物量勇者
王国は滅亡の危機に瀕していた。連日の様に行われる魔王軍の攻撃によって。
「これより、召喚の儀を執り行います」
松明の明かりが唯一の光源となっている薄暗い王宮の地下。一人の少女が振り返って二人の男性にそう言った。少女の名前はヒイラ。異界から救国の英雄となるであろう存在を召喚し、その者を魔王の下へと導く使命を帯びている。
二人の男性のうちの一人が重々しく頷き、ヒイラの言葉に応えた。その男はこの国の王であり名をドミティエという。王冠の下にある眉間に深く刻まれた皺が彼の王としての責務を果たすのが生易しいものではないと雄弁に物語っていた。
王の承諾を得ると、ヒイラは、床に描いた複雑に組み合わさった直線と呪文で構成された魔法陣に向き直った。短く息を吐き、吸う。そうして地下の湿気を多く含んだ空気で肺を満たすと、何千何万回と繰り返した呪文を唱え始めた。これまでの生涯の内の大半を費やして行った修行によってヒイラはその呪文を無意識の内に唱えることができる。だが、本番はこれが初めてであり、ヒイラは緊張感を持って一音一音を間違えないように気を付けながら呪文を唱えていった。
ヒイラが唱えている呪文は魔法陣に描いているものと同じものである。その描かれた呪文が、唱えられた部分をなぞるように順に光を帯びていく。その光は呪文の部分を通じて魔法陣全体に広がっていき、ヒイラが呪文を唱え終わる頃になると隅々まで明るく光っていった。そしてヒイラが唱え終わると魔法陣は光量を増し、松明の明かりを遥かに凌駕する閃光を地下室に放った。薄暗い地下室に目が慣れていたヒイラは、反射的に目を灼かれまいと瞼を固く閉じた。
瞼を通してでも感じられる強い光は数舜で終わった。ヒイラは目に異常が無いことを確認するように何度か強めに瞬きをしてから魔法陣の方を見た。やや焦点の合わないヒイラの視界には、魔法陣の中に佇んでいる一人の人物が見えた。
その人物を見てヒイラは思わず涙をにじませた。なぜなら、自分のこれまでの人生の集大成であり、この国を救ってくれる存在が、今、目の前にいるという感情と感動が抑えきれなくなったからだった。光によって刺激を受けた目を保護するために流れているのもあるが……。
慌てて涙を拭い、ヒイラは異界より呼び出した者に声を掛けた。言語の壁は端から無い。魔方陣の効果によって言葉は通じるようになっているはずである。
「あなた様がこの世界を救いに来られた御方ですか?」
召喚に応じた人物はヒイラから見て普通の若い男性のように見えた。町で見かけたら、すれ違った瞬間にどんな顔だったか思い出せなくなるような顔。背はやや高いが、鍛えているとも、太っているとも、痩せているともいえない体つき。身に着けている装備は、毛羽立ったマントに、王国軍の一般兵士すら装備しなさそうな粗末な作りの革製の胸当てと、鞘に入った状態でもわかるような安物の剣。見た目でいえば、ヒイラの想像していた救国の英雄とは全く違っていた。だが、見た目の良さでこの国を救うものではないと、ヒイラはその印象をすぐに頭の片隅に追いやった。
「ああ、そうだ。俺はラナリア。君は?それと後ろの二人は?」
ラナリアと名乗った男性にヒイラは自己紹介を始めた。
「私はヒイラと申します。『導き手』という、ラナリア様を魔王の下に無事に送り届ける使命を帯びている者です。後ろにおられる方々は……」
ヒイラは後ろの二人がどんな人物なのかをラナリアに伝え始めた。導き手としての使命は既に始まっている。
「王冠を戴いておられる方がこの国の国王、ドミティエ王です。そしてその後ろに控えられている鎧を装着されている方が――」
「――キナイだ。王国軍の指揮を任されている。よろしく頼む。ラナリア殿」
王国の防衛を担っている者としては、救国の英雄となる人物と早く言葉を交わしたいのだろう。ヒイラの紹介を待たずして、王国軍隊長のキナイが自ら名乗った。逸る気持ちはそれだけにとどまらなかったようで、続けてキナイは前に歩み出て、ラナリアに握手まで求めた。異界でも握手の文化はあったようでラナリアはそれに答えた。
握手を終えると、キナイはただでさえ厳めしい顔を厳つくし、低い声で言った。
「……来てもらってばかりで悪いのだが……君の力を見せてくれないか?」
それはラナリアにリソースを割く価値があるかどうかの見極めだった。魔法陣によって呼び寄せられた者は全て強者であるということを保証されている。だが、責任ある立場の者としてその強さを直に見ておきたいのだろう。ラナリアはキナイのその意図を汲んだのかあっさりと受け入れた。
「すまないな」
「いいさ。慣れているから」
そのラナリアの言葉は、何度か他の異界に行って同じような経験をしてきたかのような口ぶりだった。ヒイラはその言葉を聞いて最初から高かった期待を更に高めた。
四人は地下を出て、練兵場へと向かった。練兵場には何人かの兵士たちが二人一組となって訓練用の木剣を持って剣術の稽古をしていた。その稽古の熱量は戦時下にあるためか高い。一人一人が自分の故郷と家族を守ろうと必死に木剣を振るっていた。
「注目!」
突然聞こえてきたキナイの大きな声にヒイラは驚いた。戦場で指揮をしていくにしたがって発達した喉は、夢中で訓練している兵士たちでさえ聞き逃さないような大きな音の波を練兵場に響かせ、持ち主の下に視線を集めた。キナイの姿を視認した兵士たちは、例外なく瞬時に姿勢を正す。瞬時に静まり返った練兵場で、キナイは先程よりやや小さな声量で兵士たちを休憩させ、練兵場を空けさせた。
「さて……。観客たちがいるが、気にせず始めよう」
キナイのその言葉にヒイラは練兵場の入り口の方を見た。すると、僅かに開いた門扉から兵士たちが覗いているのが見えた。彼らも自分たちの国を救う存在の実力が気になるのだろう。
「いいさ。見られて困るものじゃない」
ラナリアは落ち着き払ってそう言った。その堂々とした態度は、高い実力を持つが故の自信から来ているのだろうとヒイラは思った。
「それでは魔法から見せてくれ」
キナイは遠く離れた的を一つ指し示した。それを遠距離攻撃のできる魔法で撃ち抜けということなのだろう。ラナリアの話ではどうやら元の世界にも魔法があり、この世界でもそれは使えるようだった。魔法使いという職業が無いほどに魔法が一般的なこの世界の住人としては、是非ともその威力を見ておきたいという考えに至るのは当然であったし、それはヒイラも同じであった。
