだが。


怪訝そうな表情を浮かべる桐原を、皆川は目を細めて見据えた。



「私、あんたの事、本気で嫌い」


「……」


一瞬、目を見張る。


が、桐原はすぐに気を取り直して顔だけではなく上体を起こして、皆川に向き合った。

「今まで、お前に好かれたためしがないだろう。俺はどうでもいいが、そんな事で感情を剥き出してるなら迷惑だからすぐ止めろ。お前が怖くて皆帰ったんだからな」

「それが私の所為なら原因はあんただからね、桐原。それに一つ訂正してあげる」

淡々と言葉を紡ぐ皆川の声は、冷たくきつい。

桐原は皆川の言葉を聞きながら、目を細める。

何を言われるのかと、心の準備を一瞬にして整えた。


「私はあんたが嫌いだった事、入社して今日まで一度もなかったわよ。不器用で融通が利かなくて扱いづらいけど、根は優しいし面倒見もいい。何よりも仕事に対する姿勢は、同期として先に役付きになった事でさえ納得できる」

「……気持ち悪いな、槍でも降るか?」

皆川に面と向かってどころか噂話でも褒められた事のない桐原は、居心地悪そうに眉を顰めた。

皆川は桐原の言葉を鼻で笑うと、冷たい視線を浴びせた。

「槍くらい、私があんためがけて叩き込んでやるわよ」

その口調は侮蔑を含んでいることが、表情からも見て取れた。

桐原はただならぬ皆川の雰囲気に、いつもの事だとたかを括っていた思考を切り替えた。



「皆川、何が言いたい」


「あんた、今日、何を聞きに営業部に行ったわけ?」

「営業?」

突然出てきた部署名に、いつの間にか眉間に皺を刻み始めた桐原が繰り返して呟く。

そしてそのまま、目を逸らして舌打ちをした。

皆川はその態度を見てから、口を開く。

「間違わないで。工藤から聞いたわけじゃないわよ」

「じゃあ、なんだよ」

「あんた営業部で、誰の名前出した?」

「誰のって……」


桐原は、言おうとした言葉を飲み込んで口を噤んだ。


昼、屋上に飯を食いに行ったら、いつもいるはずの上条達の姿が見えなかった。

昨日、嫌な別れ方をしてしまったし話を誤魔化されているのがもろ分かりだったから、問いただそうと思っていたのに。

仕方なく昼飯を終わらせてから、総務に様子を見に行った。

しかしそこに上条の姿はなく、都築もいなかった。

諦めて帰ろうとした所に、総務課長から頼まれたのだ。

営業に届けてもらいたいものがある……、と。

何で俺がと思ったが人事でも決済印が必要な書類だったため、それを受け取って営業部に顔を出した。

そこにたまたま、外回りから帰ってきた工藤と鉢合わせしたのだ。


そこで――



「上条の事で、何か知ってる事はないか? ……あんた、そう工藤に聞いたそうね。しかも、営業部の前の廊下で」

昼の事を思い出していた桐原は、皆川の声で現実に引き戻された。

皆川の言葉を頭に入れながら、頷く。

「あぁ。でも工藤に聞いたんじゃないなら、何でそんな事お前が知ってるんだ」

「馬鹿じゃないの、あんた。融通が利かないんじゃなくて頭が回ってないのよ。あんたをけしかけた自覚があるだけに、彼女に対しての罪悪感が半端ないわ」

「は?」


皆川が忌々しそうに話す言葉の半分が、桐原には理解が出来なかった。

確かに、皆川にけしかけられた気持ちはある。

けしかけられたというよりは、助言されたという感じだが。

ただ、なぜ頭が回ってないといわれなければならない?

なぜ、皆川が上条に対して罪悪感を抱くんだ?


「ちょっと待て、皆川。俺はお前の言っている事が、理解できていない。どういう事だ?」

まだ文句を言い出しそうな皆川に、桐原はなんとか先を制して問いかけた。

皆川は開いた口を噤んで深く息を吐き出すと、冷静さを取り戻そうとしているのか一度目を瞑って再び桐原を見た。

「言いたくないけど。あんた自分が女性社員に人気ある事、分かってる?」

「は? そんなのしらねぇよ」

くだらない、そう続きそうな桐原の言葉に、冷静になりかけた皆川の思考が再び怒りに染まった。

「察しなさいよ、馬鹿! 把握していて知らない振りならいいけど、まったく気づかないのはただの馬鹿っていうのよ!」


……

桐原は口元が引き攣っていくのを感じながら、それでも先を聞こうと感情を何とか押さえ込む。

皆川はそんな桐原の内心に感づいているのか、じっと睨みつけながらも話し始めた。

「私が知ってるのは、社食で噂になってたから。“桐原主任が上条さんの事で、何か調べているみたい”ってね」

「調べてるって、聞いたのは工藤だけだ。しかも今日初めてだって言うのに、何でそんな噂が立つ」

「だから頭がまわらないって言うの。同じ部署でもないあんたが、女性社員の事で他部署に聞きに行ったら、噂になるに決まってるでしょ? 上条さんがどれだけ我慢しても、当の本人がこれじゃどうにもならないじゃない!」

叫ぶように、皆川は桐原を責める。

しかし桐原は、今の言葉の中に気になる箇所を見つけて椅子から身を乗り出した。



「上条が我慢って、どういうことだ」

そのまま椅子から立ち上がって、皆川の傍に立った。

皆川はじっと桐原を睨みながら、手早くPCの電源を切る。

「言わないわよ。工藤だって、言わなかったでしょ? 桐原が自分で気づかなきゃ意味がないんだから。大体こうやって言ってるのだって、あんたを助けてる気がして気に食わない。あんたはずっと何も知らないまま、守られていればいいんだわ」

「皆川っ」

肝心な事を口にしない皆川に苛立った桐原は、立ち上がった彼女の腕をとっさに掴んだ。

その手を見て、皆川は桐原を見上げる。

「自分で考えなさいよ。ここ最近のあんたの行動を」

そう言って、力任せにその手を振りほどいた。


「私帰るわ。……あぁ、プリンターのトナーが切れてるから、変えて置いてくださいね」

鞄を掴んで桐原に言い放った皆川は、途中から敬語へと言葉遣いを変えながらジャケットを手に取った。

「役付きの桐原主任でも、たまにはそういう事をなさった方がいいと思いますわ。ついでに五年前の入社資料、取ってきておいてくれます? 私には重いので」

「なんで五年も前の資料が、今必要なんだよ」

「いちいちそんなこと申請しなきゃいけないんですか? 桐原主任様」

そう言うと、さっさとドアに向かって歩き出す。

「おい、皆川……っ」

桐原にしてみたら、ここで話を終えられるのはたまったものじゃない。

慌てて手を伸ばすが、皆川はするりとそれをかわしてドアノブを掴む。


「もっと周りに目を向けた方がいいと思います、視覚的にも精神的にも。まっすぐな性格は時として、最悪な結果を招きますから」


それだけ言うと、桐原を置いて人事課をでた。



パタンと、音を立ててドアが閉まる。



そこに背中をつけて一呼吸置いてから、皆川は廊下を歩き出した。





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