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きっと、それは  作者: 篠宮 楓
第5章 手を伸ばして、君が求めたものは。
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11

由比から食事会の話を告げられた翌日、圭介は職場である高校で勤務していた。

翔太は午後から予備校。


圭介は図書室の奧で資料を手にしながら、ふと、考え込む。

学校は夏休みに入っているとはいえ、教師に学生と同じだけの夏休みはない。

特に今年は大学のゼミの担当だった教授から、論文を出してみないかと誘われて少ない休日がもっと減った。

まぁ、自宅にいて翔太の受験勉強を邪魔するよりは、学校にいた方がいいとは思うけれど。

圭介は大学で史学・日本史学科に在籍し、ゼミの専攻は中世。

実際は古代史も興味の範疇で、それなりに遊びもあったけれどゼミ室に入り浸っている事が多かった。

ゼミ室の隣は、大学院生も使う教授の研究室。

めったに見ることの出来ない研究資料が山積みされていて、圭介はそこにいるのが好きだった。

高校に蔵書としておいてある資料は大学とは比べ物にはならないけれど、それでも圭介は社会科準備室よりもここにいる事が多かった。



手に持っているのは、日本史の年代表。

西暦・和暦・干支、そしてその時代に起こったことを表に纏めてある本。

中世専攻の圭介は、戦国期における国の形成について論文を書くべくページを繰っていたのだが。

関東の地図に載っていたある海岸の名前に、ふと目を留めた。

「由比……」

指先で、そろりとなぞる。

日本史好きじゃなくても、きっと知っているだろう、海岸の名前。

鎌倉時代を勉強すれば、必ず出てくる地名。

初めて由比と会った時、まさかこの字を書くとは思わなかった。

女の子の名前にするなら、「結」とか「優衣」とか「唯」とか。

他にもいっぱいあるのに、なぜ「由比」を選んだんだろうとそんな事を考えた。


目を伏せてもう一度指でなぞると、ぱたりとその本を閉じた。



少し移動して、窓際に身体を寄せる。

綺麗な青空が広がる風景は、圭介にとっては見慣れたもので。

けれど、見飽きない。

眼下の校庭では、部活動に励む生徒達の姿。

少し外れたところに溝口がいて、陸上部を指導している。

「……普通にしていれば、いい同僚上司なんだけどね」

つい、愚痴るように呟いた圭介は、朝の溝口とのやり取りを思い出しながら窓横の壁に腕から寄りかかった。





「は? 食事に?」

朝、出勤してくる溝口を職員室で待って、昨日由比から提案された食事の誘いを告げた。

案の定、喜ぶよりもびっくりしている。

それはそうだろう。

翔太の事もあって、プライベートで会ったりする事は過去なかったのだから。

圭介は口端を微かに上げて笑みを作ると、溝口の言葉に頷いた。

「えぇ。溝口先生が未だにしつこくお弁当を狙ってきてると、つい口を滑らせまして」

「ちょっと待ってぇぇっ、遠野先生! 俺、どんだけ食いしん坊!?」

「事実を伝えたまでですが」

「そこはもうちょっと、オブラートに包もうよ。大人でしょ? 大人だよねぇ? 遠野先生?」

「では、不参加と」

「参加します!」

ぴしっと手を上げて宣言するように叫ぶと、職員室にいた先生達がくすくすと笑いを零す。

溝口はそれに気付きもせず、どかっと椅子に座った。

いや、気付いていても気にしないのだろう。


「いつですか?」

溝口は鞄から引き出した携帯を操作しつつ、圭介に問いかける。


「来週の土曜日です」

「随分急ですねぇ」

「不参加ですか」

「参加だってば!」


ぶつぶつと文句を言いながらスケジュールに入力しているらしいその姿を見て、圭介はふと首をかしげた。


「手帳には書かないんですか?」


確か、引き出しに入っているんじゃ……

溝口は圭介の言葉に怪訝そうに目を向けてきたが、すぐに携帯に戻す。


「手帳になんか書いたら、忘れるじゃないですか」


……それは手帳とは言わない



内心そんなことを思ったけれど、そういえば相互理解はできないと諦めたんだっけと一息つく。


「その日、由比さんの会社の方々も来るので、粗相だけはしないで下さい」


「だから、俺、どんだけ!」


粗相ってなんだよと憤りながら、何か思いついたのかぴたりとその動きを止めた。

「もしかして……」

その声音に好奇心の色を感じ取って、圭介は見ていたプリントから顔を上げた。

目が合った溝口は、にんまりとした表情を浮かべていて。

見るからに、圭介をからかおうとする気満々だ。

「もしかしてその会社の人の中に、牽制したい人でも?」

「は?」


正直ドキリと鼓動が早まったが、圭介はそれを表に出すことなく目を細める。

溝口は漏れ出した圭介の冷たい空気にも気付かず、ニヤニヤと言葉を続けた。


「じゃないと、俺を呼ぶとかそれを許可する事自体不思議ですからね。あれだけゆいさんと話す事を牽制していたく……」

「溝口先生」

溝口は、低くなった圭介の声にびくりと肩を震わせた。

「当日は動きやすい格好と、汗を拭くタオル、着替えをご持参願います」

「ちょっ、何それ! 食事会の持ち物じゃないっ!」



そのまま待ち合わせの場所と時刻を伝えて、あうあうと呻いている溝口を尻目に圭介は社会科準備室に移動した。


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