2-1
「……出来たわ」
「……出来ちゃいましたね」
ローエ邸の厨房、全力で嫌がる料理長をなんとか口説き落とし、料理人達の休憩時間に借りたオーブンを前に、ミーリアは唖然としていた。隣で、呆れたように「ハァ」とため息をついたリリーが、オーブンから取り出された焼き菓子を指さす。
「お嬢様、何ですか、これ?」
「何って、クッキーよ」
だが、ただのクッキーではない。王都で今一番入手が困難だとされるパティスリーロゼのクッキーだ。この一週間で、持てるコネを全て使って王都からレシピを取り寄せ、それを料理初心者のミーリアが全力で再現した。
(再現した、けど、まさかここまで上手くいくとは思わないじゃない?)
今、ミーリアの目の前には、王都で食べたのと遜色ないキラキラしい輝きのクッキーが並んでいる。
「いえ、待って。見掛け倒しという可能性もあるわよ?クッキーなんだから、大事なのは味だもの。大体、初心者の作ったものなんて……」
マズいに決まっている。そう言いかけたミーリアの横から、長い腕が伸びて来た。ミーリアとリリーの菓子作りを見守っていたナタリエの指が、ドレンチェリーの載ったクッキーを一つ摘み上げる。
「あ!ちょっと、ナタリエ」
「……美味しいです。以前、ミーリア様に頂いたものと同じ味がします」
一口齧ったナタリエの評に、ミーリアはグッと詰まる。そのまま、チラリと自分の隣に立つリリーを見上げる。リリーは、腰に手を当ててミーリアを見下ろしていた。
「……ミーリア様?」
「なによ……」
「ミーリア様は、私の『ちょっと失敗、お焦げは愛嬌』大作戦をぶち壊しにするつもりですか?何ですか、これ?このプロが作りました感満載のクッキーは!完璧じゃないですか!完璧な仕上がりですよ!」
理不尽な怒りをぶつけられているとは思うが、ミーリアもリリーの言わんとすることは分かった。確かに、「完璧」過ぎる。
「……可愛げがないって言いたいんでしょう?」
「それです!ミーリア様はこれ以上、ご自身の完璧っぷりを強調する必要はないんですから!ミーリア様に必要なのは抜け感!ちょっと駄目な部分を見せて、親しみやすさを強調する必要があるんです!」
「抜け感は違うんじゃない?」
僅かに抵抗してみたミーリアだが、リリーにギロリと睨まれて嘆息した。
「仕方ないじゃない、出来てしまったのだから。……これ以上、オーディス様のご招待をお断りする訳にもいかないし、今日のお茶会にはこれを出して」
「うーん、まぁ、そうですね。新しいドレスの方は文句ないですし、今日のところはこの大成功クッキーで何とかしましょう!」
「何とか、って……。成功したのだから、堂々とオーディス様にお出しすればいいのよ」
強気にそう口にしたミーリアだったが、実際は不安でたまらなかった。こちらに来て一週間と少し。初日の晩餐への招待を断ってから、オーディスとはまともに顔を合わせていない。非常に失礼な真似をしている自覚はあるが、「戦闘力強め」の服でオーディスの前に立つ勇気が出なかったのだ。既に、初対面で最悪な印象を残している。それを覆すだけの好印象を持ってもらうためにと王都から取り寄せた淡いピンクのドレスは――一度、試しに着てみたが――少しだけミーリアの印象を柔らかいものに変えてくれた。幼く見えてしまうのはもう、どうしようもないが。
(それでも、『悪女』の印象よりはマシなはずよ)
そう自分を鼓舞して、厨房を後にしたミーリアはピンクのドレスに袖を通した。リリーの手によって丁寧に梳かれた髪は半分を上げて、後は下ろしたままにする。それだけで――いつものようにクルクルと巻いてしまうよりも――、幾分、大人しめに見えた。
「……それじゃあ、行ってくるわね」
「はい、お嬢様。直ぐにクッキーをお持ちしますからね!」
招かれたサロン、部屋の前でリリーを一旦下がらせて、部屋の扉をノックする。直ぐに返って来た返事と共に、部屋の扉が開かれた。開いてくれたのは、ケヴィンという名のオーディスの補佐官。彼に案内され、サロンの中央、既にそこに座るオーディスの前へと連れていかれる。ミーリアが近寄ると、立ち上がったオーディスが手を差し伸べてくれた。その手に促されるまま、ミーリアはオーディスと向かい合う席に腰を下ろす。
「……本日は、お招きいただきありがとうございます」
なかなか顔を上げられないままそう口にしたミーリアは、自分の声に驚いた。なんだ、この声は。こんなか細い声、一体、私のどこから出て来たというのか。これでは、何を言ったか伝わらないのではと不安になったミーリアは、ソロリと視線を上げてみる。途端、こちらを優しく見守る茶色の瞳と目が合った。
「っ!」
「ミーリア嬢は、お体の調子はもういいのですか?」
「は、はい!もう、すっかり……!」
一週間、旅の疲れを口実に引きこもっていたミーリアは、オーディスに嘘をついたことを後悔する。心配をかけてしまったことを、こんなにも申し訳ないと思うなんて。
(体調不良なんてよくある口実、体のいい断り文句の一つくらいにしか考えてなかったのに……!)
