14
駅に着くと、いつもの場所に翔太が自転車を停めて立っていた。
すでに私服で。
「翔太、待たせてごめんね」
「由比、お帰り」
にっこりと笑う翔太の姿に、ほっと息を吐く。
なんかもう、ホント癒されるなぁこの兄弟。
翔太は見ていた携帯をジーンズのポケットにしまうと、自転車のスタンドを足で軽く蹴る。
暗い中、アパートへと歩き出す。
「ね、翔太。学祭もうすぐなんでしょ? 準備とかで疲れるだろうから、迎えに来なくても大丈夫だからね?」
「あれ? 圭介のお説教また聞きたいの? 由比にマゾッ気があるとは知らなかったなぁ。いい事を聞いた」
「あるか、そんなもんっ! あのね、そういうことじゃなくて」
「そういうことでしょ。ね、それよりもさ。来月の第一土曜、空いてる?」
それよりもじゃないってのに……、そうぶつぶついいながら翔太の言葉に頷く。
「空いてるけど、何?」
やった、と少し嬉しそうな声を上げて、翔太が二つに折りたたまれた細長い紙をポケットから出した。
それは、手作り感溢れるチケットで。
「うちの学祭、来てよ」
手渡されたそれを両手で広げて、街灯の明かりに晒す。
外部に発注する高校もあると聞いたけれど、翔太のところは厚紙に印刷したチケットを自分たちで裁断したのだろう。
少し台形のように歪んでいるのが、微笑ましい。
そこには来月初めの金土の日にちと曜日が、高校名と共に印刷されていた。
それを指でなぞりながら、口を開く。
「翔太は何やるの?」
「ん? ヒミツ」
にたり、と笑うその顔は、何か企んでる……?
「……三年何組?」
「ヒミツ」
くっ、パンフもらったら確認しようと思ったけど、これもダメか。
まぁいいや、あとで圭介さんに聞いてみよう。
「圭介に聞いても、無駄だからね? 口止めしとくし?」
……君は、何がしたいんだもう……。
「ま、いいや。当日楽しみにしてます。翔太探し」
「うん、楽しみにしてて。で、一緒に回ろ?」
……
「え?」
一緒に?
ふと俯いて、考え込む。
隣からは自転車のカラカラという軽い音と、翔太の履くスニーカーの地面を踏みしめる音が響いてくる。
「それは、ダメでしょう」
ゆっくりと、否定の言葉を口にした。
「なんで」
少し驚いたような翔太の声に、当然、と口にして見上げる。
「翔太には翔太の友達がいるでしょ? 学祭は皆で楽しまなきゃ。私がそこにいたら、邪魔なだけだよ」
「俺は、由比と回りたい」
「学祭って学生時代の大事なイベントでしょ。学生同士で楽しまなくて、どうするの」
「由比」
翔太が私の名前を口にして、足を止めた。
少し遅れた私が、一歩進んだところで足を止めて振り返る。
「俺は、由比と回りたいんだけど。なんで、同じ学生同士じゃなきゃいけないのさ」
「え?」
「じゃあ、圭介となら? 圭介となら、由比は一緒に回るわけ?」
「翔太……?」
私を見下ろしてくる翔太の目が、いつになく冷たく感じるのはなぜ?
戸惑いを隠すことが出来ず、目を伏せて口を開く。
「そんな事ないよ。圭介さんは、お仕事なんだから。一緒に回るとか、無理でしょう?」
「無理じゃなかったら? 由比の為に時間作ったら?」
私を追い詰めるように言葉を重ねる翔太の雰囲気が、怖い。
なんで? どうしてそんな顔、するの?
