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目の前に広がる海岸は、さすが夏休み中という事もあって海水浴客でごった返している。
その風景を横目で見ながら、人の少ない方へと足を進めた。
海水浴場から少し離れた場所にある二階建ての建物に辿り着いて、そのドアを開けた。
ヒンヤリとした空気と共に、明るいおじさんの声。
「いらっしゃいませ」
振り向くと同時に人懐こい笑顔を浮かべて、のしのしとでも擬音をつけたくなる感じでこちらに歩いてきた。
「由比ちゃん、先月ぶりだねぇ」
「あはは……。上、大丈夫ですか?」
大きい図体に似合う大きな声で迎えてくれたおじさんは、片眉を上げて私を覗き込むとにっこりと笑って背中を押した。
「こんなとこの二階なんざ、誰もこねーよ。アイスティでいいのか?」
「お願いします」
それに応えながら、勝手知ったる細い階段を一人上がっていった。
普段一階でのみ営業しているこの喫茶店だけれど、常連さんから希望があれば二階に通してくれる。
さっきのおじさん……喫茶店のオーナーでもある隆之さんの絵をかく場所でもあるここは、窓から由比ヶ浜を一望できるのだ。
席に座って窓を開けると、湿った熱い潮風がふわりと部屋の中に入ってきた。
「今日も暑いな」
階段の方を見れば大きな体を丸めて部屋に入ってくる隆之さんの姿に、思わず笑ってしまう。
「いつみても、隆之さんの体とこのおうちってあってない」
「そういうな、俺だってそう思ってんだから」
テーブルにアイスティの入ったグラスを置くと、そのまま目の前の席に腰を下ろした。
戻らないの? という疑問のまま隆之さんを見れば、視線を窓の外に向けて頬杖をついた。
「なんかあったのか? 由比ちゃん」
その言葉に、どくりと鼓動が高鳴る。
「う、え……?」
……私は、由比さんのことが好きなんだ
脳裏に圭介さんの言葉が浮かんで、思わず頭を振った。
そんな私を見て隆之さんはにやりと笑みを深めると、背もたれに体重をかけた。
「まだ、駄目なのかよ?」
「……」
その言葉に、すぅっと熱が冷えていく。
「もう六年か?」
固まってしまった私を見ながら、再び目線を窓の外へと向けた。
「まぁ、今日もゆっくりしていくといい。来月は海岸の方に戻るんだろ?」
がたりと音をさせて席を立つと、固まったままの私を置いて隆之さんは階下へと降りて行った。
からん……
アイスティの氷が、からりと音を立てる。
ぴくりと動いた指先が、全身に振動を伝えた。
「ふ……」
ゆるゆると息を吐き出して、両手で顔を覆う。
……由比
耳元を掠める様に、いるはずのない人の声がする。
それは懐かしく、温かく、二度とこの耳で聞く事の叶わない声。
……由比さん
重なる様に聞こえた声に、思わずこくりと喉を鳴らした。
私がこの喫茶店に来るのは、一年の内、たった二か月。
他の月は、由比ヶ浜の海岸で一日ぼうっと座って過ごす。
それが六年前からの、私の習慣。
「お父さん、お母さん……」
乞うように、その名前を呟く。
ここが好きだと、由比ヶ浜が大好きだと言っていたお母さん。
お母さんと出会えて、もっとここを好きになったと言っていたお父さん。
本当は分かってる。
分かっているけれど……
私は、……私はまだ信じたくないんです。
まだ、認めたくないんです。
もう、あなたたちがこの世にいない事を……
こんばんは、篠宮です^^
いつもお読み下さりありがとうございます。
感謝の気持ちを込めて、丁度書き終えたので「きっとそれはのほかのおはなし」に新規投下しました。
桐原×由比 パラレル。
甘いというか、直接的というか、読んでて桐原を巴投げしたくなるというか。
とりあえずそんな感じの番外です。
若干無理やり・若干腹黒・若干加虐。このキーワードをお許しいただけない場合は読まれないことをお勧めいたします。
大丈夫だよ~な方、よろしければお読み頂けると嬉しいです^^