24
圭介の視線を感じながら翔太が由比の玄関に入ると、廊下の先にある閉まっているドアの向こうから洗い物をしている音が聞こえてきた。
……あっちもあっちだけど、こっちもこっちだよなー
はっきり言って由比が好きな自分にとっては、圭介のフォローをするのもどうかという疑問もある。
あえて言うなら、圭介が嫌われてしまえば自分の方が一歩抜きん出るわけで。
そんな事を考えないでもなかったが、翔太はまるで自分が年上にでもなったかのように二人のギクシャクとした雰囲気を元に戻そうとしていた。
なんていうか、少し、むず痒い気持ちでもあった。
年上で大人で落ち着いた保護者の圭介が、自分から見ても感情を抑えきれないほど惑わされているのを初めて見た。
お荷物になっていると自覚していただけに、こうやって由比を宥める為に自分を頼ってくれたのが、圭介に近付きたいとずっと思っていた翔太にとって、由比が好きという感情に並び立つほど嬉しかったのだ。
変だな、俺。
そんな自分にも、つい笑いが漏れる。
だからって、由比を諦めるつもりはないけどね。
翔太はともすれば零れそうになる溜息と苦笑を喉の奥で飲み込むと、わざと足音を立てて短い廊下を歩き出した。
その瞬間がちゃりとガラス同士がぶつかる音がして、由比が自分の存在に気がついた事を確認する。
いつもなら玄関のドアが開いた時点で誰か来たことを認識するのに、ここまで大きな音が聞こえないと気付けなかったらしい。
それだけ、由比の意識が何かに囚われているんだという事を実感した。
翔太は仕方ないなとでも言うように押さえていた溜息を零して、口端をあげた。
ドアを開ければ、見慣れた由比の部屋。
シンクで洗い物をしていただろう由比が、強張った表情を浮かべてこちらに顔を向けていた。
そして翔太を見ると、ふ、と緊張を解く。
「翔太、どうしたの?」
ゆるゆると戻る笑みに、翔太はことさら明るい声を上げて由比の傍へと歩み寄った。
「手伝いに来たんだよ、俺って偉いっ」
そう言うと、食器を拭く布巾を手に取る。
由比の手元を見ればまだ泡のついた食器が積まれていて、水切り籠には洗い終えただろうものが重ねられていた。
「え、いいよ翔太。勉強して」
泡がついたままの手では翔太を制する事が出来ずに、由比が困ったように頭を振った。
それは、今は一人で居たいとそう伝えてくる言葉にも聞える。
翔太はそれに気がついたけれどなんでもないように流し、水切り籠からお皿を手に取った。
「息抜きさせてよー、勉強ばっかで頭がパンクする。やっぱアレだね、家に先生がいるってのも結構考えもんだね」
休むにも、精神的になんか休んだ気がしない。
そう続ければ、由比の目元が緩む。
「翔太ってば……」
そう呟く声は、さっきまでと違って少し柔らかい。
それにほっとしながら、次々と食器をふきあげていく。
ちらりと横目で見れば由比の表情も最初よりはほぐれていて、頃合いかな、と翔太は口を開いた。
「圭介、謝ってたよ」
「……っ」
がちゃん、と、派手な音を立てて由比の手からカトラリーがシンクに落ちた。
「おっと、お皿じゃなくて良かった」
ステンレスのフォークとスプーンだったから、音は大きかったけれど壊れたりとかはしていないはず。
ってまぁ、そこを狙ったんだけどね。
「え、えと。何?」
当の由比は動揺しているらしく、そのままの形で固まっている。
翔太は布巾を置くと、手を伸ばして水道の蛇口を捻って水を止めた。
キュ、と言う音の後、あたりがしんとなる。
表の声が遠くに聞こえるのは、この暑いのに窓を閉め切っているからだと視線を廻らせてから気がついた。
それほど、外界から遮断された空間で一人になりたかったのかと、今更ながら圭介の影響の大きさに気づかされる。
それを少し、苦く感じながら。
「圭介の態度、怖かったんだろ? 由比ってば、びくびくしてたよ。今日はずっと」
そう言えば、びくりと肩を震わせてゆっくりと顔を上げた。
「私、態度に出てた……?」
蚊の鳴くような声で翔太に問いかけるその表情は、怯えた小動物のようで。
翔太はタオルで手を拭くと、徐に由比の体に両腕を回して抱き寄せた。
「翔太っ?」
圭介ほどない身長でも、小さな由比の体はすっぽりと自分の腕の中に包み込める。
咄嗟に離れようとした由比は、泡だらけの手に翔太を押し退ける事も出来ず、ぎゅっと両手を握り締めた。
そうして体を強張らせる由比の背中を、翔太は宥めるように軽く殊の外優しく叩く。
「気を張りすぎたんだよ、圭介。だから、許してやって」
「……? 気を張りすぎた?」
思っても見ない言葉だったんだろう。
由比は怪訝そうな声を上げて、眉を顰める。
「桐原がさ、今日来てるでしょ? 前、由比が痩せちゃう原因になった、桐原」
「え、桐原主任?」
そう、と呟くと由比は訳が分からないと首を傾げる。
「由比は何も言ってなかったけど、見ていれば分かるよ。由比が痩せた頃、よく目に付いたの桐原だもんね」
駅とかで、よく見てたし。
一度桐原から逃げてきた由比と、駅から少し離れた隨道で待ち合わせした事もあった。
「……それでって、こと?」
「そう。もしまだ桐原が由比を諦めてなかったとしたら、この後何もない様に。気合入れすぎたんだと思うよ」
そう由比に告げながら、翔太はあながち嘘じゃないしと内心呟いた。
「だから、許してやってよ。俺達の、おにーちゃんをさ」
翔太は悲しそうに自分を見る由比に強請るように、きらきらしい満面の笑みを浮かべた。
フォローしているようで「おにーちゃん」強調
ちょっと腹黒光臨中翔太(笑