ラナリアは的をじっと見つめてから、五歩、的の方へと歩いていった。どうやらラナリアの魔法の射程距離はそこまで長くないらしい。的を射程距離に収めてから、ラナリアは両掌を的の方に向け、詠唱を始めた。詠唱を始めると、ラナリアの両掌の前方に小さな火球が発生した。その小さな火球は詠唱が続いていくにつれて徐々に大きくなっているようにヒイラには見えた。ラナリアの唱える呪文は長い。この世界で言う上級魔法以上の長さの詠唱にヒイラは胸を躍らせた。ラナリアの声が勢いと大きさを一段増したところで、火球は放たれた。小さなまま。
拳大の火球は矢よりも遅い弾速で的に向かって飛んでいくと、無事標的に命中し、弾けて消えた。その威力は大きさから想像できるそのままの威力であり、木製の的の表面を僅かに焦がしただけだった。火属性の初級魔法以下の火力であった。
「……この世界だと本来の威力が出ないのか?」
キナイがそんな推測をラナリアに言った。その言葉には恐らく気遣いもあっただろう。
「そっ……そうですよね!?ラナリア様!?」
ヒイラもキナイのその言葉に続いた。そうあってほしいという思いがある。
「いや。元からこんな威力だ」
ラナリアは淡々とそう言った。まるで自分の強みは魔法にあるわけではないと言わんばかりだった。その様子を見たからか、キナイは覗きを行っている兵士たちの中から、一人呼び寄せた。ラナリアの剣の腕を見ようとしているのだろう。木剣をこれから闘う二人に渡しながらキナイは言った。
「双方、遠慮はいらない。全力を出して戦ってくれ。……だが怪我をなるべくさせないように」
最後の言葉はラナリアに向けて言ったのか、はたまた兵士に向けて言ったのか。キナイほどの実力者であるならば、既に勝敗をある程度予想できていたのかもしれない。
試合はキナイの合図とともに始められた。お互いに真っ先に仕掛けていかず、相手の実力を測るように構えたまま動かない。長く続くかと思った睨み合いは、ヒイラが終わっていたよりもすぐに終わった。ラナリアが仕掛けていったのだ。上段から振り下ろされた剣を兵士が受け止める。ラナリアが続けて剣を振り、二合。三合目は無かった。なぜなら、ラナリアが三太刀目を繰り出そうとした時、兵士の振り落ろした木剣が脳天に直撃したからだった。慌ててキナイが試合を止める。
「そこまで!ヒイラ!」
ヒイラはキナイに言われるよりも早く動いていた。ラナリアが攻撃を受けた箇所に手をかざし呪文を唱えていく。ヒイラは導き手としてこの世界で唯一回復魔法を扱える存在である。外傷は無いため、傷が癒えているかどうかわからないが、ラナリアの苦痛に歪んだ顔が和らいでいっているため、ヒイラはほっとした。兵士の攻撃は手加減していたようで、ラナリアの治療はすぐに終わりそうだった。
「……無事で何より。……だが――いや、何でもない」
キナイの濁した言葉が何と言おうとしていたのか、ヒイラには分かった。それは彼女も同じ気持ちであったからだった。弱すぎる。ラナリアは魔法陣によって召喚したととても思えないほど弱かった。彼が本当に魔王を打ち倒せるのかという疑問がヒイラの頭の中で湧きおこり、
それがどんどんと大きくなっていった。
「――もしや、特異な能力を秘めておるのではないか?」
王が口を開いた。その王の言葉に、ラナリアは治療を受けながらでゆっくりと頷いた。それを見てヒイラのもやもやとした心は晴れた。魔法陣が選んだ人物がこれで終わるはずが無い。
「見せてみよ」
王に促され、ラナリアは立ちあがった。立ちあがっただけであった。他に何をするでもなくただ立ってじっとしている。ヒイラは立ち上がったラナリアを見上げ、彼が何をするのか注目していたが、しばらく経っても何も起こらない。視界に入った王の驚いたような顔を見て、ヒイラはある違和感に気づいた。ヒイラは未だにラナリアを治療していたのである。
短い悲鳴を上げ、ヒイラは『二人』のラナリアから距離を取り、キナイの後ろに隠れた。キナイの体を遮蔽物にしながらラナリアを観察し、よく見比べてみたが、どちらも見た目に違いはなかった。だが、それぞれ意思を有しているようで、じっと立っている方は王の方を見たままであり、治療を中断された方のラナリアは頭の叩かれたところをしきりにさすっていた。そのラナリアの様子を見て、ヒイラは自分の使命を思い出し、慌てて治療を再開した。
「それが貴公の能力か……」
立っていたラナリアが治療を受けている自分に代わり、答えた。
「ああそうだ。俺は増えることができる」
ラナリアが能力の詳細を簡潔に話し始めた。第一に、ラナリアに本体という概念がないということ。つまり、この異界に来て魔法や剣術を見せヒイラの治療を受けている自分も、王に言われて増えた自分も同じラナリアであり、どちらからでも増えることが可能であるということ。第二に、これはラナリア自身も試したことが無いが無限に増やせるということ。第三に、増やした元となったラナリアが、どのような装備を付けていようと今の粗末な装備の状態で増えるということ。最後に絶命したら瞬時に体が消え去ってしまうということ。
「無限に増えることができるのか……」
話を聞いていたキナイが、顎に手を当て、考えこみ始めた。無限に増え続ける戦力をどのように扱って魔王軍と戦おうか考えているのだろう。そう察したヒイラはラナリアが魔王討伐のためにこの世界に来たということを改めて強調した。
「もし、魔王の下に辿り着く前にラナリア様の存在を相手に知られてしまえば、何かしらの対策を取られてしまうかもしれません。ここは当初の予定通り私と二人……?三人で魔王討伐に向かうべきです」
「……ふむ。確かにそうだ」
王はヒイラの言い分を聞き入れた。王がお決めになられたのならとキナイは自分の構想をあっさりと無かったことにした。これからの方向性が定まると、王は懐から蒼い冠の様な額当てを取り出した。
「異界より来たりし英雄に旅路の助けとなるこれを授けよう」
そう言って王は少し迷った後、目の前に立っている方のラナリアに額当てを被せた。
「これは?」
被せられた額当てを微調整しつつラナリアが尋ねた。
「それはこの国を救う英雄に与えられる物でな、それを付けておれば、違法な施設以外ならその代金の全てをこちらで支払う仕組みになっておる」
