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きっと、それは  作者: 篠宮 楓
第2章 びっくりの法則
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「あれ? 由比、今日当番なの?」

自分のデスクでノートPC相手ににらめっこしていた私は、桜の声で現実に引き戻された。

顔を上げると、既に帰る用意を終えている桜とその向こうに終業時刻を過ぎた壁時計が見える。

後期行事のスケジュールをエクセルで清書していたら、思いの外没頭してしまったらしい。

間違いの無いよう保存だけして、もう一度桜に顔を向ける。

「うん、そう」

「明日から休みなのに、お疲れ様」

そう言って鞄から小さな包みを取り出すと、私のデスクに置いて帰っていった。

続くように帰っていく総務の同僚に、頭を下げて挨拶をする。


「明日から休みだから、終業前に用があるなら連絡をって取引先には言ってあるの。だからそんなに電話は来ないと思うけれど。必要なら事務課長が役員階に在社してるから、連絡を取って」

「はい、お疲れ様でした」

総務主任の言葉に、頭を下げて見送った。


ドアの閉まる音に続くのは、しんとした静かな空間。

窓の外は暗くなり始めた風景が広がる。

そこに歩み寄って、ブラインドを閉めた。


シャッ――


静かだから、響く音。

聞こえるのは、窓から少しだけ漏れ聞こえる雑踏。

小さく溜息をついて、自分のデスクに戻る。

「あ、そういえば……」

桜が置いていった包みってなんだろう。

薄い茶色のレースペーパーを開くと、中から小さなチョコレートがいくつか出てきた。

……優しいなぁ、桜。

桜の気遣いに、心がほっこりと温かくなる。


桜とは、入社式で仲良くなった。

綺麗な子がいると、内定式で噂の的だった桜。

実際、本当に綺麗で。

少し色素の薄い栗毛のロングストレート。

女性にしては高い方に入る、百六十センチ後半のスレンダーな体躯。

凛とした彼女を、同期は皆羨望の眼差しで見ていた。


そんな彼女が入社式の終わった会場のトイレで、零していた言葉。

「ったく、人を珍獣でも見る目付きで眺めてんじゃないっての――」

そして、たまたま同じタイミングで、トイレに入ってきた私。


「――」

「……えへ」


静まり返ったトイレで響く、私のあのごまかしの言葉は無かったわー。

今思い出しても恥ずかしい。

驚いたように目を見開いていた桜が、思いっきり噴出して大笑いを始めたのだ。

「えへって、何歳よ。どんな誤魔化しなの? もっと上手い言葉は見つかんないの?」

面白そうに目に涙を溜めて笑う彼女に、私は真っ赤になりつつもほっとしてしまった。

彼女の愚痴を聞いてしまったことで、ギクシャクするのは嫌だったから。

「自分だって、いつもと言葉遣い違うじゃない」

もっと大人しい、丁寧な話し方だったはず!

