1-6 Side O
ローエの領主館の執務室、机に向かっていたオーディスはふと顔を上げ、補佐官席で同じく書類に目を通している自身の部下へ声をかけた。
「ケヴィン、ミーリア嬢はどうしてる?」
「大人しくされてますよ」
手を止めることもなく、書類に視線を落としたまま、たった一言そう返したケヴィンに、オーディスは「それじゃあ、よく分からないんだけど?」とため息をこぼした。
そんなオーディスの反応に、漸く顔を上げたケヴィンがニヤリと笑って見せる。
「ミーリア嬢のことが気になりますか?」
「そりゃあ、気になるよ」
僅か二週間前、過去に何度か世話になったことのあるアーレント公から「娘を頼む」と書かれた手紙が届いた。他にも「娘を気に入れば」だの、「伯が中央を目指すのなら」だの、不穏な内容も書かれていたが、それら全てを見なかったことにして、オーディスはアーレント公からお預かりしたご令嬢を丁重に迎えるつもりでいた。
「……まぁ、波風立てずに平穏に過ごして、平穏にお帰り頂ければいいなぁと思っているよ」
それがオーディスの偽らざる本音なのだが、どうしたことか、オーディスの予定は出鼻から完全にくじかれてしまっている。
「……ミーリア嬢、本当に病気の心配はないって?」
直前まで元気そのものに見えた令嬢が倒れる瞬間を思い出して、オーディスの心臓はヒヤリとする。
「ええ。それはもう、ハドック先生のお墨付きです。本人も平気だと仰っていますし、初日に倒れたのは、馬車移動での疲労が原因だろうと」
ケヴィンの説明に、オーディスは完全には納得いかないものの頷いて返した。
(あれでミーリア嬢に何かあれば、責任をとって、なんて話になってもおかしくなかったからなぁ)
彼女と自分の背景を考えれば、それだけは何としても避けたいところ。それに何より、オーディスはあのお人形のような少女が傷つく瞬間を見たくなかった。
「……明日、もう一度、晩餐にお誘いしてみるか」
彼女が元気ならばと、初日に叶わなかった招待をオーディスは口にした。それにまたケヴィンがニヤリと笑って見せる。
「それで?第一印象はいかがでしたか?」
「第一印象?なんの?」
「ご令嬢のですよ。アーレント公が送り込んで来たということは、オーディス様の奥方にどうかということでしょう?」
揶揄うように言われて、オーディスはハァとため息をついた。
「第一印象がどうあれ、彼女を妻にするつもりはないよ。出来るわけがない」
「なぜです?」
分かっていてそう聞く腹心の部下に、オーディスは首を横に振った。
「私は、次代の王はジークベルト殿下で事足りると考えてる。……我が従弟殿は、自分の出る幕はないとお考えだからね」
オーディスの返事に、ケヴィンは軽く肩をすくめて見せた。
マイルズ・メルツァー。この国の第一王子とオーディスは、血縁で言えば従兄弟に当たる。子のなかなか出来なかった王に側妃として召し上げられたマイルズの母は、オーディスの父の一番下の妹だった。マイルズを産んで直ぐ、肥立ちの悪さからマイルズの母は亡くなり、それを哀れんだ父は、幼い頃のマイルズをよく可愛がっていた。辺境と王都という距離はあるものの、何かにつけては、マイルズと年の近いオーディスを連れて王都へ出かけていた父。その父も亡くなり、自身も自らの地盤固めに忙殺される中、それでも、オーディスとかの方との交流はそれなりに続いている。
――政など、やりたいやつがやればいい。
かつて従弟が口にした言葉を、オーディスもその通りだと思っている。今、この国に大きな憂いはない。波風立てずに済むのであればそれが一番。もし仮に、ローエとアーレントが繋がるようなことがあれば、政局が変わってしまう。それは、オーディスやマイルズが望もうが望むまいが、変えられない流れだ。だから、オーディスは、ミーリア嬢とは適切な距離を保つつもりでいる。そして、なるだけ穏やかにお引き取り頂ければと――
「そう言えば、ミーリア様の侍女殿が、オーディス様のことを色々と嗅ぎまわっているようですよ?」
「……ケヴィン、それは、『大人しくしてる』とは言わないんじゃないか?」
「ご本人は大人しいものです。部屋から出ていらっしゃいませんから」
そうシレッとした顔で答えるケヴィンに、オーディスは眼鏡を外して眉間を揉んだ。
「それで?その侍女殿には、『オーディス・ローエはボンクラだ』っていう情報は持ち帰らせたんだよね?」
「ええ、まぁ、一応は。ただ、直ぐにバレてしまいましたが」
「……流石に無理だったか」
ミーリアが父親から何と言い含められて来たのかは分からない。だが、オーディスは、自身が女性に好かれる見目ではないことを承知している。だから、自身の悪評を流せば興味など持たれない、どころか、嫌がって逃げ帰るのではないかと期待していた。牽制の意味で、屋敷の者には自身を悪く言うようにと言いつけていたのだが、彼らがそれに乗り気でないことも知っていた。
「マリッサ辺りがバラしてしまったかな?」
オーディスの言いつけに、「そんなことは死んでも口にできない」と最後まで反対していた侍女頭の名前を挙げれば、ケヴィンが「いいえ」と首を振った。
「マリッサもなかなかの名演技でしたよ。侍女殿も一度は信じてましたから。それが、『お嬢様にご報告~』って去っていった後に直ぐ戻られて、『もう騙されませんよ!』ですからね。いやはや、あの短時間に一体何があったのやら」
そう言ってニヤニヤ笑うケヴィンに、オーディスは疑問に思う。
「ケヴィン、見て来たように話すけど……?」
「ええ。見ておりましたから」
「……」
なぜ、自身の補佐官であるはずのケヴィンがマリッサ達侍女と共にいるのか。気になるところではあったが、オーディスはまぁいいかと嘆息する。オーディスのため息を聞いたケヴィンが、「案外」と口にした。
「ミーリア様はオーディス様の本質にお気づきなのかもしれませんよ?本気で、オーディス様を気に入られたのかもしれません」
「ハハ、まさか」
ケヴィンの言葉を軽く笑って流したオーディスだったが、ふと、胸の内に陰りが生まれる。
(……気に入る、か)
それが、男女の色恋の話としてあり得ないのは確かだ。が、ミーリアは、あのアーレント公が「己に最も近い」と評する思考の持ち主なのだ。私情を捨てたところで、政治的な繋がりとしてオーディスのことを「有りだ」と判断した可能性はある。
(だとしたら厄介だな……)
生まれた懸念に、机の上を睨むオーディスの眼差しがきつくなる。気をつけねばならない。下手な馴れ合いにはならぬよう、ミーリアには細心の注意を持って接する必要がある。