人生の分岐点 ~精霊達の祝福~
「………?」
「………おお」
信じられないという面持ちで眼を見開き、眼球が零れ落ちそうな司教様。その眼の前で不可思議そうに首を傾げるのはベンガルの教え子スウフィス。
ここは貴族学院大広間。
新たな生徒となった新入生らで、洗礼を受けていない者に慈悲を施す名目でやってきた神殿の司教は、淡々と業務をこなしていた。
嫡男以外に洗礼を行えないような家の子供らだ。王家の覚えを良くするためだけにやってきた司教も、事務的に洗礼を授けていたのだが。
彼は変な胸騒ぎに駆られ、少し狼狽する。集まる子供の数に比例して増える精霊らの様子がおかしいのだ。
本来、精霊というモノは好奇心旺盛で、欲望に忠実な生き物だとされる。だからそれに比例して、野望や野心といった純粋な本能を好み、それを抱く人間を支援してくれると推測されていた。
憶測の範囲だ。真実かは分からない。契約した人間でも彼等の影くらいしか見えず、精霊と意思の伝達は不可能だとされている。
好々爺な面差しで子供らと精霊を繋ぐ司教様。
掌サイズの水晶玉に生徒が手をかざすと、不可思議な染みが玉の中にじわりと広がり、ぱあっ子供らの胸を輝かせた。
精霊と魂が結ばれた合図。
これをして初めて、人間は魔法を操れる。己の生気と交換で精霊が魔力を貸してくれるのだ。ただし、純然たる等価交換。過ぎた魔法を使えば自身の命を脅かすため、基本的に精霊は生活魔法程度の力しか人間に貸してくれない。
ただし王家の血を引く者らは別で、その血が濃いほど強力な魔法が使える。
これは始祖たる初代国王が結んだ絆のせいだといわれているが、それも定かではない。
契約した精霊に感激する無邪気な子供達。誰もが満面の笑みで手に入れた生活魔法に喜び、はしゃいでいた。
さすがに高位貴族の子供はおらず、属性を賜る者も出ない。微笑ましい新入生らに眼を細めつつ、しだいに大きくなる胸騒ぎを司教は黙殺する。
……きっと気のせいだ。
だが、それは気のせいではなかった。
一人の少女が司教の前に歩いてきた時、大広間に集まった多くの精霊らが、ざわりと蠢いたのだ。力ある司教は、その興奮気味な精霊達に固唾を呑む。
気配しか感じられない存在が、焚き火に爆ぜる栗のごとく狂喜乱舞していた。
やってきた少女を見つめ、司教は己の職務を思い出して名前を尋ねる。
「……レガート伯爵家の者です。養女ですが、一応血縁でございます」
ああ、彼女が噂の……
好々爺だった司教の顔が、うっそりと嫌な笑みに変わった。彼も貴族籍を持つ高位の人間だ。庶子たる穢れを良くは思わない。
だが、それ以前に司教は聖職者である。傲慢不遜な内心を上手に隠し、スウフィスにも水晶玉を差し出した。
「これに手をかざして…… そう。良い縁が結ばれますよう………」
そこまで司教が口にした時、周りにひしめいていた精霊らが一斉に雄叫びをあげる。
人間には聞こえない咆哮だったが、こういった神聖な理を身近に生きてきた司教の全身が、ぶわりと総毛立った。
血管を逆流していく畏れと恐怖。裏返った毛穴から滲む、滝のような汗。呼吸すら阻まれる圧力で、司教は硬直したまま動けない。
そんな司教にも気づきもせず、スウフィスは言われたとおり水晶玉に手をかざした。
途端に迸る光の洪水。
チカチカと煌めく星が水晶玉の中で数多に踊り、それぞれが眩い光を放って司教の立つ祭壇を掻き消した。
「「スウフィスっ?!」」
少し離れた位置にいた二人が口にする異口同音。言うまでもなく、教え子命のベンガルと、愛娘命のレガート伯爵だ。