いくら国が存亡の危機に瀕しているからといって出立の儀式ぐらいはできる。略式ですらない方法でその様な重要な物を授けたのは王が儀式の類を好まないからであろうとヒイラは思った。
「隠密性を保つため盛大な見送りなどは行えぬが、この場、この時をそれの代わりとして貴公に旅立ってもらいたいと思う」
別に城内で見送るぐらいであれば魔王側に知られることも無い。それを省略しているのは王自身が面倒くさがっているのだろうとヒイラは思った。
「……分かった。行こう、俺」
額当てを付けたラナリアの呼びかけに治療を終えたラナリアが立ち上がった。二人のラナリアが練兵場の出口へと向かっていく。その様子をボケっと見送っていたヒイラは、ラナリアが門扉の取っ手に手をかけた時に自分の使命を思い出し、慌てて二人を追いかけていった。そうして、一人と二人いる一人は魔王討伐に向かって行ったのだった。
門扉が閉まる音がしてから、王はキナイに声を潜めていった。
「もしかしたらあの者が新たな亡国の危機になるやもしれんな……」
王の見送りを受けたからといって、そのまま魔王討伐の旅に出る、とはいかない。旅装を整える必要があった。
「……ラナリア様。一度私の自宅に寄ってもよろしいでしょうか?」
少し迷ってから、ヒイラは額当てを付けている方のラナリアに伺いを立てた。
「ああ、いいぞ。それと、様を付けなくてもいいし、そんなに堅苦しい喋り方じゃなくていい」
「分かりました。ラナリア……さん」
ヒイラは自宅に着くと、いつでも発てるようにと必要な物を詰め込んでいたリュックを背負った。大きなリュックであり、背負うと頭から腰の辺りまで隠れる。必要最低限の物しか入れてないがそれでもかなりの重量になった。
「随分と重そうだな……。俺が背負おうか?」
ラナリアの申し出をヒイラは断った。
「いえ。お気持ちだけで充分です。ラナリアさんには戦いに専念していただきたいので。それに、私こう見えても鍛えているので大丈夫です」
「そうか……」
ラナリアたちは外に出た。ヒイラはその後に続いていく。心なしかラナリアたちの歩く速度はヒイラが空身の時よりもゆっくりになっていた。
魔王軍の目を避けるため、旅路は魔王軍主力を大きく迂回するルートをとる。遠回りなため時間はかかる。だが、そうすれば途中に魔王軍の被害を受けていない村や町がいくつかあるため旅に必要な物資の補給も容易にでき、道中の戦闘も少なく済むはずだ。そういう見積もりをヒイラはしていたのだが、王都を出てすぐの森の中の間道で、敵と出くわした。緑の肌に子供の様な体躯のモンスター。
「あれは……ゴブリン……?」
ラナリアの推測は正解だった。元いた世界でも似たような見た目だったのだろう。
「そうです!この世界ではかなり弱いモンスターですが、お気をつけて!」
額当てを付けているラナリアが前に進み出た。一人で倒そうというのだろう。ゴブリンはその繁殖能力の高さを生かした集団戦を得意としているが、目の前の一体以外姿はない。一対一であれば、一か月戦闘訓練を積んだだけの兵士でも簡単に倒せる。練兵場ではあっさり負けたラナリアでもさすがに勝てるだろうとヒイラは思った。だが、ラナリアは負けた。
ゴブリンに不意を突かれ、飛び掛かられて、何処からか調達した錆び付いたナイフを突き立てられたのだ。
「ラナリアさん!」
ヒイラの悲鳴が辺りにこだました。そのこだまが完全に聞こえなくなる前にラナリアは来ていた服と装備、そして額当てを残して消えさった。治療を始める暇もなかった。
「どうやらこの世界の魔物は、俺が今まで見てきた世界の中で一番強いようだな……」
生き残ったラナリアが歩み出た。一歩、二歩、三歩、四歩。その歩みは決して早くないのにも関わらずヒイラはラナリアの残像が見えた。
「行くぞ!俺たち!」
ヒイラが残像だと思ったのは、残像ではなく増えたラナリアそのものだった。五人のラナリアは一匹のゴブリンを取り囲み袋叩きを始めた。
敵とはいえ、五人に四方八方から剣で斬られる小さな体のゴブリンに、ヒイラは同情を隠せなかった。ヒイラの思い描いていた英雄というのは大軍を一人で相手取ったり、強敵を、死力を尽くして退けたりと、子供が寝物語として聞けば逆に興奮して寝付けなくなるようなそんな活躍をする存在であった。だが、今のヒイラの目の前で繰り広げられているそれは、弱い者虐めだった。
「――いけない。ラナリアさんは私……いえ、この世界のために戦ってくれているんだ」
自分の理想と違うからといって拒否反応を示すのは違うとヒイラは頭を振って良くない考えを消し去った。見ているだけでなく自分のできることをしよう。そうヒイラが思った時、五対一で戦っているにもかかわらず、ゴブリンの攻撃を受けて一人のラナリアが倒れた。どうやら弱い者虐めという評価は間違っていたようだった。倒れたラナリアを急いで安全な場所まで運び、治療としようとしたが、ラナリアは運んでいる途中に消え去ってしまった。
抜け殻となったラナリアの装備を前にして、ヒイラが自分の無力さに打ちひしがれていると戦いの音が止んだ。ヒイラが戦いの跡地の方を見ると、円になった四人のラナリアの中心に血を流して倒れているゴブリンが『あった』。ラナリアたちはヒイラの方に向かってきた。その内の一人は途中、額当てを拾い、被った。
「……ごめんなさい。お二人を助けることができませんでした……」
「別に気にすることは無い」
ヒイラの謝罪を、額当てを付けたラナリアは軽く受け止めた。その後、ラナリア同士で何やら相談を始めた。
「それよりどうする?俺」
「まあ、額当て付けた俺でいいんじゃないか?」
「妥当だな」
額当てを付けていない三人は三角形になるように向き合った。片手には剣を握っている。
「せーのでいくぞ。ちゃんと急所を狙えよ。せーの!」
三人のラナリアは寸分の違いなく、同じタイミングでそれぞれの自分の急所を狙った。上空から見れば三点から線が伸び、正三角形ができたのが確認できたであろう。ラナリアの集団自殺を見たヒイラは、血の気が引いていくのを感じた。
ヒイラはハッと目を覚ました。空は暗く、木々の枝葉が焚火の明かりによって仄かにオレンジ色に色づいている。顔を焚火の方に向けると、焚火の向こう側にラナリアが一人いた。
「気が付いたか」
ラナリアのその言葉で、ヒイラは自分がさっきまで気絶していたのだと理解した。気絶する前に見た光景は夢か何かだと思ったが、自分が寝かされていた寝床がラナリアの装備しているマントを四枚重ねたものだと分かると、ヒイラは大きく溜息をついた。
