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きっと、それは  作者: 篠宮 楓
第2章 びっくりの法則
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「由比、終わった? 大丈夫なら、帰ろうよ」

終業時刻になると、学校の授業の鐘が鳴るのが地味に好き。

じゃなくて。

「終わった終わった、かえろー」

ノー残業をスローガンに掲げる総務は、当番で週に一度だけ電話番という名の残業をするけれど、それ以外の日は終業の鐘=帰宅! という、素晴らしい課。

事務課の平社員はほとんどこれに準じ、役職持ちでもあまり残業はしない。

ちなみに私の残業当番は明日。

いいか悪いか、ゴールデンウィークの前日。

まぁ、翌朝寝坊できるからいっかな。


机の上を片付け、ノートPCを鍵付きの引き出しに入れ終わると、鞄を持って立ち上がる。


「それじゃ、お先に失礼します」

桜と二人、総務の人たちに挨拶をすると、会社を出た。




会社を出て駅までの道のりは、五分もない。

卸会社が多いこの地区は、人通りも車通りも多く、帰社時間帯は結構な混雑。

「由比のこの後のご予定は?」

桜が腕時計を確認しながら聞いてくるから、即答。

「タイムサービス一直線」

握り拳もオプションで。

桜はくすくす笑いながらいつも通りね、と駅の改札をくぐっていった。

その後姿を見送って、駅の構内を突っ切る。


反対側の入り口は、駅に向かう人も出ていく人も少ない。

やっと体の力をぬいて、息を吐き出した。


そう、私の住んでいるアパートは会社と最寄り駅が一緒なのだ。

まぁ、ここからアパートまでが大分遠いけど。

道のりにして、約二十分。

荷物を持つと、もっとかかる時もある。

それでも節約を目指す私としては、本当にいい場所に就職できたなぁと駅をくぐるたびに思う。


あまり人通りのない道を歩き出そうと足を動かした途端、後ろから肩を掴まれて流石に飛び上がった。

鼓動が、急激に早くなる。


「ゆーい」


声も出ないほど心臓がばくばく意っている私の耳に届いたのは、楽しそうな男の子の声。

聞き覚えのあるそれに、思わず胸を押さえた手のひらから、ゆっくり力を抜いた。

「しょう、た」

それでも強張る身体が、声を震わせる。

「ん、由比? ごめん、そんなに驚いた?」

私の声に翔太の方が驚いたらしく、慌てて正面に回りこむと私の顔を覗きこんできた。

黒い学ランが、目に映る。

「ん、大丈夫。ちょっとびっくり、した、だけだから」

大丈夫といいつつ、まだ震えそうな声を何とか絞り出す。

翔太は困ったように目の前で私を見ていて、どうにかしないといけないと思いつつ、身体は言う事を聞かなかった。


頭の中で、大丈夫大丈夫と何度も繰り返す。

ごめんねと謝罪を口にする翔太を、見上げた。


大丈夫、“あの人”じゃない。


焦ったような、困ったような、とにかく少し泣きそうに見える翔太を見て、やっと身体から緊張が抜けた。

「大丈夫、しょ……」

「上条?」


……え?


私の言葉を遮るように後ろから掛けられた声に、顔だけ振り返る。

「桐原主任?」

少し後ろに、桐原主任が立っていた。


――なんで?



桐原主任はゆっくりと私達に近づくと、ぽんっと私の頭に手のひらを乗せる。

「お前、流石に子供に襲われてるとか言うなよ?」

「は?」

襲われてる?

ぽかん、と口を空けたまま桐原主任を見上げると、眉を顰めた顔がさっきよりも近くにあって驚いて一歩後ずさった。

「っと……」

ら、翔太に体当たり。

ごめん、そういえば目の前にいたんだよね。

慌てて翔太に謝ろうとしたら、頭にのっていた桐原主任の手がぐいっと私を引き寄せた。

「わっ」

よろけた身体を支えきれなくて、そのまま桐原主任にぶち当たる。


ちょっ、首っ! 首がごきっていったじゃないか!!


「痛いです! なんなんですか、桐原主任ってば!」


頭で人を操作するんじゃない!


