人生の分岐点 ~先生の誘い~
「養子縁組を解消して、しばらくは新たな暮らしの構築にいそしむつもりですの。落ち着いてからやれそうな仕事を探したく存じますわ」
フライパンで焼かれた肉を皿に移しつつ、スゥフィスはベンガルをチラ見する。
微かに口角を上げた穏やかな彼の笑み。対外向けの当たり障りない微笑みからは何も読み取れない。
居心地悪く炙られるスゥフィスの心臓。彼がああいう笑顔の時は、油断がならないこと彼女は知っている。
にっこり笑って相手を奈落に突き落とすのがベンガルの本性だ。伯爵邸の使用人を相手にだが、何度も見てきたスゥフィスは実践込みで彼の遣り口を学んできた。
料理を整え粗末なテーブルへと運び、彼女はベンガルが何を考えているのか思いきって尋ねようとしたが、そこへ無粋なベルが鳴り響く。
同時に振り返った二人の視界には鏡の張られたオルゴールのような物があり、それがチリリン、チリリンと涼やかな音をたてていた。
「鳴っていますよ」
「.....誰が」
アレは音声を伝える通信の魔法道具。連絡や報告に使われたり、ご婦人らの社交に使われたりと多岐に利用される便利道具だが、スゥフィスは使ったことがない。
魔法道具には個々の波長がある。それを使って特定のダイヤルに合わせて使う魔法道具は相手のダイヤルも表示されていた。
ダイヤル表と照らし合わせ、その魔法道具に浮かんだ記号を確認し、スゥフィスはあかさまに顔を歪めた。
そこには伯爵邸当主の部屋の記号が表示されていたからだ。
「.....これは」
不審な顔のスゥフィスを心配して寄ってきたベンガルも、見知った記号に眉を寄せる。
溜め息交じりの顔を見合わせて、スゥフィスは通話のスイッチを入れた。そして朗らかに答える。
「はい、王都霊園です」
『え? あ、記号を間違えたらしい。失礼した』
ぷちっと切れる通信にほくそ笑む少女。
人当たり良く答えたスゥフィスの声に思わず噴き出し、ベンガルは盛大に肩を揺らして笑いを噛み殺した。
だが、すぐにまたベルが鳴り、通信のスイッチを入れたスゥフィスは無言で佇む。しばし居心地の悪い沈黙が室内に漂った。
「..........」
『..........』
名乗りもしない相手の声に冷めた眼差しを浮かべる少女。父親なのだ。名乗る必要もないと思っているのかもしれないが年に数回しか会わない上、会話を交わしたことも殆どないスゥフィスにとってレガート伯爵は他人も同然である。
根比べに負けたのは父伯爵の方で、少し低い声音がスピーカーごしに聞こえた。
『.....私だ』
「私も私です」
再び込み上げた笑いを、咄嗟に当てた手で堪えるベンガル。
『.....レガートだ』
「私もらしいです」
ふんぞり返って宣うスゥフィス。その立て板に水のごとき彼女の態度がおかしくて、ベンガルはぶふふっと笑いが漏れてしまう。
『そなたの父だ!』
「そんなものおりませんわ、ダイヤルをお間違えではなくて? 失礼します」
ぶちっとスイッチを切って、ふんっと鼻白らむ少女に、ベンガルは思いきり大笑いした。
本当に見ていて飽きない娘である。
「取りつく島もないとは、よく言うが、君くらいスパっと切り捨てる者も珍しかろうね」
相手は仮にも伯爵だ。領地経営も良好だし、潤沢な資金もある。利用価値は計り知れないだろうに。そんなことは思考の端にも引っかけていないんだろうなぁ。
自作の焼き肉を食すべく椅子に腰かけた教え子を柔らかな眼差しで見つめ、同じように腰かけたベンガル。
さあ頂こうとカトラリーを手にした瞬間。
諦めずに鳴る魔法道具様。
律儀にチリリン、チリリンとベルを鳴らす魔法道具に斜めったジト眼を向ける二人。
片方はうんざりとした顔で。もう片方は思い出し笑いを堪えつつ。
レガート伯爵の気持ちも分からなくはないが、これは逆効果だろうと、ベンガルは笑い涙を滲ませながら、くっくっくっと喉の奥で笑いを噛み殺す。
『スゥフィス! 切るんじゃないっ!』
開幕、叫ぶ父伯爵の声。それに答えようとするスゥフィスを軽く手で押さえ、笑いを堪えすぎて涙目なベンガルが面白そうな顔で応答を交代した。
「こちら、王都霊園です」
『えっ? あ、また? 失敬、ダイヤルを間違えようだ』
再び、ぷちんっと切れる通信。
スゥフィスの声でない男性が出たため、あちらも混乱したのだろう。
悪戯げな瞳で悪い笑みを浮かべるベンガル。それを呆れたような眼差しで見つめ、スゥフィスは手の甲で軽く彼の胸を叩いた。
「やり過ぎじゃ?」
「騙される方が馬鹿です。まあ、すぐに気づくでしょう」
ぶはっと噴き出して笑う二人の視界で、またもや鳴る魔法道具。