「……どうしてあんなことをしたんですか?」
ラナリアはやや間をおいて話し始めた。
「……俺がこの世界のバランスを狂わせかねない存在だからだ。俺は全員が意思を持ち、全員が腹を空かし、水を飲む。しかし、排便せず、死ぬと消える。普通の生命であるならば死体や便を土に還すことによってこの世界に循環していくが、俺はそうではない。この世界の資源や食料をただ消費するだけの存在だ」
だから不必要な俺はすぐに消えるようにしている。とラナリアは言った。無限に増えるが故か死生観が常人のそれとまったく違う。
ラナリアのその話をヒイラは理解することができたが、納得することはできなかった。消えていったラナリアにも痛覚がある。気絶する直前に一瞬だけ見たが、三人のラナリアの顔はどれも苦痛に歪んでいた。
「……その……。なるべくああいったことが無いようにお願いします……」
「……分かった」
ヒイラが言ったことは自分の感情を優先させた我儘であると、彼女自身理解している。だが、ラナリアはそれを約束してくれた。そんなラナリアの優しさに応えるために自分がしっかりしなければならないとヒイラは思い、固く決意した。
この日以降、ラナリアが増える必要性のあるような出来事は起きなかった。迂回路を取った甲斐があったらしく、敵に出会わなかったのだ。ラナリアは空腹を感じたりすると、度々自分を増やして自殺しようとしていたが、その度にヒイラがそれを全力で止めた。例え消費するだけであったとしても一人だけなら何の悪影響も及ぼさないと。
一人と一人の旅は、一か月ほど続いた。途中立ち寄った村や町はどれも魔王軍による攻撃を受けておらず、その道中は至って平和だった。あまりにも平和すぎて、魔王軍の侵攻というのは別の世界の出来事なのではないかとヒイラが思ったりしたことさえ、あった。
一か月が経ち、旅程も殆ど終え、順調にいけば翌日に魔王の下までたどり着けそうな頃、ヒイラはある悩みを抱えていた。それは未だにラナリアと会話が満足にとれていないということだ。何度も試みてはいるが、二往復以上しない。べつにこのままでも魔王討伐には支障をきたさないであろう。しかし、ラナリアはヒイラの人生で初めてといっていい、かかわりを持った自分と近い年齢の男性であり、この一か月の間で芽生えたある感情もある。このままの関係性で終わりたくはなかった。どうやって関係性を発展させようかと思案しながら道を進んで行くと、視界が開けた。森を抜けて河原に出たようだった。この川沿いを上流に進めば魔王の根城まで続く道があるはずだった。
「この川沿いに進めば魔王――」
水面に大きな石が落ちた音がした。ヒイラは勿論、ラナリアも石を投げるようなことはしていない。大きな魚が飛び跳ねたのかと、ヒイラはその音のした方向を見た。すると、川の中にいつの間にか石垣があった。意志を持って動く。
「ゴーレムです!魔王軍の中でもかなり強い部類のモンスターです!」
ラナリアが戦闘態勢に入った。みるみるうちに自分を増やしていく。ラナリアが増えるのをヒイラは何度か見ているが、未だにどのように増えているのかは分かっていない。いつの間にかという形容が相応しかった。
数十人ほどに増えたラナリアが、一斉にゴーレムに切りかかった。並の相手であればそれで勝てるだろうだが、ゴーレムは自身の粘性の体液で石を全身に付着させたモンスターである。ラナリアたちの安物の剣は石の鎧にあっさりとはじき返された。
「魔法で攻撃を――私がやります!」
練兵場で見たラナリアの魔法の威力では、ゴーレムがいくら魔法に弱いといっても効かない。攻撃魔法もある程度扱えるヒイラが攻撃するしかなかった。
「中級魔法を唱えるのでその間援護をお願いします!」
「分かった!」
一番近くにいたラナリアが応えた。彼は額当てを付けていた。
ヒイラは旅路でも使っていた杖を使い、それに魔法を発射する片腕を依託した。こうすれば中級魔法の発射時の強い反動を軽減でき、狙いも正確になる。発射の態勢が整うと素早く呪文を唱え、魔法を放った。人の頭部ほどの大きさの紡錘形の火球がゴーレム目掛けて鋭く飛んでいく。その尖った先端は、ヒイラの狙いと寸分違わぬ部位に着弾した。ヒイラが狙ったのはゴーレムの石の鎧の一番脆弱な部分、大きな岩でなく小石が密集して付着している部位だった。ヒイラの魔法によって、付着していた小石はいくつか剥がれ落ちていったが、それでも本体を露出させるには至らなかった。
「もう一発!」
戦いの興奮によるのか、それとも火属性魔法を使ったからなのか、暑い。額に噴きだした汗をヒイラは拭った。その瞬間、一瞬だけだが自分で視界を遮ってしまった。汗を拭い終わり、ゴーレムを視界に収めると、こちらに向かって高速に飛翔している物体が見えた。避けなきゃ。そう思考することはできたが、体はその思考についていけず、ただ衝撃に備えるため両目を固く閉じることしかできなかった。両目を閉じた直後、ヒイラの体は衝撃を受けた。だがその衝撃はヒイラが想像していたよりもやさしく、そしてぶつかった物体は想像よりも柔らかかった。
ヒイラが目を開けると、自分にぶつかった物体が目の前に転がっていた。それは額当てを付けたラナリアだった。頭から血を流している。近くに転がった血の付いた石を見る限り、ゴーレムの投擲した石から庇ってくれたのだろう。
「ラナリアさん!?――今治療します!」
急いでラナリアの頭部に手をかざし回復魔法を唱える。対象が絶命していない限りはどのような傷も治せる。にもかかわらず、ラナリアの体は徐々に透けていっていた。
「俺の事はいい……。どうせ俺が死んでも他に俺がいるだろう?」
「駄目です!死なないでください!」
怪我の具合が回復していっているのにもかかわらず、ラナリアが今まさに消えようとしている。その原因は、ラナリア自身が生きようとしていないからなのではないかとヒイラは推測した。そして、咄嗟に頭の中に浮かんだ、ラナリアが生きようとする気になるような方法をヒイラは無我夢中で実践した。
ヒイラは消えかかっているラナリアと唇を重ねた。その途端にラナリアの体が不透明に戻った。
「何を!?」
「いきなりごめんなさい!でも死んでほしくなかったんです!」
「俺は他にいくらでもいるだろ!?それとも一月一緒にいた俺だから助けたのか!?」