鞄を持っていない方の手で主任の身体を押し返すと、今度は両肩を引かれて後ろによろけた。

背中が翔太の身体に当たる。

一体、何。この状況は。


――つーか、頭がくらくらしてきた。


「ね、由比。この人誰?」

頭の上の方から、翔太の声が掛かる。

「その前に、この手を離そうか。翔太」

「ね、誰?」

人の話をまったく聞かない翔太に、私は溜息一つで諦める。

「会社の上司。桐原主任、そういえばどうしたんですか? こんな所で」

確か主任は電車通勤じゃなかったでしたっけ。

「そのガキはなんだ?」

こいつも話聞かないよ。

私の周りは、何でこんなに話を聞かない奴ばかりなんだろう。

だんだん、どーでもよくなってくる自分が切ない。

「ガキってやめてくださいよ。お隣さんです。で、主任は一体……」

「ね、由比。今日の夕飯って何?」

「は?」

私の言葉を遮る翔太に、つい怪訝な声を返してしまった。

そこは許して。

なぜここで夕ご飯の話になるのかよく分からないけれど、もう諦めの境地なので何も考えずに昨日冷凍したおかずを思い出す。

「なんか、鶏肉食べたいからそれの味噌漬けかな。昨日、冷凍しておいたから。なんで?」

「由比、料理上手いもんね。昨日のシチューおいしかったし」

「あ、そう? それは嬉しい」


料理を褒められると、ある意味、無条件で嬉しい。

じゃぁ、お昼に考えていた事も、受け入れてもらえるのかな。

一人分作るより、多く作った方がおいしいんだよね。

食材をたくさん使えるから。

だしとかうまみとか、いっぱい出そうじゃない?


「上条、それって……」

桐原主任が怪訝そうに口を開いた時、後ろのロータリーに車が止まった。

その音に首だけそっちに向けると、シルバーの車から降りてきたのは。

「圭介さん!」

やたっ、救世主!

やっと話を聞いてくれそうな人が来て、思わず嬉しそうな叫びになってしまった。

「……」

しまった、桐原主任の眼光が突き刺さる。

「由比さん?」

圭介さんは私の声に不思議そうにこちらを見た。

そりゃ、不思議な光景ですよね。

でかい男に挟まれるチビ女は、さぞかし面白い光景に違いない。

さながら連行される宇宙人……

言ってて、寂しくなってきた。

歩いてきた圭介さんはとりあえずとでもいうように、私の両肩から翔太の手を剥がした。

後ろで翔太の舌打ちが聞こえたけれど、無視しておこう。

あんな可愛い顔から舌打ちとか、聞きたくない。


「由比さん、ごめんね? また翔太が迷惑掛けたみたいだね」

ほわんとしたその笑顔に、すみません、顔が赤くなるのは止められません。

「あ、いえ。特に迷惑を掛けられたわけでは……」

両手で頬を押さえる私。どれだけ純情なのよぅ。はい、すみません、純情じゃなくてそこだけただの子供です。

自分突込みは忘れずに。とりあえず落ち着くから。

圭介さんはそんな私の態度にも突っ込まず、帰りですか? と話を続ける。

「はい。これからスーパーにタイムサービス目指していく予定です!」

そこまで言わなくていいと思うよ、私。

言ってから突っ込む。


圭介さんはくすりと笑うと、それじゃあと車に視線を向けた。

「一緒に行く? 私も翔太を拾ったら、買い物に行くつもりだったから」

「え、ホントですか?」

荷物持って、歩かなくて済むわけですね!

喜んだ後、まてよ、と考え込む。


ちょっと図々しい気もするよね、私。

しかも、昨日警戒心を持て的なことを圭介さんに言われたばかりなのに。


黙り込んだ私に、圭介さんが何か気付いたようにふわりと笑う。

「昨日私が言った事なら、気にしないで。もうまったく見も知らないわけじゃないし、由比さんさえよければ」

「図々しくてすみません、じゃぁお願いできますか?」

「ついでに、鶏の味噌漬け頂戴」

「翔太」

口を挟んできた翔太に、圭介さんの声が飛ぶ。

いい加減にしなさいとでも言うその視線に、私は苦笑した。

「いいですよ、何枚も冷凍してありますし」

「早く帰ろ、お腹すいた」

翔太の言葉に笑いながら、はたと気付いて後ろを振り向いた。



「桐原主任」

そういえば、いること忘れてたよ。ごめんなさい。

じっとこっちを見ていた桐原主任は、私の声に視線だけ動かした。

「なんだ」

「いや、なんだは私のセリフなんですけどね。こっちに何か御用でもあったんですか?」

さっきから聞いてるのに、あっさり流してるんですが。

桐原主任は少し視線を動かしてから、もう終わったと呟く。

終わった?

聞き返そうとした私より先に、翔太が口を開いた。

「もしかして、由比に用があったんじゃないですか?」

「私?」

「僕がいたから話せなかったとか。すみません、邪魔してしまいましたか?」

ていうか僕って何。

何、猫かぶってんの翔太。

呆気にとられて翔太を見上げたら、私の視線に気付いたのか口端だけ微かに持ち上げた。


――こわっ、外面だ! 昨日の孝美さんの時の翔太だ!



そんなことを考えていたら、溜息をつく音に桐原主任を見上げる。

「仕事の話が少しあっただけだから、別に。明日会社で話すから、いい」

「仕事ですか? なんです?」

気になるじゃないか、そんな言われ方!

桐原主任は明日でいい、と後ろの二人に頭を軽く下げて駅の改札をくぐっていった。





それを見送って、圭介さんの車に乗り込む。

「一体なんだろう、仕事の話って」

助手席の後ろに座りながら、シートベルトを締める。

助手席に座ればいいのに後部座席に乗り込んでいる翔太が、私を見てにやりと笑った。

「由比って、鈍いとか言われない?」

「言われない」


即答する私に、翔太の盛大な笑い声が押し付けられた。




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