そう指摘すると、まだ止められない笑いを耐えるようにお腹を押さえながら、仕方ないでしょと洗面台に身体をもたせ掛けた。

「それを望まれちゃうんだから、素を見せる方が面倒だって」

「うーわー、上から目線~」

「なんですって?」

これが、桜と話した最初。

この後二人で笑いこけて疲れて、お茶をのみに行って仲良くなった。

綺麗な人には綺麗な人なりの悩みがあるってこと、頭で分かってても実感した事なかったから。

悩みの無い人間はいない、はっきりと分からせられた日だった。




たった一ヶ月くらいしかたっていないけれど、なんだかもう懐かしい。

それほど、桜との間は親密なものになっていた。

レースペーパーに包まれたチョコを一つ、指先で持ち上げる。

「まったく桜は、優しいんだから」

口に出さない優しさが、本当に素敵だと思う。

ぺりぺりと包装を剥がして、一粒口に入れた。

舌の上で蕩けるチョコに、思わず顔がにやける。

おいしいわ~


手元のお茶を飲んで一息つくと、さっきまで取り掛かっていたスケジュールの清書に集中していった。




「……じょう、……か……、上条!」

「!」

名前を呼ばれいきなり肩を掴まれて、飛び上がるほどの驚きが身体を襲う。

声にならない叫びを口の中で飲み込みながら、肩に置いてある手を視線で伝うと呆れた顔をした桐原主任と目が合った。

「き、りはら、主任」

ほっと安堵しながらその名前を呟くと、いつも不機嫌そうな顔がもっと不機嫌そうに口を歪めた。

「お前、いつまでいるつもりだ? もう終わりじゃないのか?」

「え?」

そういわれて時計に視線を移すと、その針は八時過ぎを指していた。

「あ、ホントだ」

また仕事に没頭していたらしい。

電話番という名の残業だったのに、一件も電話が無かった為仕事の方に集中してしまった。

おかげで清書は完成し、事務課長宛にメールで送れたけれど。



ノートPCの電源を落としてから、ややあと気付く。

「何してるんですか?」

ずっと後ろで立っている桐原主任の存在に。

桐原主任は目を少し眇めて、私の頭にどんっとその思い手のひらを乗せた。

「お前、声を掛けてやったお礼は無いのか。あっさりと流しやがって」

そういうと、ぐいぐいと私の頭を押さえつけてくる。

「いっ、痛いっ! 暴力反対! 痛いですってば!」

慌てて両手で手首を掴んで引っ張ってみるけれど、まったく動かない。

なんなんだ、この人は!

思わず出た舌打ちは許せ。


イライラしながら視線を手元に落とすと、丁度桜から貰ったチョコレートが目に付いた。

一瞬桜の顔が脳裏に浮かんだけれど、心の中で謝ってそれを一粒指先で持ち上げる。

「じゃあこれあげますよ。お礼を強請るって、どんだけなんだろこの上司」

思わず悪態をつくと、なんだと? と言葉が返ってきたので黙ってみる。

「お前、ホント口悪くなったよな。なんだか、信じられないくらい」

「それは、桐原主任の所為だと思います。主任以外には、ちゃんと話していますよ」

「あぁ、そうかよ」

頭の上で溜息をつかれた気がするけれど、私は一つも悪いことはいってない。

断じて。

とりあえずチョコで納得したのか頭の上から手が退かされた事に、ほっとしてにやりと笑う。

「これ、桜から貰ったチョコですから。プレミアもんですよ、ラッキーでしたね主任」

なんたって、今、社内で一番人気の桜ですから。

そう続けると、チョコを摘み上げようとしていた指が止まった。

「……? 主任?」

中途半端な状態で上げている手が疲れるので、さっさと取って欲しいんですけど。

そんな意味を込めて座ったまま桐原主任を見上げると、むっとしたように眉を顰めていることに気付いた。


「どうかしました?」

チョコ嫌いとか?

でも、さっき取ろうとしてたよね?

尋ねると、桐原主任はチョコを摘もうとしていた手を下ろしてじっとこっちを見た。

「貰いもんを、礼として渡すんじゃない」

「は?」

そこ? 

「いや、別にいいじゃないですか。貰った時点で私のものだし、っていうかどこに引っかかってるんですか。他にお礼のしようが無いので、これで我慢していただけると嬉しいんですけど」

ていうか、嫌だったらお礼は無しって方向で。

そう言外に含めて言うと、それなら……と人差し指でチョコをつついた。

「今食うから、包み剥がせ」

「はぁ?」

「そのくらいやれ。別に口移しで寄越せといってるわけじゃない」

「それ言われたら、セクハラで訴えます」

なんだろう、このよく分からない会話の応酬は。


溜息をつきながら、手のひらに載せたチョコを指でつまんだ。

銀色のアルミ箔で覆われたそれは、さっき食べたけれどほんの少しの熱でも溶けてしまうほど柔らかい。

舌の上でなくなってしまうほど。

レースペーパーの上には、あと五つ残っている。

翔太と圭介さんにあげようかな。

甘いの好きかしら。



そんなことを考えながらアルミ箔を剥がすと、どうぞと桐原主任の手に差し出した。

「早く取ってください、溶けちゃうんで」

「あぁ、そうか」

そう言うと主任はおもむろに私の手を掴むと、チョコを持っている指を……

「ちょっ……!」

……口に入れた。

思わず、頭の中が真っ白になったのは言うまでもない。





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