「いいえ!違います!今ここで治療しているラナリアさんにも!今ゴーレムと戦っているラナリアさんたちにも!死んでほしくないんです!」
「今こうしている間にも他の俺はどんどん消えていってるぞ!?それは良いのか!?」
この時、二人の会話は初めて三往復目に入った。
「良くないです!良くないですけど……!私がっ……!みっ……未熟だから……!一人……助けるの……が……精一杯で……!」
三往復目に入った会話は、ヒイラが泣き出した事によって中断された。
ヒイラは泣いている間も回復魔法を止めたりしなかった。その甲斐あってか、ラナリアは起き上がることができるまで回復した。
「さっきはすまなかったな」
起き上がったラナリアが申し訳なそうに言った。ラナリアが起き上がって分かったが、額当てが僅かに凹んでいる。これを付けていなかったら即死していただろうとヒイラは思った。そして、これを授けてくれた王に心の中で感謝した。
「いえ、お気になさらないでください」
ヒイラは涙と汗を拭った。治療している時には気にならなかったが、やはり暑い。夏の季節はまだ先の話である。この暑さは異常だった。
「そろそろ頃合いか……」
そう呟いたラナリアが見ている方向と同じ方向をヒイラは見た。そこには小さな太陽があった。その小さな太陽にヒイラは見覚えがあった。
「これはラナリアさんが使っていた魔法……?それにしても物凄く大きい……」
それは練兵場で見た火球をそのまま大きくしたようなものだった。大きさの理由はすぐに分かった。ゴーレムと切り合っている集団とは別に、火球に向かって魔法を詠唱している集団がいたのだ。その集団から放たれている火球を吸収し、太陽は更に大きく育ち続けていた。
「的が大きい分、遠くからでも外す心配はないな」
ヒイラの体が宙に浮いた。ラナリアに抱きかかえられたのだ。
「俺たちも逃げろ!」
ラナリアの指示でゴーレムと切り結んでいた集団も同じようにゴーレムから離れていく。その直後、巨大な火球が動き始めた。練兵場で見た時の速度よりもゆっくりとした速度で火球はゴーレム目掛けて飛んでいった。ゴーレムは知性が低いからなのか、それとも石の鎧を信頼しているのか分からないが回避行動を取ろうとしなかった。火球はゴーレムの体を飲み込み、弾けた。その一瞬後、爆音、轟音が辺りに轟く。
煙と蒸気が晴れて分かったが、ゴーレムは黒焦げになった本体を剥き出しにして絶命していた。死体に形が残っているのは石の鎧の防御力の高さによるものだろう。
「この世界のゴーレムは虫みたいなやつなんだな……」
季節通りの涼しさの中で、ラナリアがそう言った。
ヒイラと生き残ったラナリアたちは魔王の下へと再び歩みを進めた。移動を再開した時には天頂にあった陽はいつの間にか西へ移動し、空を赤く染めて沈んでいっていた。その間中、ラナリアとヒイラは言葉を交わすことが無かった。言葉を交わす必要がなくなった程関係性が熟したわけではない。ただ単に話しかけるのが気まずいだけである。野宿の場所を選定する時にも会話は無く、ヒイラが無言で荷物を降ろした場所がそのまま野営地になった。
陽が完全に沈み、夜になると、生き残ったラナリアたちが額当てを付けたラナリアを残して全員見張りに出かけた。いくら敵地奥深くとはいえ、見張りに全員が立つ必要は無い。ラナリアたちが自身と自分を二人きりにさせようとしていることにヒイラは気づいた。気づいたが、その場を離れる上手い言い訳をヒイラは見つけられず、二人きりにさせられてしまった。
ラナリアとヒイラが隣り合って座っている。やや距離を離して。二人きりになったからといって会話が急に弾むわけもなく、無言で過ごす時間がただ流れていくだけだった。
「そ、そうだ!私、薪を拾ってきますね!」
ヒイラは気まずさに耐えかね、ついさっき考え出したいい訳を使い、席を立った。気のせいか、ラナリアが何かを話そうとしているように見えた。
元々薪の貯蔵は充分にあるため、何本か近場で枝を拾うだけで充分であるが、少しでも戻る時間を遅らせようと、ヒイラは野営地から少し離れた場所に行った。そこで手ごろな太さの枝を何本か拾っていきながらヒイラはあることを考えていた。自分の我儘で消え去ろうとしていたラナリアを無理矢理引き留めてしまってよかったのだろうか。ひょっとすれば、そのせいでラナリアから嫌われてしまったのではないか。そんなことを考えているとヒイラは声を掛けられた。
「あまり離れると魔物と遭遇するかもしれないぞ」
ラナリアだった。額当ては付けていない。見張りとして出払ったうちの一人だろう。
「あの……本人に打ち明けるような話ではないかもしれませんが……」
ヒイラは先程の考えを、そのラナリアに打ち明けた。
「……あまり俺のことを話すのは気が引けるが……」
そう前置きしてラナリアは話し始めた。
「まず、俺を無理矢理助けてしまったんじゃないか?ということについては心配しなくていい。そもそも俺に最初から生きようとする気が無かったら、回復魔法も間に合わずに消えていただろう。その俺は最初から助けられることを僅かながら期待していた。だから治療が間に合った。これだけは言える。それと……嫌われたかどうかについて……これは俺の口からは言えない」
急にそっぽを向き始めたラナリアに早く帰るように促され、ヒイラは枝を抱えて野営地に戻っていった。
焚火の明かりが見え始めた。戻ったらきちんと話をしよう。そう思ったヒイラの耳に話し声が聞こえてきた。隠れて様子を伺ってみると額当てを付けたラナリアが別のラナリアと会話していた。
「羨ましいぞ、俺。ヒイラちゃんとキスできてるなんて」
「やかましいぞ、俺。俺がしたっていうことはお前もしたことになるだろう」
自分と会話しているからか、ラナリアはヒイラと喋るよりも親し気に喋っていた。
「いいや。俺だから分かっているだろう?今増えている俺たちは全員キスされる以前に増えている。つまり、ヒイラちゃんの唇の感触を知っているのは今のところお前だけだ。……本当に羨ましいな……」
「そんなに羨ましいなら頼んでくればいいだろ」
「……それができないのは俺だから知っているだろ」
二人のラナリアはしばし沈黙した。
「……それで、どうするんだ俺?ヒイラちゃんとまさかの両想いなのが分かった今」
「……聞くまでもないだろ。俺なんだから……」
額当てを付けたラナリアがそう言って、大きくため息をしながら項垂れた。その後、息を大きく吸いながら勢いよく背筋を伸ばし、決意を表明した。