恥じ入って、ますます俯いてしまうミーリアは自分が信じられなかった。オーディスを前にしたミーリアは、自分をちっぽけで醜い人間だと感じている。いつものように振る舞えない。社交は得意なはず、少なくとも、場を仕切ることには長けていると自負していたはずが――
「……失礼します。お茶をお持ちいたしました」
(リリー……)
ミーリアは、背後で聞こえた声に、少しだけ勇気を取り戻した。先程よりも、少しだけ視線を上げることが出来る。オーディスの胸元辺りに視線を向けるミーリアの側に、ワゴンが運ばれてきた。焼き菓子のいい匂いが漂って来る。
黙って給仕を始めたリリーが、オーディスとミーリアの前にお茶を並べた。それから、あからさまにもったいぶった仕草で、テーブルの中央、二人の間に先程ミーリアが焼き上げたクッキーが美しく盛られた皿を置く。
「おや、綺麗ですね」
皿を目にしたオーディスの反応に、ミーリアはハッとした。ハッとして、オーディスの表情を観察しながら、慎重に言葉を紡ぐ。
「……オーディス様はクッキーがお好きですか?」
「ええ。甘いものは好きですよ。仕事中も、疲労回復によくつまんでいます」
オーディスとの会話にドキドキしながらも、ミーリアは彼の言葉に勇気を得た。クッキーが好きなら、彼に好印象を与えられるかもしれない。
目の前で、オーディスがクッキーに手を伸ばすのをじっと見守るミーリアは、クッキーを口に入れた彼の表情が綻ぶのを見逃さなかった。
「……お口に、合いましたか?」
「ええ。とても美味しいです」
そう言って柔らかく微笑んだオーディスの笑みに、ミーリアの心臓は壊れそうなほどに高鳴った。
(今しかないわ……!)
そのクッキーを焼いたのは自分だと、自分を妻にすれば毎日でもそのクッキーが食べられるのだと、そう売り込もうとしたミーリアより先に、オーディスが「やはり」と口にした。
「パティスリーロゼの焼き菓子は絶品ですね」
「え?……あの、オーディス様はロゼをご存じなのですか?」
「ええ。王都で何度か買い求めたことがあります。ああ、後は、王都の親戚がたまに送って来てくれるのですが……」
そう言ってオーディスは、手にしたクッキーをじっと見つめた。
「今日のクッキーはまた一段と美味しい気がします。……これは、ミーリア嬢がお持ちになったものですか?」
「いえ、……はい、あの、こちらに来てから取り寄せました……」
レシピを、とは言えなかったミーリアの前で、「そうなんですか」と頷いたオーディスは「ありがとうございます」とミーリアに礼を言う。それに「はい」とも「いいえ」とも言えぬ返事を返したミーリアは、「自分が焼いた」とは言い出せぬままに、誤魔化すように紅茶に口をつけた。
後頭部に、リリーの突き刺さるような視線をグサグサと感じる。
(……だって、しょうがないじゃない)
既製品だと思われて絶賛された後に、「実は私の手作りだ」と言えるほど、ミーリアは図太い神経をしていない。いや、しているが、オーディスを前にすると駄目だった。
ミーリアは借りて来た猫のような大人しさで茶会を終えた。