人生の分岐点 ~王宮狂想曲・後編~
「……御令嬢が酷い暮らしをなさっているとの報告だ。暗部の調べが虚偽だとでも?」
「いいえ、事実です。が、すでに過去の話。今のスウフィスは人生を楽しんでおります。御構い無く」
「……粗末な小屋で寝起きして、森の採集に明け暮れ自炊。護衛もろくに仕事をしていないらしいし、先だっては邸から抜け出そうとしたとか?」
「スウフィスは自由な子なので。そういう奔放な暮らしが向いているし好きなのですよ。変わっているでしょう? そこが可愛くもあるんですけどね」
「……………」
ああ言えばこう言う。
笑顔の端に血管を浮かせ、書類を読み上げて確認するのはベンガルの父親たる現宰相閣下。
まさか、息子の登城理由が今回の謁見とは思わず、応接室にやってきた宰相は、スウフィスの隣に座る次男坊に眼を丸くした。
てっきり、旧友の王子殿下への御機嫌窺いとばかり思っていたベンガルの父である。
「なぜ、お前が?」
「レガート伯爵の代理です。スウフィスはまだ子供ですから。悪い大人に言いくるめられぬよう付き添ってまいりました」
「..........」
二の句が告げぬ宰相閣下。
いけしゃあしゃあと宣う息子を横目に、宰相は気を取り直してスウフィスに事実確認をする。その度に嘴を突っ込むベンガルと格闘しながら。
「……つまり、スウフィス嬢は現在、窮地にないということか。むしろ初めての自由を満喫中だと」
「左様です。世の常識はこれから学びますが、学院にも通いますし順風満帆。少なくとも私が後見につきます。大事はございません」
つまりは侯爵家の後見だ。さすがの王家も、これには物申せまい。しかしベンガルはただの侯爵令息。決定権を持つのは当主たる宰相だった。
「……私は聞いておらぬが?」
.....家庭教師とやらの件もな。
宰相にしたら寝耳に水のオンパレード。自分の息子が問題の渦中に居たとも知らなかったのだから。その穏やかならざる心中は如何ばかりか。
話題の御令嬢の噂が殆んど真実で、実際、瀕死寸前になったのも数知れず。その都度、癒していたのが我が子だと知り、宰相は割れるような頭痛に見舞われる。
元々、居ても居ないような息子だった。気づけば樹海やダンジョンにこもり、たまに姿を見たと思えば、とんでもない研究成果を投げ込んでくる。
『閣下、これの登録と生産お願いします』
『.....』
次男坊が宰相を閣下と呼ぶ時は仕事絡み。大抵は昇格間違いなしな大物を持ち込む。
侯爵家の面目躍如を一人でこなしてしまう規格外な息子を頼もしく思いつつも、なぜか手放しで称賛出来ない父親。
そうこうする内に成果が積もり積もって、ベンガルは国にこの人有りと呼ばれるほどの魔術師になっていた。
研究に熱心な反面、社交や政務に無関心。王都に滞在することも稀で、家族すら年に数回しか顔を合わせないという珍獣っぷり。
そんな息子が王都に五年もいた? どうして侯爵邸に住まず、城下町で暮らしていたあげく、伯爵令嬢の家庭教師なんかやっていたんだ?! 親に顔ぐらい見せてもバチは当たらなかろうっ!!