「ヒイラちゃんと死ぬまで添い遂げたい!」
思ってもみなかったラナリアの言葉にヒイラは枝を取り落としてしまった。物音に反応した二人の視線が一斉にヒイラに向けられる。ヒイラの姿を見た二人のラナリアは同じように驚いた。
「あの……!えっと……!その……!」
ヒイラは慌てて落とした枝を拾い始めた。そんなことをしている場合でないと分かってはいる。だがそうしてしまった。
「……悪い、俺。見張りに戻る」
ラナリアが額当てを付けたラナリアを置いて野営地を出た。残されたラナリアは少し固まった後、ヒイラが枝を拾うのを手伝い始めた。
枝は元から本数が少ない。二人がかりだとあっという間に集められた。枝を、薪を置いているところに集積した後、二人はまた隣り合って座った。二人の間の距離はさっきより近い。だが気まずいというのは変わっていなかった。焚火の爆ぜる音だけが聞こえる。
「明日は満月だろうな……」
夜空を見上げながら、ラナリアが静寂を破った。他愛のない会話から入ろうというのだろう。しかし、ヒイラはその話に乗れなかった。また静寂が訪れた。
「さっきのことなんだが……」
再びラナリアが静寂を破った。
「嘘、偽りはない。俺の本心だ」
ヒイラの胸が温かい気持ちで満たされていく。
「だから……その……魔王を倒してからになるが……俺と結婚してほしい」
ヒイラの返事は言葉としては無かった。ただ、二人の間の距離が無になったことが答えだった。
昼前。魔王が暮らしていると言われる洞窟の入り口にヒイラとラナリアたちは辿り着いた。低い崖になっているところに大きな穴が開いている。崖の上には何もなく、綺麗な青空が広がっていた。
魔王軍の総大将がこの中にいるにもかかわらず、ここに来るまでに見張りや罠の類は一切なかった。余程己の力に自信があるのか、或いは、この洞窟の中に罠や護衛がひしめいているのかもしれない。
「この世界の魔王は城にいるわけじゃないんだな……」
ヒイラの傍らにいる額当てを付けたラナリアがそう言った。
「侵入経路が一つしか無いので城よりも危険度は高いはずですよ。気を付けて進みましょう」
「そうだな。ヒイラが入る前に、俺たちを先行させて罠の類が無いか調べてもらおう」
ヒイラは胸が締め付けられる思いがした。仕方がないとはいえ、ラナリアたちに死んでほしくはなかった。洞窟に入ろうとするラナリアの一団にヒイラは声を掛けた。
「あの……!ラナリアさん!なるべく死なないで下さい!」
ヒイラのその願いを聞いたラナリアたちは笑いながら、洞窟の中へと入っていく。
「なるべくだってよ?頑張るしかないよな?俺」
「連携を密にしてなるべく死ぬ俺を減らすか」
「普段ならただ増えてゴリ押すだけだから簡単なんだが仕方ないか……」
そんな風に話し合いながら洞窟の闇に消えていった。
「報告を待とう」
残ったヒイラとラナリアたちは入り口付近で先行班の報告を待った。
空が赤く染まった頃、洞窟の中から一人のラナリアが出てきた。
「全部制圧したぞ、俺。後は魔王がいるらしき部屋だけだ」
そう言って地面に洞窟内の見取り図を描いていった。その見取り図に描かれた罠や敵のいた部屋の数は多い。何人のラナリアが死んでいったのか。そう考えるとヒイラの気が沈んできた。そんなヒイラの様子を見てか、洞窟から出てきたラナリアが優しく言葉を投げかけてきた。
「洞窟に入る前にお願いされたから、こちらからも一つ願い事を言う。君が悲しむと、俺も死んでいった俺も悲しい気持ちになる。だから普段の様に明るくいてくれ」
ヒイラは小さく頷いた。すぐには無理だが、その願い事を聞き入れようと思った。
「それでは行くか……」
額当てを付けたラナリアが率先して入っていった。後に他のラナリアたちも続いていく。洞窟から出てきたラナリアは疲労もあるからと地上に残った。万が一のための保険なのだろう。
洞窟の中は先行したラナリアたちが用意したのであろう松明が壁面にかけられていて意外と明るかった。途中、モンスターの死骸と床に落ちたラナリアの装備がいくつもあり、洞窟内で激戦が行われていたということを後続の者たちに伝えていた。
奥深くまで進んで行くと大きな扉があった。これが話に聞いていた魔王がいるらしき部屋なのだろう。
「入るぞ」
ラナリアが扉を開ける。一人では重すぎたため三人がかりで。中は洞窟内とは思えぬほど広かった。横や奥行きは勿論高さもあった。この広い部屋の奥に、やけに背もたれの大きな椅子があり、その椅子に一人の人影が鎮座していた。
「よく来たな。まあ入れ」
その人影の声が響いた。ラナリアたちとヒイラは罠や奇襲を警戒しながら中へと入っていった。
「何も仕掛けてはおらん」
人影のその言葉通り何も起こらなかった。
「……お前が魔王か?」
ラナリアのその言葉に人影は答えなかった。
「ふむ……少し暗いか……」
そう言って人影が指を鳴らすと部屋中に明かりが灯った。魔法の一種なのだろうが、呪文を唱えていない。人影は、強力、若しくは異質な力、或いはその両方を有しているようだった。
部屋内に明かりが灯り、人影の姿がはっきりと見えるようになった。
「人……?いえ、モンスター……?」
人影の正体は人のようだった。だが、角が生えていたり、牙が生えていたり、身長に対して大きな手足に鋭く伸びた爪だったりと人のそれと違っている箇所がいくつかあった。
「改めて答えよう。余が魔王だ。……そしてお主ら人間をこの世から消し去る者だ」
「来るぞ!」
ラナリアの内の誰かが警告した。しかし、その甲斐なく、半数のラナリアが吹き飛んだ。魔王が瞬時に移動しその大きな手で、ラナリアたちを薙ぎ払ったのだ。
ラナリアは瞬時に消え去った倍、自分を増やして魔王に切りかかった。ラナリアたちの剣戟を魔王は防ごうともしなかった。
「ほほう!お主、増えるのか!」
楽しそうにそう言うだけである。魔の皮膚は特別硬いというわけでも無いようで、ラナリアたちの剣をいくつもその身に食い込ませた。
「ただ……一人一人は大したこと無いの……」
魔王は自分の身に食い込んだ剣を気にすることなく残念そうにそう言った。そう口にしている間に、魔王の怪我は治っていった。
「こいつ……!再生するのか……!?」
「ああ。余は怪我がすぐに癒える。お主の攻撃では、例え万人で一斉に攻撃しようとも余の命を奪うことはできぬよ」
魔王が軽く片腕を振るうだけで斬りつけていたラナリアたちが消し飛んだ。
