人生の分岐点 ~父親の失策~
.....悪癖発症。うん、ごめんなさい。
「何が気に入らないんだ、スゥフィス」
「何もかも全てです伯爵様」
がっくり項垂れる男性を前に、少女はきっぱり言い切った。
彼女の名前はスゥフィス。レガート伯爵家の末娘である。奇々怪々な不遇が発生し、彼女は父親に存在を知られるまで八年ほど要した。
存在が明らかになってからも、母親が平民なことと自身の育ちが貧民であることから使用人にも蔑ろにされ、虐待というも生温い扱いを五年間受けて来た。
伯爵がそれらに気づいたのは、つい最近。息子らが加担した虐待は上手く隠蔽されていて、もはや取り返しのつかない亀裂を父と娘の間に横たわらせている。
事が露見した理由は、スゥフィスの社交界デビュー。
貧民から貴族に成り上がったと噂されていた御令嬢の出現を今や遅しと待ちかねていた社交界の人々は、その物怖じしない態度に驚愕した。
みてくれはみすぼらしい案山子のようないでたち。痩せ過ぎてギスギスした身体。綺麗に結われてはいるが手入れもされていなさげな髪。
どこから見ても貴族の御令嬢には見えない。結局、貧民は貧民なのだと嘲笑う周囲の貴族達は、それと相反して堂々と立ち居振る舞う彼女に鼻白んだ。
その所作や礼儀は洗練されており、見てくれの酷さと裏腹に優雅なこと、この上ない。
出自を理由に貶めてやろうと思っていた夫人方にも、文句のつけようのない淑女ぶりである。
そんなスゥフィスに苦虫を噛み潰す貴族らの一人が、果敢にも少女に歩み寄った。その眼に浮かぶ忌々しげな光は、あからさまに『生意気な……』と物語っている。
『伯爵様が父親だったなんて、驚かれたでしょう? 何不自由なく生活出来るようになって、良うございましたね』
そそと微笑む恰幅の良い女性。
『……貧民の方がマシでした。毎日のようにグズだのボロだのと罵られ、使用人らの食べ残ししか食べさせてもらえなくなるなんて思ってもみませんでしたから』
予想だにしない御令嬢の発言。ぶはっと周りが飲み物を噴き出すなか、エスコートしてきた伯爵は顔面蒼白、いったい何が起きたのか分からず、遠くで瞠目する息子らに視線を振った。
なぜか息子たちも呆然自失している。
『ほほ…… まさか、そのような…… そのような……』
単なる冗談だろうと思い、場を濁しかけた女性は、スゥフィスの痩せた身体や髪をよくよく見て、軽く瞠目した。
貧民だから、平民だからと蔑んでいた貴族達の頭は理解していなかったのだ。
スゥフィスが伯爵に引き取られて五年もたっていることを。少女が未だみすぼらしく煤けた姿であることに、周りも初めて違和感を抱く。
『たしか引き取られたのは何年も前であったはずでは……?』
『元貧民だから、みすぼらしいのだろうと思っていたが、これは……?』
それは伯爵も思っていた。社交界デビューのエスコートで久しぶりに見た娘のみすぼらしさ。見てくれが悪いのはメイドらが手抜きでもしたのだろう。叱っておかねばなどと、暢気に彼は考えていた。
しかし実際は違う。メイドらは手を尽くして必死に設えた。取り敢えず外見だけでもまともに見えるように彼女らは頑張ったのだ。
だが元が元である。ガリガリに痩せこけ、髪も肌もガサガサのボロボロ。そんなんを如何に取り繕おうとも取り繕えるわけがない。
体型の合わない豪奢なドレスや装飾品が浮きまくり、まるで案山子でも着飾らせたかのような御令嬢の出来上がり。
そのあまりの酷さに、罵ってやろう、嘲ってやろうと待ち構えていた貴族らすら絶句している。
こうして他の御令嬢達と並べたら一目瞭然。
