1-4
リリーが部屋を出て行ってから、時間を持て余したミーリアはベッドを抜け出し、部屋に運び込まれていたトランクケースの一つへと向かった。入っているのは普段着用の簡易ドレス。ワンピースとさして変わらないそれらの中から、ミーリアは必死になって目当てのものを探す。
(確か、一枚だけあったはずよ……)
ミーリアの視界に、他のドレスに埋もれたソレが映った。引っ張りだしたのは淡い桃色のドレス。簡易な切り返しのみのドレスは、下手をするとミーリアを子どものように見せてしまうから、あまり好きではない。
(どうしよう……)
着替えるべきかどうか。ドレスを広げて悩み始めたミーリアだったが、ふと視線を感じて顔を上げる。じっとこちらを見つめるナタリエと視線が合った。
「か、勘違いしないで!これは別に男ウケとか、オーディス様に媚びようだとか、そういうのを狙っているわけではないわ!ただ……!」
ただ、何だと言うのか。物言わぬナタリエの静かな眼差しに勝手に頬を紅潮させながら、ミーリアはキリリとした顔で告げる。
「そう、これは戦略よ戦略!素の自分では勝てない以上、創意工夫を凝らすのは当然でしょう?」
ミーリアの言葉に軽く首を傾げたナタリエだったが、ミーリアが手にしたドレスを眺めながら、淡々と告げる。
「ミーリア様はどのような恰好であろうとお可愛らしいです。創意工夫などなさらずとも、そのままのミーリア様で十分に勝算はあるかと……」
「ナタリエ、あなた……」
騎士の鑑のような返答。これで男であれば間違いなくご令嬢方に引っ張りだこであろう完璧な紳士っぷりに、ミーリアはハァとため息をついた。ナタリエでは、このドレスに対する正当な評価は得られないだろう。
その時、扉が開き、リリーが部屋の中へと入ってきた。少し困ったような暗い表情の彼女は、ドレスを身体に当てたミーリアの姿を認めると「あれ?」という顔をし、それから、満面の笑みで頷いた。
「いい!いいですよ、ミーリア様!それなら十歳は若返って見えます!」
「……」
リリーの評価に、ミーリアは黙ってドレスをトランクの中へとぶん投げた。
「あ!何するんですか?着ましょうよ!流行最先端の服ですよ!マダムポーポネルの完全新作なんですから!」
「……十歳も若返ったら、私、八歳じゃない」
子どものように見えると言われて、それでどうして着てみる気になれると言うのか。不機嫌な顔をしたミーリアに「えー」と不満を漏らしたリリーだったが、ミーリアの「それで、どうだったの?」という言葉にピタリとその口を閉じた。
「リリー?どうして黙るの。……若しや、あなた、何か粗相をしでかしたんじゃないわよね?」
「し、してません、してません!それどころか、お手伝いをして褒められたくらいですよ!侍女頭さんの心はもうガッチリ掴んでまいりましたから!」
焦り気味にそう首を振って答えたリリーだったが、その先の言葉が続かない。肝心の「オーディス様情報」はどうなったのかとミーリアがやきもきしていると、「あー」だの「うー」だの散々迷った末に、リリーは漸く話し出した。
「あの、ミーリア様、落ち着いて聞いて頂きたいといいますか、あまりがっかりしないで欲しいんですけど……」
「……なによ、その前置き。不安になるじゃない。さっさと本題を言って」
これで、実は辺境伯には心に決めた相手が居るだったり、実は既に結婚済みだったりの話を聞かされれば、流石のミーリアも凹む。間違いなく落ち込むであろう話題をある程度覚悟してミーリアが見つめる先、リリーがその声を潜めた。
「実は、辺境伯閣下って大変なボンクラでいらっしゃるそうです……」
「……」
「驚きですよね?人の好さそうな方に見えたんですけど、なんでも辺境伯としては下の下らしくて。本当は閣下のお兄様が継がれる予定だった辺境伯の地位を、お兄様が亡くなったために棚ボタ式に手に入れたそうですよ?」
そこまで言って、痛ましげな眼差しで「お嬢様も男を見る目がないですねぇ」と告げたリリーに、ミーリアは思わず吹き出してしまった。
「……お嬢様?」
「ああ、ごめんなさい、リリー。でも、その話、あなた騙されたのよ。と言うか、揶揄われたんじゃないかしら?」
「揶揄われた?私がですか?え?え?でも、皆さんがそう仰ってたんですよ?侍女頭さんも一緒になって頷いてましたし……」
リリーが目を白黒させている。ローエ家の家人たちがどういう意図で自らの主人を貶めるような発言をしたのかは謎だが、ミーリアは困惑するリリーの姿に苦笑した。
「あのね?ローエの地は隣国との境界、国の防衛の要に当たるのよ?当然、ローエの当主は完全な実力主義、ボンクラに務まるわけがないじゃない」
「でも、それは、閣下のお兄様が亡くなったからで、他に継げる人間が居なかったからじゃないですか?」
「だとしたら、分家筋からでもどこからでも養子をとるでしょうね」
そう告げたミーリアの横で、ナタリエが深く頷いた。
「閣下はなかなかの剣の腕をお持ちとお見受けした。……あれは、かなりのものだ」
オーディスの立ち居振る舞いからか、同じく剣を振るう者としてそう断言したナタリエの言葉に、リリーは「えー?」と半信半疑の声をあげる。確かに、ミーリアの目から見ても、オーディスの剣の腕が立つような印象は受けなかった。ただ、ミーリアは事実として知っている。
「『ローエ辺境伯は魔術師としても優秀』という評価だったはずだわ、確か……」
いつか父に見せられた隣国との講和交渉記録。そこにオーディスが居ると居ないとでは、隣国の反応が明らかに違ったとの記載があった。
「それに、ここ数年、我が国と隣国との間に戦争が起きていないでしょう?小競り合い程度ならあるんでしょうけど、人死には全く出ていないの。オーディス様は、武人としても政治家としても優れた方よ」
だから、ミーリアは想像していたのだ。ローエ辺境伯オーディスの姿を、筋骨隆々、押し出しのいい、自信満々な男なのだろうと。それが――
「……あんな柔和な方だとは思わないじゃない」
ポツリ、呟いたミーリアの顔は真っ赤だった。それで何かを察したらしいリリーが「なるほど!」と叫ぶ。
「お嬢様は、辺境伯閣下のギャップにやられたんですね?」
「ギャップ?そうかしら……?」
「そうですよ!あんな優しそうな見た目で実はやり手!王都から乗り込んで来た公爵令嬢を警戒して、その侍女を煙に巻くなんて実に天晴!猜疑心の塊のような方ですね!」
全く誉めてはいないリリーの言葉に、けれど、ミーリアは一部は当たっているのではないかと頷く。
「警戒はされているかもしれないわね。お父様が訪問の許可は頂いていると仰っていたけれど、どんな許可の取り方をしたんだか……」
「嫌な搦め手で相手にノーを言わせなかったんですよ、きっと」
「それは、……あり得るわ」
娘として、父のそのような姿を否定できないのが悲しいところだ。
「でも、まぁ、そういうことなら分かりました!」
先程までのしょげたような顔から一転したリリーが、また高らかに宣言する。
「では、今度こそきっちりと調べてまいります!辺境伯閣下の女性の好みを!」
「女性の好み……」
「ええ。心してお待ちくださいね、お嬢様!」