2コメ『赤スパの赤は血の赤ってわけだ』
「――煉二、なんだその乱れた太刀筋は。もっと正せ」
「だ、だってさじーちゃん。この竹刀スゲー重いよ! ぼくには無理だって」
泣き言を零す幼い煉二に、威風堂々とした佇まいの男は気を緩めず真剣な目を向けた。
「お前は彼方へ此方へと足がおぼつかん。気張れ。その剣はお前の心と同義だ」
そう言うとしゃがみ込み、優しく煉二の頭を撫でる。
「夢を見つけろ。なりたい自分になれ、煉二」
「うーん……じゃあ、じーちゃんみたいにかっこよくなりたい!」
「俺か? ふふっ……こいつめ、嬉しいことを言ってくれるな。道筋を決めたならば、そこへ突っ走れ。きっとお前ならすぐにモノにするだろうさ」
――煉二にそう教えた祖父は、もう居ない。
NPCの店員がブラックコーヒーとカフェオレを運んできて、煉二もといカガリは回想を終える。
(すまん、じーちゃん。筋トレも疎かにしちまうような男だってのに……俺、嫁が出来ちゃったよ)
こんなだらしない孫では祖父もガッカリするだろう。
バーチャルとはいえ、生まれて初めての嫁だ。
失望されないよう、煉二は気張らなくてはならなかったのだが……
木組みのカフェテリアはとてもあたたかな雰囲気で、よく落ち着ける空間だが、仮想世界で性転換してしまったカガリに落ち着きなどありはしない。
初対面の女性に『結婚してほしい』と言われてしまっては尚更だった。
「あの……」
意を決して、澄まし顔でブラックコーヒーを飲んでいる少女に声をかける。
それにしてもさっきまで泣きべそ顔で結婚を迫っていたのが嘘のようだ。
《Yukifry/Real Mode》
(この子、これでリアルと同じなのか……疑わしいレベルで綺麗な顔してるな)
頭の上辺りに表示されたキャラクターの簡易情報と氷のような瞳の少女をチラチラと見る。
コーヒーカップを映していた瞳がカガリ自身を映すと、ドキリと胸が弾んでカガリはつい目を逸らしてしまった。
「まずは自己紹介しましょうか」
「ぇあっ、はい……ってそれ結婚の前にやるべきことじゃね?」
「……コホン。私はユキフライ。クラスは魔法使いよ」
などと言っているが、ユキフライの装備は姫騎士風。
魔法使いらしいローブでもなんでもなく、白い鎧だった。
「俺はカガリ。こんな姿だけどリアルじゃ男だから、さっきみたいに急に近寄ったりしないでくれよ? 心臓に悪い」
「あなたの性別はわかってやってたことだけど……まぁ距離感は守るわ。それにしても、オリジナルモードでそんなにかわいい子作れるのね」
「いや、ランダムで作ったら性別も女になっちまって……意図的なものじゃないんだ」
「ふーん。まぁ昔からネトゲは男が女キャラを使うこと多いし、女だって男キャラを使ったりもする。ゲームじゃどっちでもアリよ。気にすることないわ」
「あ、ありがとう。意外と寛容なんだな……ちょっと気が楽になっ――ぉあ、ちょ、近っ。て、てかなんでいきなり結婚なんだ!?」
急に近寄るなと釘を刺したばかりだというのに、まじまじと顔を覗き込んでくる彼女の顔から目を逸らし、カガリは声をうわずらせる。
「なぜって、配偶者がパーティーにいるとバフが貰えるのよ」
「そ、それだけのために結婚したのかよ」
「まさか、そんなわけないじゃない。一番の理由はこれ」
と言ってウィンドウを操作し、ユキフライがカガリに見せてきたのはアニメキャラのような風貌の人物が歌っている動画だった。
『こんにちパンチ〜! あなたの鳩尾抉っちゃうぞ☆ ハイパーバーチャルアイドル水落えぐる! 参上っ!』
物騒な名乗りだが、歌そのものは心打たれるような美声で初見のカガリでもつい聴き入ってしまう。
すると手を組んだユキフライは大きなため息を吐き、
「さいっこう……」
そう絞り出すように呟いた。