「ね、どうしたの翔太。何か……」
「答えてよ、由比」
じっと見下ろされて、居心地が凄く悪い。
けれど逃げ出せない雰囲気に、視線を彷徨わせる。
翔太はどうしたんだろう。
何でこんなに怒るんだろう。
私はつぐんでいた口を開いて、聞こえないように小さく息を吐いた。
「翔太ならとか圭介さんならとか、そういうの、関係ない。ただ、翔太には翔太の世界があるから、そこに私が入るのは違うって思っただけ」
本心を、口に出す。
信じてもらえるように、ちゃんと目を見て。
なぜ怒らせてしまったのかよく分からないけど、決して翔太と一緒に回りたくないのではない。
一緒に回ることで、翔太に迷惑を掛けたくないだけ。
翔太はぱちぱちと幾度か瞬きをして、ゆっくりとその冷たい表情を和らげた。
「そっか、そういうことか。そんな事、由比気にしないで?」
幾分和らいだ声音にほっと息をつくと、翔太を見上げる。
「気にするわよ」
「んじゃさ、金曜はクラスの奴らと回るから。それでどう? 土曜だけ由比といる」
「翔太ってば、なんでそんなにこだわるの?」
すっかり機嫌が直ったのか、歩き出す翔太の隣で首を傾げる。
そこまでして、なんで一緒に回りたいんだろう。
「由比が好きっていったじゃん、もう忘れたの?」
私の顔を屈んだ状態で覗きこんでくる翔太が、その笑顔がとても可愛くて。
思わず頭をぐりぐりと撫で回す。
「やっだ何、嫉妬? ヤキモチですか、翔太くん!」
もう、かわいいんだからーっ
「ちょっ、由比っ。やめっ」
「だって可愛いんだものーっ! 分かったわよっ、おねーちゃんと一緒に回ろうね」
「由比ってば、現金だなぁ」
あぁ、癒される。
そうだよ、翔太と圭介さんから元気もらったんだから!
あんな事ぐらいで、落ち込んでることないじゃない。
気持ちを浮上させてくれた翔太に向けて、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとね、翔太。楽しみにしてるから」
その笑顔に、翔太も口元を緩める。
「楽しみにしてて、時間が合ったら圭介冷やかして遊ぼう」
「何それ、可哀想に」
くすくすと笑いながら、二人はアパートへと帰った。
由比を部屋に送り届けた後、まだ圭介が戻ってきていない部屋に翔太が入る。
目の前に広がるのは、月明かりでぼんやりと薄暗い部屋。いつもの日常。
生活観溢れるここは、唯一信じられる圭介と一緒に暮らす場所。
……唯一、信じられる、人、なのに。
翔太は靴も脱がずに、玄関に立ち尽くす。
何で俺は、学生なんだろう。
どんなに背伸びしたって、子供である範疇から抜けない。
十八歳になればと思うけど、まだ五ヶ月ある。
しかも、その年齢になったって制服も脱げない、ただの高校生。
――学生同士で楽しまなくてどうするの
由比が、言った、言葉。
分かってる。俺のためを思って言ってくれた言葉。そんなことは分かってる。
けれど、圭介がよく口にする言葉と重なった。
――学生だからこそ、出来ることが沢山ある。遠慮せずに、沢山遊んで沢山学べよ?
俺たち大人は、お前たちがそうやって歩いていくのを見守るのが仕事なんだから
由比と同じ立場で、俺を見る。
社会人、大人。
俺は一人子供。
養われる立場、守られる立場。
唯一、信じられる、人、なのに。
学生だからと否定された由比の言葉に、思わず感情が昂ぶった。
なら、誘ったのが圭介だったら?
口には出さなかったけど、桐原だったら?
思わず嫉妬にも似た感情を、圭介に向けてしまった。
ドアに背を預けて、天井を仰ぐ。
もう少ししたら、きっとドアを叩く音がする。
開けたそこには、由比がいて。
今日の夕飯のおかずを、嬉しそうに渡してくれる。
自分を、男としてみない由比に、新鮮さを感じて。
屈託のないその笑顔を、独占したいと思った。
皮肉にも、今はそれが一番のネックになっている。
ねぇ、由比。
どうやったら、俺を男としてみてくれる?
子供じゃなくて、由比と同じ立場に。
募る焦燥感に、翔太は目を瞑った。
「年齢だけは、どうやっても太刀打ちできない……」