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「よし、と」
水切り籠に入れておいた食器を棚に戻して、その扉を閉めた。
閉まってあった食器も使ったから、一時的に増えている。
夜にでももう一度箱にしまい直さないとなと思いながら、身に着けていたエプロンを外した。
昨日の食事会は、本当に楽しかった。
最初は圭介さんの視線にびくびくしてしまったけれど、実はそれが勘違いで私を心配してくれているものだったと知って嬉しくて……そして自分の立ち位置を思い出すことができた。
「幸せ、だね」
ぽつりと呟く。
こうやって幸せな気持ちを少しずつ溜めて、この先一人になった時の糧にしよう。
それくらいは、許してくれるよね。
視線を向けた先にある、鞄。
その中に入っているはずの、小さな巾着。
そしてその中にあるペンダントを思い浮かべながら、私は笑みを浮かべた。
戸締りをして、鞄を肩にかけて外に出る。
午前中だというのにじとりと肌に汗が浮かんで、今日も暑くなるんだろうなってそう予感させる気候。
「暑くなりそうだなぁ……」
思わず呟いて、玄関の鍵を閉めた。
歩き出そうとした途端、隣の部屋のドアがいきなり開いて驚いて足を止めた。
「由比さん?」
そこから顔を出したのは、ボサボサ頭の圭介さん。
歯を磨いていたらしく、手には歯ブラシを持ったまま。
あまりの姿に、思わず噴き出した。
「圭介さん、どうしたの?」
そんなに慌てて。
「いや、その」
ちょっと待っててと告げると、ばたばたと部屋の中に戻って行ってしまった。
口をはさむ暇もなかった私は、仕方なく廊下の柵に寄り掛かる。
「静かだねぇ」
昨日のお祭り騒ぎが、嘘のように静まり返っている。
まだ早い時間だし、外に出てくる人も少ないんだろう。
そんな事を考えながらぼうっとしていたら、後ろのドアが開いた。
「ごめんね、待たせて」
そこから出てきたのは、さっきとは違ういつもの圭介さん。
ビフォーアフターを見た感じで、思わずくすりと笑ってしまう。
私は柵に凭れていた体を起こすと、頭を振った。
「ううん、別に大丈夫。で、どうしたの?」
「由比さんは? これからお出かけ?」
ドアの鍵を閉め終えた圭介さんに問うと、反対に聞き返された。
「うん、ちょっと出てこようと思って……」
行き先を曖昧にして答えれば、小さく頷いて歩き出した。
「え、あれ? 圭介さんは?」
そのまま階段を下りていく圭介さんの後を追い掛ければ、前を向いたまま圭介さんが私の名前を呼んだ。
「少し、時間ある? 話したい事があるんだけど」
「話?」
何の? と言外に含めたけれど、それに対する答えは返ってこなくて。
意味が分からないまま、私は大丈夫と頷いた。
「翔太は?」
車に乗って駐車場を出る。
「予備校に行ったよ。あの子は夏期しか通ってないからね、使える時間は只管使うとか言ってた」
「はは、翔太らしい」
「そうだね」
声を上げて笑うと、圭介さんの目元が微かに緩む。
いつも通りの表情で、いつも通りの視線だけど、なぜだか違和感を感じてじっとその横顔を見つめた。
なんだろう。
緊張、してる?
よくわからない雰囲気のまま、圭介さんは少し離れた場所にある公園の駐車場に入っていった。
一番奥、けれど視界は一番綺麗な場所に車を止める。
そこは少し山に入ったところで、目の前は河原、向こうに木々が連なっている場所。
途中で買ったアイスティのペットボトルを手に取って、シートベルトを外した圭介さんを見た。
「そういえば、昨日はありがとう。みんな喜んでたよ」
食事会が終わったのは、九時。
皆帰宅してから、お礼のメールを送ってきてくれた。
桜から来た、護さんには連絡先教えないでね、という内容はいまいちよくわからなかったけど。
圭介さんは缶珈琲をころころと手の中で転がしながら、そういえばと眉根を寄せた。
「溝口先生から、都築さんのメルアド教えて欲しいってメール来てたな……」
「ぶっ」
ちょうど考えていた内容で、思わず吹き出してしまった。
くっ、口の中に何も入ってなくてよかった!
ダッシュボードが大変になるところでしたよ!
濡れていないか口元を手の甲で拭ってから、不思議そうな表情を浮かべていた圭介さんを見る。
「桜からね、護さんには連絡先教えないでってメール来てたの」
その言葉で合点がいったのか、圭介さんは苦笑を浮かべた。
「そっか。結構いい雰囲気だったと思ったけれど。溝口先生も、前途多難だ」
そうだね、と返答しながら瞬きを繰り返す。
……も? も、って何?
工藤主任の片思いがばれたとか?
不思議そうな私の表情に気が付いた圭介さんが、微かに目を細めた。
あ、やっぱり。
なんか緊張してる。
圭介さんから伝わってくる雰囲気に、思わずこっちまで緊張してしまいそうだ。
「どうしたの?」
その緊張感の原因が分からないから、こっちまで不安になりそうで。
先を促すために、圭介さんを覗き込む。
すると圭介さんは一度口元を引き締めて、私をまっすぐに見つめた。
「……圭介さん?」
なんか、変。
「由比さん、私は……」
「何?」
圭介さんは一度大きく息を吐き出すと、再び私を見た。
「由比さんの事が、好きなんだ」
更新再開いたします^^
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