「ああ、相当好きだなこりゃ……」
「えぇ大好きよ。えぐるちゃんは私の最推しだもの。はぁぁ……えぐるちゃんに抉られたい。あの華奢な腕で思いっきり殴ってほしい……あっ、想像したら鼻血が」
この抉られたいユキフライさんはどうやらかなり重症らしい。
「いい歌だった……赤スパ投げとこ」
「赤スパ? なんだそれ」
「赤いスーパーコメントの略称よ。呼び方は配信サイトによって様々だけど、配信者に投げ銭する支援機能ね。金額が高いと赤色になって目立つのよ」
『あっ、抉られたいユキフライさん赤スパありがと〜! この人いっつも赤スパしてくれてありがたいけど、お財布大丈夫なのかな……』
「ぐはっ! 心配してくれてる……かわいい」
「な、なんでまたお金を? 無料で見れるのに」
「なんでって、そりゃ好きだからよ。そうしたいと私の心が動くほど彼女は魅力的なの。あっウインクしてくれぶヘァッ」
(ヤベーやつに捕まっちまったかもしれねぇ……)
カガリは水落えぐるの声を聴いて吐血するユキフライを視界から隠すようにカフェオレを飲み干した。
「それで、この子と結婚に何の関係が?」
このままだと推し語りが始まってしまいそうなので再び話を戻す。
「一ヶ月後にライブがあるのよ。ここで」
「ゲーム内でか」
「えぇ。それも凄く楽しみなんだけど、同時にイベントが進行してね。期間中、一戦の合計与ダメージが多かった上位のプレイヤーにえぐるちゃんの限定グッズが贈られるのよ」
「ふむ、それで?」
「配偶者と同時攻撃に成功した時、ヒット数が倍加……つまり超高火力が叩き出せるってわけ」
「それで結婚を急いだわけか。でもなぜに俺なんだ? 装備だって見るからに初期。初心者より熟練者を誘った方が絶対よかったろ?」
「熟練者ほどとっくに結婚は済ませてるわ。だから手当たり次第に声をかけてたんだけど、誰も相手にしてくれないというかどんどん離れていくというか……」
そういえば、入店してくるプレイヤーがこぞってユキフライから離れた席に座っている気がしなくもない。
「そりゃ初対面にいきなりそんなこと言ったらなぁ」
「まぁだから初心者相手なら押せばなんとかなるかな〜って」
「おい、それは俺がチョロそうなやつだと言いたいのか?」
「実際チョロかったじゃない」
「くっそ、ぐぅの音の出ない!」
しかしカガリがチョロかったとはいえ、ユキフライも勝算があって誘ったのだろう。
「とにかく、今日中にLv99になってもらうわ」
「いくらなんでもそりゃ無茶だろ」
「無茶じゃないから言ってるのよ。私がこの日のためにどれだけ準備をしてきたと思ってるの」
ユキフライがそう言うと、何やら自分のウィンドウを操作し始める。
すると三秒もかからない内に、カガリの目の前に突然『Yukifryからアイテムがプレゼントされました!』とウィンドウが表示された。
「は……?」
あなたは《EXPポーション》というアイテムをご存知だろうか。
簡単に言えば、使えば一定量の経験値を一瞬で獲得出来る材料不明の謎薬だ。
水のようなそれのどこに経験が詰まってるのかとツッコミたくなるが、それが今、カガリの手元に555個存在する。
「それドーピングしなさい。最後の1レベはユニークスキルの覚醒条件があるから自力で上げること」
「こ、これを……いつから?」
「ライブイベントが告知された二週間前から。こんなこともあろうかと戦力強化アイテムをありったけ集めておいた。あなたには一週間でこのゲームをマスターしてもらうわ」
「お、俺は普通に遊びたいんだが」
「安心しなさい。ゲームはレベルカンストするまでがチュートリアルよ。いいわね?」
「あ、はい」
やはりカガリは押しに弱かった。
「じゃあ決まり! 全てはえぐるちゃんのために!」
そしてユキフライは推しに弱かった。