遊ばれている伯爵を脳裏に浮かべ、楽しそうにスイッチを入れたスゥフィスは弾んだ声で答える。
「はい、王都火葬場ですっ」
『.....いい加減にしろーっ!!』
今度の声は父伯爵ではない。
「なんだ、アンタか。二度とかけてくんな」
またもやブチっとスイッチを切り、スゥフィスは魔法道具から魔法石を抜いた。
魔法道具の動力は大抵魔法石なのだ。魔力を充填した魔法石がなくば、ただのガラクタである。
如何にも苦々しい顔の教え子を眺めつつ、ベンガルは首を傾げた。
「今のは?」
「外道ですわ」
それだけで伝わる二人の共通認識。
スゥフィスとベンガルにとって伯爵邸の者らは全てクズだ。その中でも光り輝くクズ・オブザ・クズにスゥフィスが名付けた渾名。それが『外道』である。言うまでもなくバーナードのことだった。
「ああ、アレに言葉は必要ないですね」
「通じませんもの。二度と顔を見ないよう、早く伯爵邸を出たいですわね」
大きく頷き合い、二人は少し冷めてしまった肉を頬張る。
じわりと口内に広がる脂質の甘味。値が張ったけど、奮発して良かったとスゥフィスは脳内で感涙した。
「はあ..... 堪りませんわ、夜会では食べるどころでありませんでしたもの」
「伯爵邸のモノは不用意に口に運べませんしね。これからは、私が共にあります。護衛や使用人も融通しましょう。伯爵家に頼る必要もない。信用のおける人々を用意しますよ」
伯爵家の連中がどんな人間らなのかは、よく知っているベンガルだ。如何に心を入れ換えようが庶子に対する侮蔑は消えないだろう。
通常の貴族であれば当たり前だからだ。伯爵が言を尽くして説明しようとも、心の奥底に穿たれた差別意識を払拭するのは容易でない。
最初から庶子だということを隠し、建前だけでも養女であると伯爵本人が虚飾しておけば良かったのだが、彼の御仁は融通の利かない真面目な人間だ。
まさか息子らが、自分の命に叛くなどと考えもしなかったのだろう。だから正直にスゥフィスの生まれを話してしまった。
そこで何があったのかは分からないが、伯爵令息らの不興を買ったらしい少女の悲惨な暮らしが始まってしまい、それに気づけなかったのも伯爵の失態だ。
酌量の余地はないよね。スゥフィスも望んでいないし、公爵家を後ろ楯に囲い込んでしまおうかな。
ベンガルに大切な教え子を手離す気はない。まだまだ教えることは山積みだし、一流の淑女となった彼女を見て、地団駄を踏む貴族らを楽しみにしているのだから。
目の前のスゥフィスは、粗末なテーブルセットだというのに凛と佇み隙のない所作で食事をしている。
巧みな動きで食べ物を口に運ぶ彼女は、どこに出しても恥ずかしくないレディだった。
.....優雅な所作のわりに中身の減りが異様に速い皿は問題だが、それは無意識に見ないことにし、幼かった少女の成長ぶりを微笑ましく見つめるベンガル。
出逢った時は山猫みたいな子供だったのに。君は優秀な教え子だよ、スゥフィス。
感無量で目頭を熱くしながら、彼はこれからの相談をしようと少し前のめりに彼女を見た。
「引きこもるつもりもないなら、私の助手をしないか? 学園に通いながらで構わないし、長期採集には同行してもるえると助かるんだよ」
「採集ですか」
そういえばスゥフィスも聞いている。
彼女の家庭教師となる前のベンガルは、あちこちを飛び回って素材を採集し、調べ、調合する研究職だったのだと。
その延長で、スゥフィスにも色々レクチャーしてくれたのだ。
食べられる物、食べられない物。毒や薬効のある物など、事細かに。
いよいよとなったら森に隠れ棲みなさいと水辺近くを案内しつつ、ビバークや夜営の遣り方、小動物や魚を罠で捕らえる方法などなど。
貴族令嬢どころが平民にも要らんだろうと思われる知識まで、彼は幼い少女に叩き込んだ。
『どんな状況になるかは分かりません。でも命は失われたら終わりなのです。だから、万一そのような危険を感じた際には、迷うことなく逃げ出すのですよ?』
小さなスゥフィスの肩を掴んで真剣に諭したベンガル。
忘れかけていた記憶に口角を緩め、スゥフィスは素直に頷いた。
「よろしいですよ? わたくしに向いた御仕事ですわ」
屈託なく笑う教え子に眼を細め、ベンガルも得心顔で相づちを打つ。
「そうだね。これを見越していたわけでもないが、君に採集のいろはを教えていて本当に良かったよ」
そしてベンガルもスゥフィスと同じ記憶を脳裏に過らせ、ふと真顔に戻る。
あの時、彼女は生活魔法すら使えなかったのだ。慌てて火起こしなどという原始的な手法を書物で調べ、スゥフィスに教えた彼。
この世界には魔法があるが、その殆どは貴族らしか使えない。