思わず顔を見合わせた二人は、突然の異常事態に慌てて祭壇へと駆けつける。
……が、大広間を埋め尽くすように迸った光の洪水は瞬く間に消え失せ、二人が駆けつけた祭壇には疑問顔のスウフィスと顔面蒼白で瞠目する司教様。
そして震える唇を駆使し、司教は蚊の鳴くような声で呟いた。
「……全属性です。全属性を賜りました。しかも……」
ごくっと大きく息を呑んだ司教は、感嘆の面持ちでスウフィスを見つめる。
「七色は治癒の証。光の規模は使える魔法の規模。…レガート伯爵様。あなたの娘御は、歴代にない巨大な恩恵を精霊より賜りましたぞ? 我ぞ知ろしめす、聖女ともいえる魔術師の誕生を。その予感を.....」
そう。四大精霊の色は、赤、青、碧、黄。それぞれが、焔、水、風、土の属性を表している。極稀に複数賜る者もいるが、基本は一人に一つの属性。
人の身に複数の属性を得るのは重いのだ。精霊が貸す魔力の対価は、その人間の生命力。ゆえに人間らを守るため、人の身に過ぎた力を精霊達は与えない。
だけど例外もある。
ベンガルなどが、その例だ。
彼は幼い頃から研究や採取に明け暮れ、単身で樹海やダンジョンにも飛び込むような人間だった。おかげで通常の貴族よりも強靭な身体や精神力を育んでしまった。しかも精霊らの大好物な好奇心満載な人間。
……結果、ベンガルは耐久力に比例した属性を精霊から賜ったのだ。人間達は知らない、精霊側の裏事情。
しかも彼は命を落としかねない死線を何度も乗り越えている。魔物との闘いや蔓延る毒性植物ら。中には凶悪な呪いのかかった遺跡など、彼の人生は危険に満ちたモノ。
そんなあらゆる危機を乗り越え、床に伏すも不屈で立ち上がり、今のベンガルがいる。
人間達は知らない。人は死を乗り越える度に強くなることを。折れた骨が継がれて復活するとき、以前よりも太く丈夫になるように、死に瀕するたび人間の肉体や精神も強靭になってゆく。
それを乗り越え、精霊らに認められた者のみに与えられるのだ。治癒の力が。七色の魔力が。
四大属性とは別の三属性。宵闇を思わす濃紺。情熱を示す橙。そして誰もが貴色と認識する至高の色、紫。
これらが重なって七色となり、人の理から外れた力、治癒を得られる。
だから全属性を持っていたとしても治癒が使えるかは多分に運の作用が強いのだ。
いかに身体を鍛えようと、いかに知識を集め徳を積もうと、死線を彷徨うほど己を酷使する者はいない。滅多にいない。
ぶっちゃけ、精霊らは手厳しい。たまの戦争や災害などで、たまたま死にかかった程度はカウントしてくれず、それこそ日常茶飯事なくらい大怪我や昏睡に陥るような人間らでないと認めてくれない。
実際、それぐらい乗り越えられる強靭な人間でなくば、精霊達の本気の魔力を受け取れなくもある。
……と言った理由で、全属性どころが複数は勿論、一つの属性すら滅多に賜れないのが実情だった。
……ここまで説明すればお分かりだろう。
スウフィスは、精霊の望む要望を全て備えた人間なのだ。
五年間も満身創痍の暮らしを続け、死に瀕したことも数え切れず。さらには復讐に燃えてメラメラと立ち昇る憤怒の狼煙。不屈を限界突破して起き上がり、爛々と睨めつける野生動物のような双眸。
そのどれもを精霊達は心から愛した。
伯爵家に引き取られる前より、彼らはスウフィスの傍にいたのだ。貧民窟で這いずるように生きていた彼女を応援するかのように長く愛でていた。
なぜに王家の血を引く者が、貧民窟などという小汚い街にいるのか彼等は知らない。どうでも良い。
王国の掃き溜めな貧民窟。だが、汚泥に咲き香る一輪の蓮の華のごとき煌めき。それだけが精霊らを魅了した。
