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「いやぁ、あれは見事な負け犬の遠吠えでしたね」
公爵家の馬車の中、王都を離れて東の辺境へと向かうミーリアに、侍女のリリーがしみじみと呟いた。
「……リリー、うるさいわよ」
車内に居るのは三人。ミーリアと向かい合うようにして、リリーと専属の護衛騎士であるナタリエが並んで座っていた。寡黙なナタリエが口を開くことは少ないが、代わりのようにリリーが三人分はしゃべる。普段は特に気にならないそれも 閉鎖空間でずっとしゃべり続けられるとミーリアとて辟易してしまう。しかも、話題があの日の自分。王太子に婚約解消を言い渡された日、廊下で主人の帰りを待っていたリリーは、ミーリアが王太子相手に投げつけた捨て台詞をきっちりと拾っていた。
「いやいやいやいや。王太子殿下相手にあれだけの台詞はなかなか言えませんよ?流石は我らのお嬢様。これで、もう少し背がおありになれば、立派な悪女として社交界を賑わせることもできたんでしょうけど……」
そう言ったリリーが、まるで不憫なものでも見るようにミーリアに視線を向ける。それに「余計なお世話よ」と返したミーリアの身長は、確かに、この国の平均としては少々低めだった。
「お嬢様、お顔立ちは綺麗ですし、私が毎朝丹念に仕上げているクルクルの金の御髪も素敵で、おまけに、実は出るところは出てる完璧な体形なんですけどねぇ」
如何せん、背が足りないばかりに迫力が足りないとため息をついたリリーに、ミーリアは、向かい合わせの彼女の足を蹴る真似をする。
「お嬢様、やめてください!はしたないですよ?」
「余計なお世話だと言っているでしょう?私は私を気に入っているんだから、これでいいのよ」
背が低かろうがなんだろうが、目じりの上がったきつめの目元も、たまに「血のようだ」と忌避される赤い瞳も、ミーリアは自身の全てを気に入っていた。
「全く、私のどこが負け犬だって言うのよ」
「えー?それはだって、殿下との婚約解消は確定しちゃいましたし、旦那様にはお嬢様の悪事がバレて『辺境で頭冷やしてこい』って追い出されちゃったじゃないですか」
「悪事って、別に、そんな大したことなんてしていないじゃない……」
ミーリアの呟きに、リリーが「確かに」と頷いて見せる。
「ノーラ様を呼びつけての駄目だしに、殿下に近づくなという牽制。あとは、お茶会に呼ばなかったり、学園では必ず道を譲らせたり、でしたっけ?本当、どれも大したことない見事な小者っぷり!体のいい当て馬ですね!」
リリーの辛辣な物言いに、ミーリアは取り出した扇子を広げて、その奥でギリと歯噛みする。
「小者ってなによ。私はそんなものになった覚えはないわ」
ただ、将来、王太子妃になる身としては、気は進まなくとも羽虫の排除は行わなければならない。そうでなければミーリアが侮られる。だからこそ、好きでもない男のために、義務としてせっせせっせと邪魔者を排除してきたのだ。
「大体、今までにも似たようなことはしてきたじゃない」
なのに、今までは何も言わず、動きもしなかった王太子が突如としてミーリアを排除しに動いたのだ。ミーリアは「冗談じゃない」と思った。
「なに考えてるのかしら、あのバカ王太子」
「あれ?王太子殿下は馬鹿ではないですよね?ほら、現にお嬢様や旦那様を出し抜いて、まんまと想い人を婚約者に据えたじゃないですか」
リリーの指摘にミーリアはまたギリと歯噛みした。
「ハッ!出し抜いたですって?私はともかく、あのお父様がこのまま敗北を受け入れるわけないじゃない。お父様の権力欲をなめないで頂きたいわ!」
「お嬢様、誰に宣言されてるんですか。あと、実の親に対する評価としてはいかがなものかと思いますよ、それ」
「大体、クレール侯爵家の貧弱な屋台骨でどうやって殿下をお支えするつもりなのかしら?お父様が本気になれば、鼻息一つで飛ばされてしまうでしょうに!」
目の前に居ない王太子達の幻影に向かってそう言い放ったミーリアに、リリーが「でも」と口を挟む。
「宰相家のフィリップ様とザックス侯爵家のデニス様がジークベルト殿下の味方をなされたということは、両家とも、現在のジークベルト殿下支持を変えるおつもりはないということですよね?」
「……リリー、あなた、少しは賢くなったじゃない」
リリーの言う通り。現状、第二王子とは言え、正妃の産んだジークベルトの支持層は厚く、アーメントが牙を剥いたところでジークベルトの王太子の座は揺るがない。そうならないよう、ジークベルトが上手く立ち回ったということになるのだが、ミーリアはそれを認めたくなくて、ハッと再び鼻で笑った。
「だからと言って油断しているとアッと言う間に足元を掬われるんだから!」
「……お嬢様、学園も休学させられてこんな馬車一つで都落ちさせられているのに、その強気な発言。いえ、私は嫌いじゃないですよ?」
「うるさいわね!」
リリーに慈愛に満ちた眼差しを向けられ、それを「煩わしい」とミーリアは開いた扇子で払った。
「都落ちじゃないわよ、これはあくまで牽制!お父様の策略よ!」
「牽制、ですか?」
「そうよ!辺境とは言え、今、向かっているローエは東の雄。先代の妹君は陛下の側妃様だったのですもの。王家とは言え、決して蔑ろにはできない相手よ?そのローエ家に娘を近づけて、牽制をはかろうと言うわけよ!」
ミーリアの説明に、いまいち良くわかっていないのか、リリーは「なるほど?」と言いながら首を傾げて見せた。彼女のその態度に、「要するに」と続けようとしたミーリアの言葉を、面倒になったらしいリリーが慌てて遮る。
「あー、だったらやっぱり、お嬢様ももうちょっとその恰好、どうにかなさった方が良かったんじゃないですか?」
「……この恰好のどこが不満なの?」
言ってミーリアは自身の姿を見下ろす。胸元の空いたドレスは目の色と同じ赤、デコルテの白がよく映えるミーリアお気に入りの一着だった。
「いやー、攻撃力が高いことは認めますが、男性ウケはよろしくないと申しますか。お嬢様もデビュー間もないんですから、もう少しこう、少女らしさを前面に押し出した可愛らしい恰好をなさってみては?」
リリーの提案に、ミーリアは三度鼻で笑った。
「嫌よ。私は私の好きな恰好をするわ。大体、少女らしい恰好なんて私に似合うわけないじゃない」
「うーん、まぁ、確かにそうなんですけど。今の社交界は淡いピンクなんかが流行りですし、それこそ、ノーラ様のような楚々としたご令嬢がおモテになりますからねぇ」
悪びれもせずにそう口にしたリリーに、ミーリアは柳眉を逆立てた。
「私は男に媚びようなとどは思わないわ!男ウケを考えてドレスを選ぶなんてまっぴらよ!大体……!」
そこで、あの日のことを思い出したミーリアは、閉じた扇子をピシャリと掌に叩きつけた。
そして、高らかに言い放つ――
「初めて会った時から愛しているですって!?ハッ!なによ、それ!それって結局、見た目で選んだってことじゃないの!一目惚れ?そんなもの、全く以て信用ならないし、それで好きだと言われて喜ぶ人間の気持ちなんて一生理解できないわ!」