ぎろりと視線で尋ねる宰相閣下。
暗に含まれた疑問を一蹴し、ベンガルは努めてにこやかに答える。
「事後報告で申し訳ございません。いかがでしょう? 愚息の愛弟子を受け入れてもらえませんか?」
澄み渡った青空のように晴れやかな笑顔で言い放つ息子と思わず頭を抱える宰相閣下。
本人を目の前にして否と言えるわけがなかろうがっ! と。
今回の問題もあるし、宰相に否やはない。むしろベンガルの提案は好都合だ。王家の意向に沿うものでもある。
だがまあ、体面くらいは繕っておくかと、宰相は少し逡巡する振りをした。
「庶子というのがな…… 正式に養女となっているが、貴族の穢れという偏見は消せまい。どうしたものか」
父親の茶番を生温く見つめるベンガル。そこに溜め息混じりなスウフィスの呟きが聞こえた。
「本当ですわよね。御貴族様の殿方は、お股が緩い方ばかりで困りものですわ」
ふうっと、うんざり感漂う呟きを耳にして、宰相は勿論、周りの騎士や侍従らも眼を見張る。
「お股が……?」
思わずといった宰相の言葉に頷きつつ、スウフィスは、しれっと答えた。
「左様です。だって、庶子を作るのは殿方の火遊びではありませんか。問題は、ゆるゆるで胤を漏らしまくる殿方の節操のないお股ですわ」
節操のない、お股.....
言われたことが理解出来ずに固まる人々の中で、ベンガルのみが盛大に肩を震わせている。
「庶子だ、庶子だと申される子供らの元凶が殿方ですもの。自分が生み出しておいて、家の穢れだとか、ちゃんちゃら可笑しくて。穢れは貴殿方ですわよ? と言いたくなってしまいますわよ。自覚のない穢れって、本当に困ったちゃんですわ」
「ぶはっ!!」
とうとう堪えきれずに噴き出すベンガル。
「違いないっ! ふはっ! あははははっ!!」
「子供は親を選べませんのよ? わたくしの父も褒められたものではありませんけど。身分を笠に着られたら抵抗出来ない者ばかりですもの。たるんだ殿方のお股を引き締めて欲しいものですわ」
……真理だった。
さも、げんなりと呟くスウフィス。それに堪らず、周りの騎士や侍従すら肩を震わせている。
彼らも貴族だが、高い身分の者達に煩わされる立場でもあった。高位貴族らの火遊びの後始末や傲慢不遜なやらかしの数々。枚挙に暇ないそれらで翻弄される彼らからしたら、スウフィスの愚痴は身につまされるモノがある。
爆笑の危険を孕んだ沈黙が室内に漂い、一人大笑いしている息子を宰相が忌々しげに睨んだ。
「……まあ。そのようにも取れますな」
「そのようにではなく、それでしかですわ。殿方のお股に節操があれば、庶子は生まれないのですから」
曖昧に濁そうとする宰相を、スウフィスはバッサリ斬り捨てる。
「………………」
「父上の負けですよ。言ったでしょう? スウフィスは自由で奔放な子なんです。歯に衣を着せやしません」
衣どころが有刺鉄線バリバリである。
「お前が、そういう教育をしたのではないのかっ?!」
やもたまらず、宰相はがなりたてた。
「いや、これは素です。持って生まれて、伯爵家のヤスリで磨かれた彼女の性格です」
ぱきっと真顔でベンガルは言い切った。
「まあ確かに? あの邸に居たら、真っ当な常識はくしげずられますわね。そんなものを後生大事にしていたら、命がいくつあってもたりませんわ」
こちらも真顔で言い切る御令嬢。
脱力を禁じ得ないまま、宰相はスウフィスの懐柔を諦める。そのやり取りを奥のカーテンごしに聞いていた国王や王子らも眼を丸くして固まっていた。
「.....父上?」
「いやっ! わしは決して緩いわけでは?! ちゃんと子をなした者は妾に召しておるしっ?!」
なんの説明にもなっていない。つまり、手をつけた女がいるというだけの話である。そして嫡外子がいると。
スウフィスの啖呵が耳にこびりついて離れない王子。御歳十五の彼の名はハウゼル。国王の第一子だ。
スウフィスの政略結婚相手として国王と共にカーテン裏に潜み話を聞いていたハウゼルは、見事撃沈された宰相に彼女の後見を任せて様子見を決め込む。
元々、大して乗り気ではなかったため、その変わり身も早い。いくら稀代の魔術師の可能性があるとはいえ、件の御令嬢は庶子である。到底、自分の伴侶にと望むつもりもない。
たが本人を目にして..... その切り口良い口上を耳にして。ハウゼルの意識が変わってゆく。
後日。王宮には不可思議な風が吹き抜けていた。
「……そなた、名前は何と申したか」
「ひっ? あ…… サミュエルです」
突然王子に呼び止められた少年は、飛び上がるほど驚きながら、おずおずと名乗った。
見るからに貧相な出で立ち。王子達の古着を払い下げられているので肩上げや腰上げされた衣装が不格好なことこの上ない。
サミュエルと名乗った少年は王子の弟。ただし、庶子である。父王が戯れに手をつけた侍女に産ませた子供だ。
伯爵家の娘で行儀見習いで仕えていたサミュエルの母親は王家に迎えられ妾の地位にいるが、穢れとされる庶子のサミュエルは王宮中から蔑まれて生きている。
もちろん、最低限の礼儀と生活を与えてはいるが、それは本当に最低限。下手な貴族らの暮らしよりも劣るものだった。
いずれ成長したら、どこぞの修道院にでも投げ込まれる運命だ。
……穢れ、穢れと言うが。この者に罪があろうか?