強い意志と生に貪欲な彼女の生き様が、精霊達の背筋にゾクゾクとした愉悦を走らせる。
それからの彼女の人生も凄絶だった。
あらゆる虐待や暴力が小さなスウフィスを襲う。
なのに彼女は折れない。折れるどころが反撃を考える強かさ。ベンガルは枯れかけた野バラなどとスウフィスを表したが、精霊はそうは思わない。
あれほど眩い本能の煌めきを、素直に美しいと精霊達は思った。
だから待ちかねていたのだ。スウフィスと契約出来る日を。あの純粋な怒りや欲望に触れられる日を。
精霊達が住む次元と人間達が住む次元は違う。表裏一体の様相はあるものの確たる隔たりが存在し、神殿の行う洗礼の儀式を用いないと繋がれないのだ。
見えはしても触れられない。まるで鏡の中に閉じ込められたかのように、精霊達はスウフィスを歯噛みし、見守っていた。
その待ち侘びた日が訪れたのだ。
狂喜乱舞し、踊り狂う精霊達。
《祝福をっ!》
《祝福をっっ!!》
水晶玉に現れた星の数は、契約を結んだ精霊の数。
洗礼とは、これまでの人生の審判である。つまり、歳を経たほどその内容は濃いものとなるのは人間が与り知らぬこと。
七つの洗礼より、十三の洗礼のほうが良い縁を結べるなど、知る由もない人間らである。
事は大事となりスウフィスの新たな人生設計に昏い陰を落とした。興奮気味な司教から報告を受けた王宮もてんやわんやの大騒ぎ。
癒やしを使える魔術師は、ベンガルを含め国内に三人しかいない。それも、これまでにないほど強大な光を放ったというのだから、その能力値にも期待が持てる。
各所が事実確認に明け暮れるなか、スウフィスは伯爵家の馬車の中で無言だった。現場を目撃した父伯爵やベンガルも魂の抜けたような顔で椅子に座っている。
嫌な沈黙の漂う馬車の中。最初に口を開いたのはベンガル。彼は沈痛な面持ちで溜息のように言葉を紡いだ。
「……逃げようか。王都にいたら、えらいことになるよ、たぶん」
まさかだよ、本当に。全属性ってだけでも前代未聞なのに、四大属性をすっ飛ばして七色? あり得ないだ…う? 私だって七色を得たのは、まだ最近だぞ?
覇気のない重苦しいベンガルの言葉を耳にして、スウフィスの父親がカッと眼を剥く。
「我が子のことは私が決めますっ! どこへ連れて行くおつもりかっ! スウフィス! 私と一緒に領地にゆこう。……これまでの埋め合わせをさせてくれ。嫁ぐその日まで静かに暮らそう」
こちらはこちらで明後日な方向に迷走していた。スウフィスの望みを知るはずなのに、なぜよりにもよって獅子身中深くに誘い込もうというのか。
貴族など似たり寄ったりだ。どこへ行こうと貴族家である以上、スウフィスに平穏はない。
「も……人生投げたぁぁい」
王侯貴族の頂点たる王家。
そんなものに目をつけられたら御仕舞だ。良くて過酷な労働、悪くしたら牢に繋がれかねない。スウフィスの力を自由に使い回すために。
ふふ……ははは…… と乾いた嗤いをもらし、彼女の人生は大幅な軌道修正を強いられる。
そこには父伯爵は勿論、ベンガルもいない。
逃げ出そう。ひっそりと単独で。
幸いスウフィスの懐には父伯爵からもらった金子があるし、金子がなくとも彼女にはベンガルから授けられたサバイバル知識があった。
《逃げる?》
《逃げるの? どうして?》
《さあ? 王家は我々を敬っているはずじゃ?》
《スゥフィスの敵?》
《敵?》
人間の葛藤など、どこ吹く風。
スゥフィスの思考に同調した精霊達に総スカンを食らうとも知らず、稀代の魔術師の可能性を持つ少女に食指を蠢かす権力者達である。