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手間があまりかからない、それでいて見栄えのいい料理……。
大皿料理をいくつかと、サンドウィッチとかおつまみ系でいけば何とかなるかなと思う。
反対に手伝われても、うちのキッチン狭いし……。
頭の中で当日の段取りをつけると、大丈夫ですと口を開いた。
「打ち上げだから、今の忙しさが終わってからの食事会ですよね?」
まだ日にちを決めていないから、すぐって訳じゃないはず。
桐原主任はそうだなと呟くと、ふぅと溜息をついた。
「うちの仕事が落ち着くまでだから、月末以降だな」
そう。
もともと休みの人がいるからこその忙しさなわけで、その人達が復活して……けれどすぐに落ち着くわけじゃない。
フォローしていても、それには限度がある。
それが落ち着くのに、しばらく掛かるってことか……。
「なら、大丈夫ですよ。あらかた準備して、皆が来てから仕上げればいいですし」
サンドウィッチならパンと具だけ用意して、皆で挟むとかね。
「そうか? なんだか悪いな。手伝わせた上に、そんなことまでさせて……」
何作ろうと考えていた私に、申し訳なさそうに桐原主任が珍しく謝りの言葉を口にした。
レアさ加減に、ついじっと見上げてしまった。
その目に少し心配そうな色をのせて、桐原主任は真面目な顔で見下ろしてくる。
「それに、お前断ること覚えた方がいいぞ。人事の仕事と言い今回のことと言い、押し切られすぎだ」
押し切られすぎって……
「どうしたんですか、桐原主任。今日は凄く素直ですね」
反応が。
最初からこんな感じなら、抹殺対象者とか言わなかったのに。
「大体、最終的にとどめを刺したのって、桐原主任の言葉ですよ」
皆川さんを止められるの、主任しかいなかったのに。
そう言外に含めて口にすると、途端バツ悪そうに視線を落としてくる主任の姿がなんだか可愛い。
「いや、その……あのな」
口ごもる桐原主任に、くすりと笑って足を止めた。
「いいんですよ、別に。ご飯作るの大好きだから。皆川さんの勢いにはびっくりしたけど」
何か言いかけていた桐原主任は、まぁなと苦笑した。
「悪いな、ホント。費用は請求してくれ」
「上乗せして」
穏やかに話してくれる桐原主任に引きずられるようについ軽口を叩くと、ぽん、と頭を叩かれた。
「調子に乗ったな、お前」
「いや、なんか桐原主任と普通に話せるのがびっくりで」
噛み付き合うばっかりだったし。
「変、か?」
少しぎこちなさそうに顎に手を当てた主任に、私はにこりと笑いかけた。
「なんか、嬉しいです。いつもこうならいいのに」
「……上条」
少し掠れた声で、桐原主任が私の名前を呼ぶ。
なんだか気恥ずかしくなって、思わず目を伏せた。
「だって新入社員研修の時、仕事ができる主任に皆憧れたんですよ。まさか、ネズミとか言われると思わなかったけど」
結構ドキドキしながら挨拶に行ったのに。
だから。
「穏やかなら、理想の上司ですからね!」
満面の笑みで顔を上げると、動きの固まっていた桐原主任が声を出して笑った。
「あぁ、そうかい。調子に乗るなよ? 週明けからは、がつがつ仕事してもらうからな」
にやりと嫌味ったらしく笑うその表情は、いつもの主任で。
「そうじゃなきゃ、主任じゃありません」
そう言って頭を下げた。
「送って頂いて、ありがとうございました。ここ、うちなんで」
いつの間にか付いていたアパートを指差す。
桐原主任はアパートに目を向けた後、少し戸惑うようにきょろりと辺りに視線を廻らせる。
「……少し……その、殺風景じゃないか?」
ものは言い様だぁね。
「ぼろいって言ってくれていいですよ。大家さん共々、自他共に認めるボロアパートですから。でも私、凄くここが好きなんです」
桐原主任はまだ困惑したまま、そうかと頷いた。
どう言ったらいいのか、分からないらしい。
まぁ確かに、昭和の匂いはぷんぷんだもんねぇ。
桜たちがどんな反応を示すか、この桐原主任の態度を見れば想像つくし。
主任はフォローか何かを言おうと考えたらしいけれど浮かばなかったらしく、曖昧な表情でぽんと私の頭に手を置いた。
「まぁ、じゃぁ……来週から頼むな」
あはは、日本人は曖昧が一番だよねっ。
「はい、分かりました。今日はご馳走様でした」
軽く手を振って、桐原主任は来た道を戻っていく。
私はその後姿を見送って、ふぅと溜息をついて目を伏せた。
桐原主任の言葉が、脳裏をよぎる。
「……押し切られすぎ、か」
ポツリと呟く。
――押し切られすぎ、自分の意見ないの?
笑ってばっかりでさ。
昔聞いた、呆れ交じりの嘲笑。
伏せていた目を一度瞑って、顔を上げる。
既に暗くなった風景に、桐原主任の姿はない。
桐原主任は、心配して言ってくれる。
嬉しいことだよね。
小さく笑う。
自分でも、分かってるよ。
でも、それでもね。
求められるのは、嬉しいんだよ。
自分の存在を、確認できる。
ぱんっと軽く頬を両手で打つと、思考に沈んでいた意識を切り替えて自分の部屋へと戻った。
その姿を、見られていたことなど知らずに。