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現実逃避の果てに

作者: タケヲ

20XX年8月3日、13時09分。X県にて。


会社員の高宮洋之はデスクワークを坦々とこなし終え、一息をついている所だった。彼は椅子にもたれかかっていた。耳には蝉の鳴き声が怒鳴り込んでくる。彼が時計に目を移そうと、振り向いたその瞬間、眼前を白い閃光が支配した。その数秒後、脳内に轟音が響き渡り、彼は意識を失った。


どれ程、気を失っていただろうか。目を覚ますと、彼は床にうつ伏せになって倒れていた。体を起こして、周りを見渡す。建造物、備品には何の異常も見られなかった。先程の閃光と轟音は何だったのだろうか。確かに、建造物や備品には異常は無い。だが、このフロアにおいて、人影が一切見られないのだ。とはいっても、人の気配が全く無いという訳ではない。その証拠に、先程からフロア内に人の「声」が響き渡っているのだ。しかし、その「声」の主を探しても、彼以外、誰もいない。あれ程うるさかった蝉の鳴き声も、何故か聞こえてこなかった。


彼の居た部屋は「声」とキーボードを叩く「音」によって支配されていた。


彼は、この無人の部屋で繰り広げられている事象に畏れ戦いた。この事象から一刻も早く逃れるために、彼は建物の外へ出た。外では、普段と変わらず車が走っていた。しかし、車の運転席にはあるべき人の姿が無かった。いわゆる無人走行車である。彼は逃げるようにして、自宅へと戻った。


「おーい、幸恵。いるか?」

彼はそう玄関で叫んだ。彼は妻の姿を確認せずにはいられなかった。

「はーい。あなた、今日は早いですね。」

妻の声が近づいてくる。けれども、妻の姿は見えなかった。

「あなた、どうしたんです?私はここにいますよ。」

姿無き妻がそう言った。彼はついに、内に秘めた孤独感を抑えきれなくなり、家を飛び出した。


彼はただひたすら走り続けた。この「音」のみの無人の世界から逃れる為に。無心に走り続けていた為、彼自身、どこをどう走っているのかを把握していなかった。気がつくと、彼は森の中にいた。目の前には小さな丸太小屋が建っている。窓から屋内を覗き込むと、老婆が一人、椅子に座っていた。老婆は他の人間とは違い、彼によって姿を観測された。彼は乱暴に小屋の扉を開け、中に入っていった。


小屋の中はとても生活感が感じられない様子だった。台所もなければ、テレビもない。あるのは、古びた椅子と机、その机にのせられている水晶玉だけであった。

老婆はこちらに気がついた様で、彼をじっと見つめている。そして、老婆は一言呟いた。

「ついに来たか。この世界の主よ。」

この言葉から、彼は老婆がこの不可思議な世界について、何かを知っていると察して、老婆に問うた。

「この世界について何かご存知なのですか。なら教えて下さい。もう僕、何が何だか分からなくて。」

老婆は声を低くして問う。

「知りたいか?それ相応の覚悟は出来とるんじゃろうな。」

彼は老婆に訳の分からぬ事を言われて苛立った。苛立ちを声に露わにして、老婆に問うた。

「勿体ぶらないで下さい!僕は知りたいんです!」

彼の怒声の後、小屋の中はしばらく沈黙が支配していたが、やがて老婆が口を開いた。

「よかろう。この水晶玉を見ておれ。ここにお前さんの知りたい事が映し出される。」

彼は水晶玉を見た。水晶玉にはある映像が映し出されていた。爆弾が投下されるシーン、人々が焼け死ぬシーン、爆風によって建物が破壊されるシーン等が断片的ながら読み取ることが出来た。彼がそれに見入っていると、老婆は映像について説明し始めた。

「これは20XX年8月3日X県の出来事じゃ。13時09分、一発の核爆弾が投下された。被害規模は最悪でX県の県民がほぼ全員死亡した。現実の世界では、この水晶玉が示している様な事が起こっとる。今、お前さんがいるこの世界において、X県の県民は未だに自分が死んだことを知らない。肉体は朽ちても、魂は普段の世界と同じ生活をしているのじゃ。先程、『ほぼ全員が死亡した』と言ったが、正確に言うと『お前さんを除いて全員死亡した』のじゃな。」

彼はそれを聞いて驚き、問う。

「幸恵、幸恵は!」

老婆は平坦な口調で言った。

「だから言ったろう?お前さんを除いて全員死亡したと。」

「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」

彼は虎の如く、咆哮を上げた。


「どうですか、坂口先生?彼、目を覚ましましたか?」

宮村警部がそう言い、近づいてくる。

「いえ、まだです。」

と、坂口と呼ばれる男が返す。二人の前には集中治療室があり、一人の男が横たわっている。

男の名前は高宮洋之。四日前、X県で起きた核攻撃の唯一の生存者である。県民のほとんどが、骨すらも残っていない中、高宮だけが無傷であった。

しかし、発見当時から今まで、意識不明の状態が続いている。

「植物状態ですかね?」

そう宮村が尋ねる。

「おそらく、そうでしょうね。本人の中に生きる希望が少しでも残っているのであれば、目を覚ますでしょう。我々はそれを信じて、ただ待つ事しか出来ません。」

と坂口が答える。

「この過酷な環境の中で、生きていること自体が『奇跡』ですからね。彼が目を覚ます『奇跡』を信じましょう。」


それから三日後、すなわち核爆弾投下から七日後、ついに高宮は目を覚ますことなく、息を引き取った。

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