16
「溝口先生、お疲れ様です」
あらかた食事の準備を終えて庭に出てくると、なぜかぐったりと椅子に座り込む溝口先生の姿が目に入った。
さっきまでいた孝美さんの姿はない。
溝口先生はがっくりと項垂れていた頭を上げて、にへらと私に向かって笑う。
「ゆいさんのご飯を食べられるなら」
そう言いながらも、ちらりと別の場所に視線を向けてふるふると頭を振った。
「でも、質問攻めにはまいった」
「あはは……、孝美さんは筋肉好きですからねぇ」
「筋肉好きって……俺の存在意義は筋肉ですかい」
拗ねたように呟く溝口先生が、大変面白い。
沈み気味だった私の気持ちも、思いっきり浮上させてくれる。
「でも、確かに体つき素敵ですよね」
タンクトップ姿を傍で初めて見たけど、うん、綺麗な筋肉のつき方だと思いますっ!
溝口先生は私の言葉に片眉を上げると、にやりと笑って腕を折り曲げた。
そこに現れる筋肉の盛り上がりに、思わず目を見張る。
「触ってみる?」
「えっ、いいんですか?」
うわっ、いいの? ちょっと、真面目に触ってみたいんだけど!
「いいよー」
軽く笑う溝口先生に促されるように、ワクワクしながら指先で二の腕の筋肉をつつく。
「うわっ、硬いっ」
「どれどれ」
すると真後ろから声が聞こえて、するっと右横から腕が伸びてきた。
「翔太!」
背中からかぶさるように溝口先生に腕を伸ばす翔太が目の端に映って、思わず声を上げる。
「うわっ、ホントだ。かってー」
しかしまったく効き目のない私の声を聞き流して、翔太は同じ様に指先で溝口先生の二の腕をつつく。
「おいこら、生徒。誰が腕をつつくのを許した」
言葉は不穏でも笑いながら言う溝口先生に、怒っている様子はない。
現に翔太は、怒られてもつつくのをやめない。
「どんだけ鍛えたらこうなるわけ? 頭も筋肉だから?」
「おいまて、さすがにそれは言われたくねーぞ。お前、どんだけ猫かぶりしてやがった」
「っていうか、翔太ってば! そんなところから手、出さないでよ」
溝口先生の言葉を継ぎながら、背中越しの翔太に声を上げる。
「えー、いーじゃん。ねぇ?」
そう言うとなにをとち狂ったか、伸ばしていた腕をするりと腰に回された。
「由比のこと、好きだって言ってるでしょ?」
斜め上、見上げるその先の翔太は可愛らしい笑顔全開だけど、やってる事は可愛くない!
「いくら好きでも、そーいうことは特別な子にしてあげなさい」
まったくっ。
「まーた、そーいうこと言うー」
「ちょっ、ちょっと」
がくりと翔太が項垂れたのは、私の背中。
上半身の重みが掛かって、体が傾ぐ。
慌てて踏みとどまろうとした私の身体を、左から出てきた腕が支えた。
「……っ」
まわされた腕の、私の腕を掴む手の力が、強い。
思わず息を詰めて、体の動きを止めた。
「翔太、いい加減にしろ」
やんわりとけれど強い力で翔太の腕を外すと、その腕……圭介さんはゆっくりとでも確実に私を引き剥がす。
「由比さんが転んだらどうする」
そう言いながら、私を自分の横に引き寄せた。
……翔太から、引き離した。
とんっと触れる肩に、普通にしなきゃと戒めた感情が、ぶわりと膨れ上がる。
……今、顔を上げたら。
さっきも向けられた、圭介さんの視線。
あれをまた、浮かべているのだろうか。
目の前に立つ翔太は拗ねた顔で圭介さんを見上げて、両腕を組む。
「なんだよ、嫉妬ならそーいえばいいのに。ねー、溝口センセ」
後半視線を向けた先は、傍の椅子に座る溝口先生。
ニヤニヤした表情で、翔太の言葉に頷いている。
「ていうかさ、ゆいさん」
「はい?」
なんでもないように笑みを繕いながら、私はゆっくりと圭介さんから離れる。
その行動に少し目を細めた溝口先生は、翔太と同じ様に腕を前で組んで私を見上げた。
といっても、座っている溝口先生と私でもあまり身長差がないのが空しい。
そんなどうでもいい事に気をとられた私に、溝口先生があっけらかんとした口調で爆弾を投下した。
「どっちと付き合ってんの?」