その内でも魔法素養を覚醒させる者は少なく、大抵は生活魔法程度。
稀に属性を得て、強力な精霊魔法も使えるが、それとて個人差が大きく大して役にたたないモノが殆どだ。
かくいうベンガルも属性を得ている。これは伯爵以上の貴族らにのみ発現する力で、王家の血筋に現れるのだとされていた。
古い家系を辿れば、たいていどこかしらに王家の血が混じっているからだ。
その証拠に、王家と無縁な家系には現れない。侯爵だろうと新興の家の者に属性は得られなかった。
それでも貴族は家同士の繋がりを持つ。成り上がりの家でも貴族の血が混ざれば、いつの間にか生活魔法程度は使えるようになっていた。
ベンガルのように全属性を持つ者は超稀有なものの、一つ二つの属性なら王家の血が混ざる家で当たり前に発現する。
スゥフィスのレガート伯爵家も古い家系だ。彼女の兄らも属性を得ていた。
胸糞悪いことに、その魔法の標的にされたのはスゥフィスだったが。
戦争でもあるまいし、戯れとはいえ人間に魔法を放つ輩など、この世から消し去ってしまいたいとベンガルは思う。
「そういえば、君は洗礼を受けていないのでしたね。七つで受けられなかった貴族は、学院入学時に受け直せます。君は何の属性を得るのか楽しみですね」
ふくりと笑うベンガルを見て、スゥフィスの思考がしばし逡巡する。
知識としては知っているものの、自身が属性を得るということに想像が及ばないのだ。
彼女にとって魔法とは忌々しいものでしかない。
度々火傷を負わされ、髪を燃やされ、バーナードの放つ火炎しか知らなかった少女は、心底、魔法を嫌悪した。
だがベンガルの操る巧みな治癒を見て。実感して。魔法は悪いばかりでもないと思うようになる。
要は武器と同じだ。それを使う者によって悪くも良くもなる。ただの道具に過ぎない。
御互いにカトラリーをカチャカチャいわせながら、似たような思い出を脳裏に描く二人。
「どうせ得られるなら、先生のように人を癒せる属性が欲しいですわ」
ベンガルとの学びの中で、彼女は魔法の理も学んでいる。
魔法は精霊との絆。その人物の持つ素養に合わせ、守護を担う精霊と契約するらしい。
精霊もピンきりで下位から上位まで様々な位階が存在する。王家の始祖が初めての契約者という歴史的背景もあり、その血筋に反応して数多の精霊が洗礼に集まるのだとされている。
どれと契約出来るかは時の運。人間性に左右されるとも聞くが定かではない。
「七つにもなれば大まかな人格が出来上がるころです。精霊は契約者の精気を吸って成長しますから。なるべく早く契約を結びたいのが人情でしょう」
なるほど。と、スゥフィスは口をモキュモキュさせながら頷いた。
だが世の中は世知辛い。
洗礼は貴族相手の商売だ。当然、神殿も足元を見て結構な御布施を要求してくる。
貴族もピンきりで、中には青息吐息な貧乏貴族もおり、そんな家は嫡男以外の洗礼を行わない。
経済的な事情で洗礼を受けられない二男以下や婦女子達。
なので不遇な貴族の子供らを救済するため、王家が経営する貴族学院は入学時に洗礼を受けていない者らを洗礼しなおしてくれるのだ。
それがあるゆえに、あえて無駄金を使わぬよう嫡男以外を洗礼しないケチな家もあると聞く。
スゥフィスが伯爵家に引き取られたのは八歳の時。洗礼は七つと決まっていたので受けられなかった。
「一人で受けても意味のない儀式ですからね。多くの子供が集まらないと精霊も集まらないのですよ。なぜかは分かりませんが、個人的には精霊らがお祭り好きなんだと思っています」
ベンガルの説明に、思わず喉を詰まらせるスゥフィス。
人間達が真剣に挑む洗礼も、精霊らには余興に過ぎないのかも知れない。
あーだ、こーだとわちゃわちゃクジ引きでもして、契約する人間を選んでいるとしたら大した茶番だ。
クスクスと声を出さずに笑うスゥフィスの前で、やや神妙な面持ちのベンガル。
「ただねぇ。癒しは属性で得られるモノではないから」
そう。四大精霊らが闊歩する世の中だが、癒しを使える条件は判明していない。そのようにスゥフィスもベンガルから教わった。
彼も最初から癒しが使えたわけではないのだと。気付けば使えるようになっていたと。
癒しとは謎な属性なのである。
「でもまあ、スゥフィスは紛れもない伯爵家の血筋ですし。属性が賜れるのは間違いないでしょう」
ほんわかムードで食事を終え、二人はこれからを話し合う。
のんびり穏やかな日々が続くと疑っていなかったスゥフィス。
ベンガルとて、多少のトラブルはあっても大したことにはならないだろうと思っていた。
入学時に受ける洗礼。
それが王家をも巻き込む大事になろうとは、この時、誰も想像していなかったのだ。