『子供は親を選べませんのよ?』
そのとおりだ。こやつとて、好き好んで父王の庶子に生まれたわけではなかろうに。
『たるんだ殿方のお股を引き締めて欲しいものですわ』
つい、続きを思い出してしまい、込み上げた笑いで思わず王子は噎せ返る。しばし逡巡した彼は、何気なくサミュエルを手招きした。
「今、私の書架担当がおらぬのだ。そなた、字は読めるか? その気があるなら取り立ててやるが?」
「……読めますっ! 殿下のお役に立てるなら、ぜひっ!」
悲愴な顔で見上げる弟の後ろに、ふてぶてしい真顔の御令嬢が浮かぶ。
「なら、まずは衣装だな。そのような古着で私の傍にあるのは困るから。おい、仕立て屋を喚べ」
狼狽える侍従らと、オロオロ困惑するサミュエル。その対比が可笑しくて王子は人知れず笑った。同じ庶子なのに、あの御令嬢とは雲泥の差だ。
あそこまでとは言わないが、少なくとも王族としての矜持くらいは持たせてやろう。
そう心の中でだけ呟き、王子はサミュエルを傍に置いた。
書架といわず、身の周り全てを任せて仕事を叩き込み、王子は長く弟と共に過ごす。
氏より育ち。遠くより近く。常に共にあった二人は、しだいに家族の形へと収まっていった。
「殿下っ! もう起きてくださいっ!!」
「んう…… あと五分」
「今日は卒業プロムでしょうっ! 例の御令嬢にダンスを申し込むんじゃないんですかっ?」
「あ……」
ぱちっと目をあけ、王子はベッドから飛び起きる。
「ほらほら、早くっ! 御令嬢のドレスに合わせて衣装を作られたのですから。凄く似合ってました。あれを見たら、きっと彼女も見惚れますよ?」
無邪気に笑うサミュエル。
その笑顔の向こうにスウフィスの面影を感じ、王子は満足そうに眼を細めた。
今の暮らしの元凶となった御令嬢。
あの日、王子の脳裏に深々と疑問の種を植え込み、庶子の弟に慈悲をかけようと思わせてくれた少女。
錯覚していた。自惚れていた。慈悲などではなかった。こうしてあるのが、当たり前だったのだ。
血を分けた弟を穢れなどと呼ぶ世の中が間違っていた。今なら断言出来る。
既存の概念を壊したスウフィスの発言。
それが当然となる国を創ろう。
叶わなくとも努力は出来る。私が志半ばで倒れても、次の子弟に託せる。……その私の隣に。
「……彼女がいてくれたら」
面映そうに窓の外へ視線をやり、王子はプロムに参加する準備を始めた。
後の王太子から求婚される愉快な未来を、今のスウフィスは知らない。