レガート伯爵は、今まで息子らや使用人任せにしていた娘の環境に初めて疑問を持った。
『……なんというか。娘御は病がちでもあられるのか? 無理をせずとも良いのだぞ?』
さすがに見ていられないらしい両陛下。
どう答えたたものかと、ただただ深く頭を下げる伯爵の横で、見事なカーテシーを披露したスゥフィスが口を開いた。
『一日一食の残飯暮らしですので。我が身が醜くお目汚しいたしましたことお詫び申し上げます。たぶん、これより、わたくしが社交界に顔を出すこともないと思いますゆえ、今宵のみの無礼と御目溢しくださいませ』
凛と清しく通る声。
こうして社交界デビューをかねた新年パーティは、残飯暮らしだという案山子令嬢の御披露目で幕をとじたのだ。
「そなたら、とんでもない事をしてくれたな、ジョセフ、バーナード」
「……このような事になるとは」
「貧民に相応しい生活をさせていただけです」
愕然と項垂れて死んだような顔をする長子ジョセフ。彼は今年で十九歳。すでに伯爵の領地経営も手伝っており、金髪碧眼の流し目がクールで堪らないと噂されるような美男子だった。
その横で不貞腐れているのは弟のバーナード。兄と同じく金髪碧眼で今年十七歳の彼は、まだ学生だ。いずれは王宮の近衛騎士に進む予定だったが、その進路も今は危ぶまれる。
大の男が二人して妹を虐待していたのだ。それが社交界デビューの夜会で知れ渡ってしまった。歯に衣どころが有刺鉄線を纏わせた妹によって。
『御兄様ですか? そんなモノいたかしら…… わたくしに罵詈雑言を浴びせ、突き飛ばして踏みつけるような金髪兄弟はいましたけど……』
『お父様? そんな方おりませんわ。わたくしは伯爵家に引き取られただけの貧民ですので。伯爵様は伯爵様です。そう呼べと命令されましたし、滅多に顔を拝見いたすこともございません。年に一度か二度…… ですね』
『部屋ですか? 屋根裏部屋ですわ。毛布だけしかいただけなかったので、冬には暖炉の灰の中で眠りました。御存知ですか? 暖炉って長く暖かいんですよ』
『食事は使用人らの食べ残しを…… 床に投げ捨ててきましたね。食べなくては死んでしまいますから。拾って食べました』
にっこり笑って赤裸々な話を捲したてるスゥフィス。
興味津津な貴族らは、アレやコレや聞きまくり、スゥフィスもまた、貴族らが満足するだろう話を聞かせてやる。
だって彼女は待っていたのだから。この瞬間を。
ボロ雑巾のように酷使され、虐げられ、貧民の頃よりも酷い扱いに耐えたのは、ひとえにこの瞬間のためだった。
他の誘いは断れても、貴族であるならば社交界デビューだけは避けて通れない。あの人でなしな兄弟だって、今夜だけはスゥフィスを屋根裏に閉じ込めてはおけない。
国王に拝謁するのは貴族の義務だ。このチャンスを幼い頃から待ちわびていた彼女は、思うがまま、伯爵家の内情を暴露した。
これで、一時だろうとレガート伯爵家の名誉は失墜する。ひょっとしたらスゥフィスが思うより長く社交界の噂になるかもしれない。
来期卒業のバーナードは近衛騎士への道を失うだろう。お年頃なジョセフは今の婚約を解消されるかもしれない。そうしたらしばらくは嫁の来てはなかろうし、ざまあみろだと少女は仄の昏い笑みを浮かべる。
どうせぶち壊してやるなら、派手にぶち壊してやらないとね。
喉の奥で笑いを噛み殺しながら、スゥフィスはスピーカーとして社交界デビューの夜を楽しんだ。
そしてこの後、彼女は伯爵家の応接室で家族に取り囲まれる未来が用意されているのだが、今の彼女は知らない。
知っていたとしても変わらないだろう、超正直者のスゥフィスである。