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圭介さんや翔太の通う高校は、車で三十分位のところにあった。
って、まぁほとんど窓の外を見ていて時計を確認していなかったから、大体だけど。
住宅街に囲まれているそこは、まだ人がいるのかいくつもの窓に明かりが点っている。
校門の前は住宅も無く広い通りになっていて、圭介さんは手馴れたように道路脇に車を止めた。
「さて、と。由比さんはここで待ってて。多分翔太、校門の中にいるから」
「そうなの?」
「うん。流石に夜遅いから、こういう時の待ち合わせは校門の中にあるベンチを指定してる」
……過保護圭介さん、光臨(笑
夜遅いって言っても、校門前は街灯がいくつもあって明るいし学校にはまだ人がいるのに。
あぁ、でもこういう考えはいけないよね。
自分を守る為に、できる事はしなきゃいけない。
圭介さんが正しい。
「ごめん、圭介さん」
「は?」
ドアを開けて足を地面に下ろしたまま、圭介さんがきょとんとした顔で振り向く。
「何?」
そりゃ、そうだ。疑問だよね。
脳内思考に対しての答えを口に出されちゃ……。
まぁ、今の“ごめん”はそれだけじゃないけど……
不思議そうなその顔に笑みを向けて、首を振る。
「なんでもない。私も一緒に行っていい?」
「え?」
圭介さんの返事を聞かず、シートベルトを外して助手席側のドアを開けた。
慌てて圭介さんが降りる音が聞こえる。
「由比さんっ」
私が車から降りてドアを閉めると同時に、圭介さんがこちらに回りこんできた。
その顔は、少し困惑気味で。
何を困っているのだろうと、首を傾げる。
圭介さんは口を開いて何か言おうとしたみたいだけど、少し逡巡するように視線をさまよわせてからため息をついた。
「大丈夫?」
いきなり聞かれた言葉に、何が? と反射で返す。
だって、何が大丈夫なわけ……?
私の返答に、圭介さんの眉が顰められていく。
「あのね由比さん、本当に疲れた顔してるよ? このまま帰したら私達の為に夕飯作りそうだったから気晴らしにと思って誘ったけど、出来れば必要以上動かないで座ってて欲しい」
心配そうに言うと、右手が私の頭に伸びてきた。
ゆっくりと、頭を撫でられる。
その触れ方が、優しくて。
涙が出そうになって、慌てて顔を俯けた。
圭介さんの手のひらが、私から外れる。
「ホント、圭介さんってば過保護なんだから。ただちょーっと疲れてるだけですよ」
さ、早く行こう、と校門の方に歩き出そうとした私の腕を、圭介さんは掴んで引き止める。
「……っ」
思いの外強い力に、びくりと身体が強張った。
その反応に驚いたのか、圭介さんはすぐに離してくれた。
桐原主任が掴んだ場所と同じ。
心配してくれる、その気持ちも同じ。
「ごめん、由比さん。驚かせて」
その言葉に首を振りながら、さっき会った桐原主任の言葉が脳裏に浮かんだ。
――お前、何を隠してる?
その記憶に引きづられるように、いつもより早足で帰って行った桐原主任の姿を思い出して、思わず目を瞑った。
言えば、よかったんだろうか。
今の私の状況を。
桐原主任のことは、嫌いじゃない。
傷つけたくないと思うのは、私の思い上がりなんだろうか。
そんなことを考えて立ち尽くしていた私の斜め前に、圭介さんが立った。
様子を窺うように、少し上体を屈めて。
「何か、悩みがあるんだよね? それを、私……というか人に聞かせたくないから、我慢しているんだろう?」
「……」
「同じ様な表情、見たことあるから隠しても無駄だよ。もしかして、桐原さん?」
主任の名前に、どくり、と心臓が音を立てた。
違う、と言いたいのに口はそう伝えてくれない。
頭の上で、息を吐く音が聞こえた。
「まったく、私達の大切な由比さんに何をしてくれるんだろうね。桐原さんは」
……私達の大切な……?
その言葉に、思わず顔を上げた。
が、そのまま頭が横に傾ぐ。
「なに泣かせてんだよ、圭介」
「……え?」
ぽん、と頬が温かいものに触れた。
頭に回されている、大きな手。
視線だけ上げると、翔太の顔がすぐ近くにあった。
「由比、大丈夫?」
心配そうに覗き込む翔太に、ぶんぶんと思いっきり首を立てに振る。
「だだだ、大丈夫っ」
近いっ、近い!
翔太から離れようと胸に手を置いて押しても、びくともしない。
そんな私を見下ろしてから、翔太は顔を上げた。
「で、なんで泣いてるの?」
「私じゃないよ、原因は。あ、でも泣かせてしまったのは私の所為になるのかな」
苦笑する圭介さんに向けて、首を振った。
「由比、何があったの?」
幾分穏やかになった翔太の声に、ひっこんだはずの涙が滲んできた。
なんなの、この百パーセント優しさで出来てますみたいな兄弟!
おにーちゃんと、子供! と、頭の中で叫びながら、翔太の手から抜け出す。
目の前には、心配そうに私を見る圭介さんと翔太の姿。
二人を見ながら、満面の笑みを浮かべた。
最近張り付いていた、作り笑いじゃなくて。
「大丈夫、うんっ。なんかホント元気もらった!」
「由比……」
翔太が何か言いたそうに口を開いたけれど、それを遮るように言葉を続ける。
「もう少し自分で頑張る! でも踏ん張れなくなったら、その時はっ、お願いしますっ!」
がばっ、と頭を下げると、一瞬の間のあと、ため息をつく音とくすくす笑う声が響いた。
「由比さんは、本当に可愛いいんだから」
「うぇっ?」
圭介さんっ、おにーさんスマイルだとしても赤くなりそうですっ。
うろたえる私を見て、翔太が息を吐き出した。
「なんか、俺、まったく状況見えてないんだけど。……まぁ、いっか」
自己完結したのか顰めていた表情をすぐに戻して、にこりと笑う。
「由比が元気なら、それでよしっ。圭介、早く飯!」
私の背中に手を当てて、車の方に押していく。
転ばないように足を動かしながら、顔だけ後ろの方に向けて二人を視界に映す。
「二人とも、本当にありがとう」
一瞬動きを止めた二人は、優しい笑顔を見せてくれた。
「「どういたしまして」」
抑えられなかった涙が、一筋だけ、頬を伝っていった。
「ここは、学校の目の前なんですけどー」
圭介達の乗った車が走り去った後、校門の内側から体格のいい男がゆっくりと顔を出した。
体育教師、溝口。
見回り途中にベンチに座る翔太を見かけて、遅くまで残っている事を注意しようと近づいた時、いきなり翔太が校門の外に駆け出したのを見てこっそり覗いていたのだ。
……暇人とか、言うな
そこには帰宅したはずの遠野が、女と立っていて。
しかも、その彼女が泣いているような雰囲気で。
翔太が慰めるように、その隣に立っていて……
状況を把握した溝口は、驚くと共に顔が思わずにやけた。
あれが、噂の弁当の彼女だよな……きっと。
しかも、なんか痴話げんか中?
ていうか、どっちの彼女?
他人の不幸は~、じゃないけどつい興味本位で最後まで覗いてしまった。
街灯に照らされた彼女の顔も、ばっちりと。
溝口は塀に身体を預けて、両腕を身体の前で組む。
「う~ん、思ったより普通の子だったけど……」
二人の溺愛ぶりがハンパなかった……
そう呟いた後、おもわずにんまりと笑った。