「そ……そんな」
ラナリアがいくら無限に増えることができたとしても魔王に一斉に攻撃できるのは精々十人程度、何度攻撃したとしても魔王の回復力を上回ることはできない。呆然としているヒイラは手を強く引っ張られた。引っ張ったのは額当てを付けたラナリアだった。
「一旦退くぞ!」
ラナリアたちをしんがりにしてヒイラとラナリアは、洞窟内を引き返していく。戦闘の音は魔王がヒイラたちを追いかけているのか、遠ざかりはしなかった。それどころかどんどんと近づいて来ている様な気がする。
「振り返らず走れ!」
ヒイラの腕を握りしめているラナリアの手の力が強くなった。その力は痛いとも思えるほどだったが、決して離したりしないというラナリアの意志の表れなのだろう。その気持ちに応えるためヒイラは後ろを振り返らずひたすらに走った。
しばらく走ると通路が三本交差している交差路が見えてきた。その交差している箇所は一際明るく、そこに近づけば近づくほど暑い。交差路に進入した時にヒイラが左右を見ると、交差路を挟むようにゴーレムを倒した時の様な巨大な火球が四つ作り出されていた。
「耳を塞げ!」
ラナリアの指示に従う。交差点を抜けて十数秒後、ヒイラは爆風に背中を押され転げそうになった。すんでのところでラナリアに抱きかかえられ、転んで足を挫くなんて失態を犯さずに済んだ。立ち止まった二人を交差路から来た土埃や砂煙が覆う。ラナリアはマントをヒイラにかぶせると、またヒイラの腕を引っ張りながら走り出した。結果は見なくても分かっているようだった。
砂に塗れながら、二人は走った。月明かりに照らされた地上が見える。出口はすぐそこだった。
「人というのは思ったより足が遅いのだな」
ラナリアの苦痛に満ちた呻き声が洞窟内に響いた。魔王に追いつかれ、片足を切られたのだ。
「ラナリアさん!?」
ヒイラは片足を失い倒れたラナリアを引っ張り始めた。同時並行なため効力は弱いが回復魔法もかけている。
「俺を置いて逃げろ……」
「嫌です!」
ラナリアを引っ張りながら出口へと向かう。その歩みは非常に遅い。
「そいつはいくらでも増えるというのになぜ助けようとする?」
ヒイラのその行動に興味を示したのか魔王は後からついてきながら質問してきた。
「私が好きだからです!」
「その個体に拘りでもあるのか?」
「いいえ!ラナリアさんはラナリアさんです!助けられるならどのラナリアさんでも助けます!」
魔王の問いに答えているうちにヒイラは月明かりの下に出た。外に置いていったラナリアの姿は無い。逃げたか、隠れたのだろう。それでいい。一人でもラナリアが生きてさえいてくれれば魔王を倒す可能性があり続ける。
洞窟を出てすぐ、ヒイラは石につまずいて転んだ。しかし、すぐに起き上がり、ラナリアを抱えてまた魔王から逃げ始める。この逃避行に意味があるかは知らない。だが諦めたくはなかった。
魔王はヒイラの健気なだけの行動に興を失ったのか、大きくため息を吐いた。
「今宵は半月か……せめて満月であれば久しぶりに外に出た甲斐があったというのに……」
その魔王の言葉にある違和感を覚えたヒイラは、空を、洞窟の入り口がある崖の上空を見た。入る時に何もなかったその崖の上には巨大な構造物が聳え立っており、満月であるはずの月を半分遮っていた。
「そこを動くなよ……クソ野郎」
ラナリアのその言葉に魔王が口を開きかけた瞬間、魔王目掛けて何かが落下してきた。その落下物は折れた剣と見覚えのある装備を置いて消え去っていった。
「な……か……な……か……やりおる。この威力の攻撃を何度も続ければ余の命を奪うことができたかもしれんな」
両断された体をみるみるうちに再生させながら魔王はラナリアを褒めたたえた。
「なら、何度も喰らわせるまでだ」
怪我をしたラナリアに注目していた魔王は、天から降り注ぐ大量のラナリアを視界に収めることができていなかった。
ヒイラは魔王の肉片らしき物体を、大量に落ちているラナリアの装備の下から見つけ出した。念のため回復魔法をかけてみたが反応はない。完全に絶命したようだった。
「……帰ろう」
額当てをつけたラナリアは両足で立ってそう言った。ヒイラの魔法によって足は元通りになっている。
「これで終わったんですね……」
ヒイラのその言葉にラナリアは答えなかった。
一人と数万人いる一人は一晩休み、最短距離で王都を目指した。
翌日の帰路は魔王が倒れたからか、それともラナリアが数万人いるからか、モンスターと出くわすことは無かった。だが、帰路の途中にある平原で、王国軍と出くわした。昨晩に魔王討伐に成功した時に上げる狼煙を上げている。魔王が倒れ、今後戦が起きることも無い。にもかかわらず、王国軍の雰囲気は戦闘開始前の緊張感をはらんでいた。
「どうしたんでしょう?」
ヒイラが額当てをつけたラナリアに尋ねた。ラナリアもヒイラと同じく事情を知らないはずではあるが、不安から、つい聞いてしまった。ラナリアは沈黙したままだった。だが、深刻そうなその表情から良くないことが起こると予期しているようだった。
王国軍から一騎飛び出してきた。その騎士は駆け足で馬を走らせ、ヒイラの近くに来ると下馬した。
「魔王を倒してくれたそうだな……王に代わって心より感謝する……」
騎士はキナイだった。ラナリアに魔王討伐の感謝の意を述べた。だが、その表情は暗い。
「わざわざ感謝するためだけに軍隊を引き連れて来たわけじゃないだろう?」
「……ああその通りだ。……だが……」
歯切れ悪く話しをするキナイをヒイラは初めて見た。それだけこれから口に出そうとする言葉は言い難いのだろう。
「気にするな。どの世界でも最後はこうだった」
「……本当に済まない。……貴殿を、いや……貴殿らを一人残らず討伐させてもらう」
その信じられない通達にヒイラが抗議をする前にキナイは自陣へと戻っていった。キナイが自陣に戻ると王国軍の方から前進命令を意味するラッパが聞こえてきた。
「逃げましょう!ラナリアさん!」
「……数万人の俺たちがどこに逃げるというんだ?それに、それだけの数の俺がこの世界に生きて良いはずが無い」
ラナリアが片手を上げた。それだけで、ラナリアたちは全員前進を始めた。
「行くぞ!キスされた俺を守るんだ!」
彼の中では既に命の優先順位が決められているようだった。
「駄目です!キナイ隊長は王国最強ですよ!?絶対敵いません!」
