16
連れてこられたのは、会社から少し離れた小さな居酒屋さん。
奥座敷に腰を降ろして、一息つく。
「私、適当に頼むからね」
との言葉通り、皆川さんがいろいろ頼んでくれて遠慮せずに食べる事ができた。
しばらく三人でたわいもない話をしていたけれど、皆川さんがお手洗いに立った後、その時は訪れた。
The 沈黙
しんとした部屋の中は、ものすっごく居づらい。
これを恐れていたわけです。
主任とは怒鳴りあうことばかりで、ほとんど会話らしいものはなく。
この何もない状況で、何を話せばいいかまったく分からないわけです。
視線だけ上げて主任を見ると、何か考え込んでいる様子。
ていうか、今日、すっごく会話少ないよね。
いつもなら人がむかつく言葉をガツガツ言ってくるのに、なんでこんなに神妙なの?
私は聞こえないように息を吐くと、テーブルに手をついて立ち上がった。
「私もお手洗いいってきます」
「んあ、あっ、上条っ」
私の声に驚いたように顔を上げた桐原主任は、いきなり私の腕を掴んで引き止めた。
「わっ」
引っ張られた身体をテーブルに置いた手で支えて、主任を見る。
「?」
引き結ばれた口、じっとこちらを見る視線に、普段じゃない桐原主任を感じて首をかしげた。
「どうしたんですか? 体調悪いとか……」
「いや、そうじゃない」
そうじゃないなら、なんだろう。
とりあえず、腕を離してくれないだろうか。
そんな私の思考もお構いなしに(分からないんだからそうなんだけど)、主任は何かを決意したように口を開いた。
「俺は、別に……お前を嫌ってるわけじゃない」
「は?」
なんだろう、突然。
「だから、気に食わなくてお前を構ってるわけじゃなくて」
「はぁ」
何が言いたいんだろ。
少し顔を俯けていた主任が、がばりと勢いよく顔を上げた。
「お前の事が、好きなんだ」
そう言い切った主任の顔を見ながら、思わず口が開いた。
「うわ、勘弁。ありえない」
思わず、背に悪寒が走った。
目の前の主任が、固まってる。
「なんですかそれ、私が騙されるとでも思ったんですか? おかしいと思ったんですよ、いきなり飲みに行こうなんて」
「……は?」
力が抜けた主任の手から、自分の腕を奪還する。
「なんですか、新手の苛めですか? 甘いんですー、今までどれだけ主任のいじめに耐えてきたか! これくらいじゃ、騙されませんっ」
「かみ、じょう?」
「うっわー、無理無理。今のは酒の席ってことで、水に流して遠くに沈めますから。明日以降、この手の意地悪は止めてくださいね。皆川さんに迷惑です」
そこまで言い切ると、今まで呆然としていた主任がいきなり立ち上がった。
「こっちだって、誰がお前なんかと。少しは告白された喜び味わえたかよ」
けっ、と言葉がついているんじゃないかという感じで、ぷいっとそっぽを向く。
その姿にうんざりして、鞄を手に取った。
「えーえー、ご親切にありがとうございましたっ。私は先に帰ります、ご馳走様でした!」
踵を返してふすまを開ける。
するとそこには、なぜか両手を挙げた皆川さんが立っていた。
「皆川さん、いらっしゃったんですか」
いつまでも帰ってこないと思ったら。
皆川さんは気まずそうに笑いながら、その手を下ろした。
そして口を開こうとするのを、先に話すことで遮る。
「まーた桐原主任が分けわかんない事言い出すんですよ。私、先に帰りますね? いっぱい食べて懲らしめてくださいっ」
「え、あの、上条さん?」
「お先です」
私を引きとめようとする皆川さんから離れて、さっさと居酒屋を出る。
私は頭を沸騰させながら、帰りの迎えの為に翔太に電話した。