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人生の分岐点 ~先生の懊悩~


「わたくし、自炊は出来ましてよ?」


「私も嫌いではないです。何せ、研究の素材採取で森やダンジョンによくこもりますしね」


 暢気に町娘のような格好で市場を練り歩くスゥフィスと先生。地味なローブをはおったその姿は仲睦まじい兄妹のようで、周りから微笑ましい笑顔が向けられていた。

 今朝、言刃(・・)でザンバラ斬りにされた伯爵は、瀕死でありつつもスゥフィスへ金子を用意する。与えられた金額に一瞬慄いたスゥフィスだが、この五年を思えば当たり前かと、ちゃっかり懐へしまった。


「金貨百枚ほどはありますか。いままでの慰謝料の一部として受け取りましょうね。……月々の生活費は別で」


 ふんっと軽く鼻白んだ先生の容赦ない言葉に呆れながら、二人は連れ立って市場へやってきた。

 

「まずは食材でしょうか。あと日用品」


「あ〜、これからは真っ当な食事が摂れます。五年は長かったわぁ」


「……全くですよ。いくら伯爵家に罪を重ねさせるためとはいえ、やり過ぎです。こちらは気が気でありませんでした」


 あっけらかんと笑うスゥフィスを心配げに見つめつつ、ベンガルは深い溜め息をつく。正直なところ、彼の手が届かなければ彼女は何度か死んでいた。

 休息日を除いて、一日おきにベンガルが訪れる環境でなかったなら、あらゆる病や怪我でスゥフィスの命は風前の灯火だっただろう、




『お嬢様は体調を崩しておいでです。今日の授業はお休みになるのでお引き取りくださいませ』


 上辺だけ礼儀正しく応対するメイド。それに冷たい一瞥をくれ、先生は強行突破する。


『では、見舞いに変更しましょう。病人ならば滋養のあるモノを食べさせて養生させねばね。もちろん用意されておりますよね?』


 にっこり微笑む先生の視線に耐えきれず眼を泳がせるメイド。こんな光景を彼は何度見てきたことか。

 そして慣れた足取りで屋根裏部屋を訪のうた先生は、毛布に包まるだけのスゥフィスを診察した。どうやら今回は毒草のようで身体中に発疹が出ている。


『あの馬鹿野郎様は、本当に無知が過ぎます。この毒草がどんなモノか知りもせずに使ったのでしょうね』


 解毒を施しながら、彼は昏睡状態の少女を看病した。


 ある時は深々と腹を抉られ、ある時は殴る蹴るの満身創痍で内臓を破損させられ、ある時など、食中毒の吐瀉物に窒息しかかった場面を目の当たりにし、ベンガルの脳内は沸騰する。何をどうしたら、こんな残酷なことが出来るのか。

 その都度、彼はスゥフィスに訴えた。こんな所から逃げ出そうと。自分が後見人になって守ってみせるからと。

 長く素材採取に出かけてばかりで、王都にいても研究室にこもりっぱなしの変わり者貴族。そんなベンガルの姿や顔を知る者は少なく、伯爵家でも彼が宰相である公爵の次男坊だと誰も気づかなかった。

 スゥフィスの家庭教師の話を彼が小耳に挟んだのも偶然。いきなり伯爵家に引き取られた婚外子の話を聞き、貧民育ちな子供を拒絶する下級貴族らが、少女を嘲っている場面に遭遇したのだ。


『貧民育ちですよ? 貧民。そんな者に貴族としての真っ当な教育など施せるはずがございません』


『下手に関係を持って、その恥の上塗りの責任を問われても困りますしね。関わらないのが一番です』


 にやにやと下卑た嗤いを零す貴族令嬢達。


 生徒が粗相をすれば、その責任は教育を担当した教師にも及ぶ。それを忌避した言葉だろう。気持ちは分からなくはない。

 だがそこで彼は逆に興味が湧いた。その貧民と呼ばれる少女をどこまでも高みに押し上げ、一端のレディとしたら、こいつらはどんな顔をするだろうかと。

 ほの昏い愉悦が彼の腹の奥から湧き上がる。

 そうしてベンガル知り合いに紹介状を書いてもらい、本来の身分を隠し、社交界に顔が知られていないのを良いことに、あっさりスゥフィスの教師に収まったのである。


 しかしまさか、その後の展開が、こんな酷い惨状になろうとは。さすがの彼も予想はしなかった。

 そして底辺貴族らへの意趣返しをかねてとはいえ、この仕事を引き受けた自分を心から褒めてやりたい。もし自分が引き受けておらねば、きっとスゥフィスは伯爵家に殺されていた。