鬨の声が上がった。続けて金属同士がぶつかり合う音も聞こえてきた。その音につられ、ヒイラが戦場の方に目を向けると、数で劣る王国軍にラナリアたちは圧倒されていた。王国軍はその全てがつい最近まで魔王軍と戦っていた精鋭であり、その練度は、練兵場でラナリアが試合をした兵士と同格かそれ以上である。それだけでなく王国最強のキナイもいた。馬をラナリアたちの中に乗り入れ、魔法を乱れ撃ちながら大剣を振るっている。魔法が着弾、或いは大剣が一度振られる度に百人ほどのラナリアが消し飛んでいく。王国軍優勢の原因は彼一人によるところが大きいだろう。
「戦闘能力だけで言えば魔王以上かもな……」
「冷静に分析している場合じゃないです!早く降伏しましょう!そうしたら許してもらえるかもしれません!」
「悪いが……降伏は受け入れられない」
それはキナイの声だった。ラナリアたちを突破して単身でヒイラたちの前にやってきたようだった。ヒイラは咄嗟にキナイの前に立ちふさがりラナリアを庇った。
「ヒイラ。小さな頃から知っている貴殿をこの手にかけたくはない。どいてくれ」
ヒイラのあまり大きくない体では対して遮蔽物にならない。キナイならヒイラを避けてラナリアを倒すことは造作もないはずだ。それなのにもかかわらずわざわざそう忠告したのは、ヒイラへの情かラナリアに対する罪悪感によるものだろう。
「いいんだヒイラ。ありがとう」
ラナリアがヒイラを押しのけキナイの前に立った。慌ててヒイラはキナイとラナリアの間に割って入った。
キナイとヒイラはしばらく睨み合っていた。一人は慈しむような、憐れむような目で。もう一人は、精一杯の虚勢を目力に込めていた。いつの間にか戦いの喧騒が聞こえなくなっている。
キナイが大剣を構えた。その瞬間、ヒイラは咄嗟に出まかせを言った。
「もしここでラナリアさんを倒したら!各地に潜伏している第二、第三のラナリアさんがきっと報復に来ますよ!?いいんですか!?」
キナイは目を丸くし、大剣を降ろした。そして第一のラナリアに確認した。
「そうなのか?」
「…………ああ、そうだ」
ラナリアが返答するまでに開いた間は嘘だとバレそうなほど長かった。
「そうか……!それでは貴殿の討伐を続けるかどうか王にお伺いをしなければなるまいな!」
キナイのその声色は喜怒哀楽で言うならば『喜』だった。キナイはその場で自軍の方に振り向くと持ち前の大声で撤退を指示した。
「それでは王のご裁断は追って沙汰する。それまで二人仲良く旅を続けるとよい」
そう言いキナイは自軍を追いかけていった。みるみるうちに影が小さくなっていく。と思ったが、ある程度小さくなったところでまた大きくなってきた。途中で引き返してきたようだった。
「言い忘れていたが、王はきっとお許しになられると思うぞ。安心してくれ」
そう言ってまた自軍に戻っていった。
「帰ろうか……」
静かになった戦場をヒイラとラナリアは横切っていった。戦場跡地にはラナリアの装備だけが残されている。その装備に血の付着した物はなかった。いくらラナリアが弱いといっても、少数の王国軍が一兵の損失も出さずに勝つことは不可能である。
「もしかして……わざと負けようとしてたんですか?」
「さあ。だが俺が一兵も倒さなかったおかげで、今回の話はうまいこと運びそうだな」
ラナリアの目の前に地面に突き刺さった一本の剣があった。ラナリアはその剣の柄に額当てを架けた。この戦いだけでなく、これまでの旅で犠牲になっていった自分の墓標なのだろう。
その剣の前でラナリアは目を閉じた。ヒイラもそれを真似して閉じた。
「本当にありがとう」
そのラナリアの感謝は、自分たちに向けたものなのか、ヒイラに対してのものなのか。目を閉じたヒイラには分からなかった。
魔王が倒れて一月が経過した。現在、ヒイラとラナリアは王都の郊外で静かに暮らしている。
「もうあれから一か月経つんですねぇ」
家の前の日当たりのいいベンチに座りながらヒイラはそう言った。隣にはラナリアが座っている。その距離は肩が触れ合うほどだ。
あの王国軍との戦いの数日後、帰路の途中の町でラナリアの討伐を取りやめにした旨が伝えられた。王本人によって。使者を送れば済むのにもかかわらず、わざわざ供にキナイ一人だけを連れてのお忍びでラナリアに謝罪しに来たのは、王の人となりの表れだろうとヒイラは思った。
今、ヒイラたちが暮らしている農地付きの家は魔王討伐の褒美としてヒイラが望んだものだった。もっと高価なものを願うこともできたであろう。だが、自分がこの世界の食料を消費するだけの存在であることを憂いているラナリアと共に暮らすにはうってつけだった。消費するならばそれ以上に増やせばいいのである。その考えをいつだったかヒイラがラナリアに伝えるとその手があったかとしばらく笑っていた。
「そういえば、額当てが見つかったらしい」
「え?どこですか?」
「戦場近くの村の子供が宝物として大切に保管していたらしい」
「それは良かったです!手放したことが知られた時、キナイ隊長にこっぴどく叱られましたもんね」
額当ては悪用もできる。子供に大切に仕舞われていただけで良かったとヒイラは安堵した。
「……子供といえば!前に街に出かけた時に、英雄装備を付けた子供がそこら中にいましたよ!やっぱり魔王を倒した英雄は人気ですねぇ」
「……ただ同然で売られているからもあるだろうな……」
魔王討伐、戦場の両跡地にはラナリアの装備が大量に転がっている。商才のある物はそれを回収し『魔王を倒した英雄の装備セット』として売り始めた。だが、あまりにも数が多すぎたため価値はすぐに暴落し、今では福引のハズレやおまけとして扱われることが多い。
「き、休憩もこれぐらいにして作業を再開しましょう!」
ラナリアを気遣いヒイラは話を中断した。これから先いくらでも話をする機会はある。
「そうだな――ん?」
ベンチから立ち上がりかけたラナリアが何かを感じ取った。
「どうしたんですか?」
しばらく考えこんでからラナリアは口を開いた。
「……恐らくだが、他に生きている俺がいた」
魔王討伐の時に増えていたラナリアは王国軍によって殲滅させられた。だが、何らかのトラブルによってあの戦場に合流できていないラナリアがいる可能性はあった。
「ええ!?早く助けに行かないと!どこの辺りか分かりますか!?」
「……それが……どうやら他の世界に飛ばされたようだ」
第31回電撃小説大賞に応募して落選した作品です