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「で。なんかしたの? 圭介さんてばー」
明らかに挙動不審な由比が部屋に入ったのを見届けてから、茶化すように桐原が口を開いた。
圭介は口調とは裏腹などこか探るような真剣な桐原の視線に、自ずと表情が硬くなる。
「いえ、何もしてないんですけれどね」
丁寧な口調だが、声はいつもより低い。
圭介はゆっくりとそう口にしながら、桐原を見据えた。
由比さんの感情を揺さぶった、男。
何を、したのだろう。
自分では、由比の感情を揺さぶることはできない。
温い居場所を作ってやれても、距離は近くも遠くもない。中途半端な立ち位置。
そんな事ばかり、桐原を見ると考えてしまう。
どれだけ由比が思考の中心にいるのか、今日は思い知らされた。
妹だと、そう最初は思っていたのに。
桐原はそんな圭介の態度を訝しげに見遣りながら、ゆっくりと歩を進めた。
それは大きな声で話せば、由比に聞こえてしまうからと言う配慮だろう。
大人気ない様子だった過去を思えば、いくらか改善したんだろうか。
「あんた、今日はずっとおかしいぜ? 上条もだけど、遠野の態度もすべからく変」
「変、て」
眉を顰めて圭介が繰り返すように呟けば、桐原は鼻で笑う。
「気付いてねーのかよ、その目付き」
「……目付き?」
圭介は訳が分からないとでも言う風に、眼鏡の奥の目をすっと細めた。
その仕草に、桐原は仕方が無いとでもいう様に溜息をつく。
「さっきから鸚鵡返しみたいだな。つーかさ、あんた上条に対して恋愛感情持ってなかったんじゃねーの? そう俺に、前に言ったよな?」
その言葉に、圭介の脳裏に過去の記憶が掠める。
「……過去は振り返らない主義です」
覚えはあるものの桐原相手に肯定するのも癪に障って、圭介はそう呟いた。
「へぇ? 否定しないわけか」
桐原はそんな事はどうでもいいんだけど、と言葉を続けた。
「俺に対する視線と、上条に向ける視線。他の奴らに対するものと違いすぎて、いい加減頭に来るんだけど」
「視線?」
桐原の指摘に、圭介はふと顔を上げた。
確かに先だって見かけた仲の良い二人に、嫉妬を覚えたのは認める。
そして、桐原に対して今日は牽制の意味も込めて、周りにばれない程度に見ていた事も。
けれど……
「由比さんには、何もしていない、が」
見ていたとは、思う。
けれど、そこに桐原を見るような嫉妬心や、責めるような意味を持たせてはいないが。
ただ朝から様子がおかしい気がして、気がつくと目を向けている事が多いのは否めない。
「つーかさ。本当に、なにもしてねーの?」
確認するような桐原の言葉に、圭介は端的に是と答える。
「していません」
「ホントかよ、圭介」
圭介に被せるように、少し高めの声が入り込んできた。
声がした圭介の背中を見ると、ドアとの隙間からひょっこりと翔太が顔を出す。
「どこから顔出してんだ、翔太」
桐原が呆れたように息を吐き出せば、圭介の背中を押し退けるようにして翔太が廊下に出てきた。
「仕方ないじゃん、ドアの前にでかいのが立ってんだから」
「口が悪い、翔太」
咎めるような口調の圭介を流して、翔太は廊下の柵に背をつけた。
「俺もさー。どう考えても、何かあったと思えるんだけど。ねぇ? 桐原」
「同意はするが、お前年上呼び捨てかよ。くそガキ」
「うるさいねぇ、おっさん」
今はそこが問題じゃないんだよと言い放って、圭介を見上げた。
「それとも、気に掛かることでもあるの? 何か物言いたげな視線をずっと向けてるから、由比が気にしちゃってるよ?」
「え?」
思っても見ないことを言われて少なからず動揺した圭介は、思わず由比の部屋に行こうとして翔太に止められた。
「何しに行くの」
至極当たり前な質問に、微かな苛立ちを覚えながらも圭介は立ち止まる。
「何って、誤解を解きに……」
「圭介」
翔太は言葉を遮るように、呆れ返った声を上げた。
「俺が行くから、今は止めときなよ」
「なぜ?」
怪訝そうに見下ろしてくる圭介の背中を叩いて、翔太は柵から背を離した。
「圭介に怯えてるのに、いきなり本人行ったら驚くだろ? この後、由比は皆の所に戻るんだからさ。後にしときなって」
圭介は翔太に言われた事を反芻して、そして溜息をついた。
「分かった」
圭介がそう呟くと、翔太は笑みを浮かべてぽんぽんと背中を軽く叩いた。
「圭介でも、自分を抑えられない時ってあるんだなー。なんか、知らない一面を見た気がする」
軽い口調で圭介を茶化すと、翔太は由比の部屋へと入っていった。