 

『それでも良いんですけどね。こんだけ虐待の跡だらけなアタシの死体を見たら、少しは伯爵家の奴らを後悔させることが出来るかもしれないし』


 すんっと人ごとのように呟く少女。


『いや、そんなのほんの一時だからねっ? 連中はすぐに忘れていつもの生活に戻るからっ!』


 そんな刹那的な一瞬のために我が生徒の命を散らしてなるかと、先生は必死にスゥフィスの面倒をみてきたのだ。自殺などという愚かな結論に至らないのは幸いだが、その思考が破滅的過ぎてついていけない。

 こんな小さな子供が、相手を陥れて死んでやろうなどと考えるほど、今の伯爵家の内情は惨憺たる有り様だった。


 ……ならば、これを逆手に取ろう。


 真剣な面持ちに昏い刃のような眼光を煌めかせ、ベンガルはスゥフィスに悪知恵を注ぎ込む。


『それなら社交界デビューまで生き残りなさい。その場で伯爵家の酷い仕打ちを暴露し、王侯貴族らに知らしめてやれば良いのです。メンツを重んじる貴族には痛恨の一撃になるでしょう』


 痛恨の一撃と聞き、期待に胸を踊らせるスゥフィスの表情。ベンガルは、無垢な子供に悪辣なことを教え込もうとする己に吐き気がした。

 

 ああ、私は悪い大人だな。……でも、君に生きていて欲しいんですよ。生きて復讐を果たして欲しい。君の命と引き換えの復讐など御免被る。


 そう自嘲しつつもベンガルはスゥフィスへあらゆることを教授した。礼儀作法や知識はもちろん、社交界のしきたりや薄汚なさ。それを逆手に取る話術や所作。

 徹底的にみっちり仕込まれた少女は、社交界の人々を見事に巻き込み、事を盛大に周知したのである。


 何もかもから解き放たれ、生き生きと駆け回る少女。


 まだ柵は残るものの、問答無用の暴力からは逃れられた。これからは跳ね除けることも出来よう。満面の笑みを浮かべて一安心なベンガル。


「先生ーっ! とりあえず、わたくし串焼きとかいうのを食してみたくありますわーっ!」


 ブンブン手を振る年相応のスゥフィス。


 伯爵らと対峙していた時には随分悪し様な口調だったのに、今は生粋の御令嬢口調に戻っていた。教師たるベンガルに対する条件反射だろう。妙にチグハグだが、それも良い。

 

「串焼きですか。私はトマトとアスパラのが食べたいですねぇ」


「ええ? やはり串焼きと言ったらお肉ではありませんか? 軍資金も入りましたし、今までの御礼に御馳走しましてよ」


 うふっと良い笑顔の教え子に頷き、ベンガルとスゥフィスは市場の人波に溶けていった。

 いったい何が起きたのかと冷や汗だらけで見送る市場の客らを知りもせず。


「……どう見ても貴族様だよな?」


「御忍び?」


「にしては、えらく堂々としていたような」


「……串焼きって。 ぶはっ、良い匂いするもんなぁ、アレ」


「確かに」


 思わず噴き出した男につられて他の人々も声をあげて笑った。あまりに堂々とした御忍びだ。あれは見て見ぬ振りをしてやるべきだろう。

 そう笑う人々によって、あししげく市場へ通うスゥフィスの周りは安全になる。むしろ名物令嬢。彼女に持ち帰りを頼まれた串焼き屋が、頼まれてもいないトマト串とアスパラ串をそっと交ぜるのも御愛嬌。


「あれ? 串が増えてる」


 ベンガルが好む野菜串。実はこれが、スゥフィスの苦手な野菜なのだと串焼き屋は知らない。


「えー…… ……でも、もったいないしなぁ。食べるしかないかぁ」


 そんな微笑ましい未来が用意されているとは夢にも思わず、二人は市場を散策していた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 言刃・・・とある名匠が丹精込めて打ち上げた国宝級の一品。その切れ味は名刀と呼ぶよりも、妖刀と称するに相応しい一振り (⌒-⌒; ) なんて物騒な物を弟子に授けたのかなぁ、ベンガル先生? 彼女…
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