エピローグ
「え!?ノーラが駆け落ち!?ど、どなたとですか!?」
アーレント邸の中庭、訪れたオーディスと並んでお茶を嗜む中で告げられた突然の言葉に、ミーリアは慌ててカップをソーサーに戻す。のんびりとお茶の香りを楽しんでいる場合ではない。嫌な予感がする。ノーラと駆け落ちしたのが予想どおりの彼なら、宰相家は今後醜聞まみれに――
「幼馴染の王宮騎士だそうだよ」
「騎士……、幼馴染……」
「うん。騎士爵の令息らしい。どうやら、先日、殿下方がやりあったあの場に居合わせたそうでね。虐げられるノーラ嬢を目にして、彼女への愛が再燃したようだ」
「愛……、再燃……」
告げられる言葉をぼんやりと繰り返すミーリアに、オーディスが「うんうん」と頷いてみせる。
「再会愛ってやつかな。それに、ノーラ嬢には、ジークベルト殿下を支えて王太子妃を目指す気概もなかったようだからね。……殿下との婚約が解消される前に逃げ出したってとこかな?」
「それは……」
良かった、のだろうか。少なくとも、懸念していたようにフィリップが愚かな行動に突っ走らなかったことはありがたい。けれど、その愚かな行動に突っ走ってしまったノーラとその恋人はこの先どうなるのか。侯爵令嬢であった彼女が家を捨てて平民の生活を送れるとも思わない。よしんば可能だったとしても、国に見つかれば死罪。その場での処分もあり得る。王家への侮辱、裏切り行為なのだから。
「無事に、逃げ切れるといいですね……」
思わずもらした本音に、オーディスが困ったように笑う。彼女たちの無事を願うこともまた、国家への裏切り。それでも、ミーリアはノーラに死んでほしいとは思わなかった。
ミーリアがついたため息に、オーディスが「困ったな」と呟く。
「オーディス様?」
「ああ、うん。君がそこまで彼女を気にかけるとは思わなかったから……」
言って、少しだけ悩む様子を見せたオーディスが苦笑とともに告げる。
「ノーラ嬢たちのことを心配する必要はないよ。王家には絶対に捕まらない」
「……何故、そう言い切れるのです?」
「うーん。でないとまぁ、流石に私も寝覚めが悪いというか……」
オーディスの言葉に、ミーリアは目を見開く。
「オ、オーディス様!?」
「うん、いや、ごめん」
問い詰めるミーリアの視線に、オーディスが両手を挙げて降参のポーズをとる。
「確かに、私もちょっとだけかかわった。手助けというか、助言をして、逃亡先を提供したくらいだけど」
「……」
それは立派な幇助、最早、共犯といっても差し支えないのでは?という言葉を、ミーリアは飲み込む。代わりに、深いため息をついた。今度は、安堵のため息。ノーラの行先を尋ねることはしないが、オーディスが「心配ない」というのなら、きっと彼女は大丈夫なのだろう。
(何だか、本当に怖いくらいに上手くいくのね……)
ノーラの選択を愚かだとは思うが、おかげでジークベルトに大きな瑕疵がついた。ミーリアとの婚約を解消してまで結ばれた恋人に捨てられたのだ。暫くは、その醜聞で社交界は持ち切りになる。自尊心の高い彼にとっては、社交の場に立つだけでも苦痛だろう。その中で、新たな婚約を――しかも、ミーリアよりも条件の良い相手を見繕うなど、できようはずもない。
薄っすらと口元に笑みを浮かべるミーリアを見て、今度は、オーディスがため息をついた。
「あら?オーディス様、どうされたのですか?まだ何かご懸案が?」
「うーん。いや、我ながら、どうしようもない男だなと思って。自己嫌悪ってやつかな」
「?」
首を傾げるミーリアに、オーディスがいつものように笑う。
「分不相応にも、私は、こんなに若くて美しい貴女を手に入れようとしている」
「……」
「婚約間近だったご令嬢を辺境の地へ攫っていくなど、私もとんだ極悪人だね」
自嘲するオーディスを、ミーリアはまじまじと見つめる。彼が本気でそう思っていることが分かって、クスリと笑った。
「だったら、私は、根っからの悪女ですわね?」
「え……?」
「貴方に攫われるのも、辺境で生きていくことも楽しみで仕方ないんですもの」
言って笑うミーリアに、オーディスが瞠目する。次の瞬間、フワリと笑った彼の手がミーリアの頬に触れた。近づく距離にミーリアが動けずにいると、唇に柔らかな温かさが重なった。ほんの一瞬、直ぐに離れていってしまったそれの意味に気付いたミーリアの顔が朱に染まる。
「っ!オーディス様っ!!」
途端、笑いだしたオーディス。弾けるような笑い声が、彼を責めるミーリアの声と共に、二人きりの中庭に響き渡った。
(終)